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遅れるなと言った本人が遅れるとは、一体どういうことなんだろうか。
春彦は、みさと遊園地の前でため息をついた。みさと遊園地は春彦が通っている学校からはさほど遠くない位置にある、中型の遊園地だった。小さな動物園も併設しており、毎日イルカショーを見られるというのが、この遊園地のウリだった。
何回か来たことのある場所だったので、迷うことなくすんなりと来れた。春彦が到着した段階で、10時10分前。誰もいないだろうと思っていたが、すでに一人門の前に立っているのが見えた。
「あ、えっと…ユウ」
一番乗りはユウ。小柄な彼女は、遠くから見ると小学生のように見えた。上は黒のタートルネックに灰色のパーカー、下はジーンズというラフな格好。改めて見ると、彼女は本当に細かった。華奢を通り越してるんじゃないかと思う。
ユウと呼ばれて、彼女は一瞬こちらを見た。それからぼそりと呟いた。
「リナとレキ、遅れるって」
10時に来いよ!とか遅れないでね!と言っていた二人が見事に遅刻である。春彦は呆れた。そして困った。この無口な女の子と二人で、どうやって時間を潰せと言うのか。春彦は家から持ってきた飴を探すために、ポケットに手を突っ込んだ。
「…飴食べる?」
「いらない」
そんなにあっさり断られてしまうと、余計に気まずい。とりあえずしばらく、沈黙で過ごすことにする。春彦は一人で飴を舐め始めると携帯を取り出し、適当にいじるふりをした。
遊園地の中から子供の笑い声や、乗り物の走る音が響いている。そんな中で沈黙しているのは、明らかに変だった。
「真面目なんだな」
「え?」
ユウがいきなり話したので、内心どきりとした。
「来ないと思ってたのに」
ユウは相変わらずこちらを見ようとせず、真正面を向いたまま無表情だった。春彦はユウの方を見た。視線がかなり下向きになる。本当に小さいなあ、と思う。
「まあ、暇だったしね」
「それでも、嫌なやつは来ない」
それもそうだと思う。会議室の時といい、俺は何をのこのこ顔を出してるんだろうかと自分でも不思議に思う。
「なんていうか、空気みたいなのがあるんだ。惹かれるような」
ユウが、ぽつりと言った。
「え?」
「死にたがり同士、惹かれあうものがある」
ユウは片目で、春彦を睨むように見た。その眼は、まるで底なしのように暗い。
「ごめえん!!寝坊しちゃったー!!」
ユウに睨まれ、春彦が返答に困っていたところに、この素っ頓狂な声が飛んできた。振り返らなくてもこの声の主が誰なのかは分かるが、一応振り返る。春彦が振り返ると同時に、ユウがその名前を呟いた。
「リナ」
寝坊しちゃったというリナは、その割に化粧も服のコーディネートもばっちりだった。寝坊しても、そこだけはしっかりやってきたのだろう。ピンク色でフワフワした生地のチュニック。春物らしい飾りのついた茶色のブーツ。全体的に黒くてシンプルな感じのするユウとは対照的な服装だった。
「あれ、レキは?」
「遅刻」
「はあ!?言い出しっぺのくせに何してんのあいつー」
お前も遅れて来ただろ、と春彦は内心で突っ込む。声に出すのは面倒だった。リナは少しだけ乱れた髪をとかしながら言った。
「どーせ、ODでもしてオチちゃってるんじゃないの」
OD。つまり薬物の多量服薬。場合によっては死に至る。春彦の頭の中から、そんなデータが引き出された。
「それ、大丈夫なのか?」
思わずリナに問いかけた。リナは一瞬目を丸めてから、ああ、という顔をして笑った。
「大丈夫大丈夫!ODっていってもプチだし、あいつ、薬にはもうかなり耐性あるしねー。
多分、ある程度飲んでもしばらく眠りこけるだけよ。いつもそうだもん」
「だけど万が一、があるだろう」
ODによる死亡率はかなり低い。しかしそれでも、万が一がある。
「だから私たちも止めたいんだけどね」
リナが、どことなく悲しそうな顔で笑った。それを見て、春彦は何も言えなくなった。やはりレキも死にたいと思っているんだろうか。「俺たち全員死にたがりだ」と言ったレキの声が、頭をかすめた。彼は死ぬために、薬を飲んでいるのだろうか。彼もやはり、何かを抱えているのだろうか。春彦はレキの安否が気になっていた。しかし、
「わっりー!!マジでごめん!!」
20分遅れでやってきたレキは、元気そのものだった。春彦は拍子抜けと安堵を同時に感じた。
「ちょっとー!レディを待たすなんてどういうことよ!!」
「うっせーな。どうせリナだって遅刻したんだろ?」
「はあ!?なんでそういうことになるわけ!どこにそんな証拠があるのよ」
「遅刻したね」
ナイスタイミングでユウが呟く。
「ほら見ろ。やっぱお前も遅刻してんじゃねーか、この遅刻魔!」
「失礼ね、あんたに言われたくないわよ!」
レキとリナの言い争いがヒートアップしていく。その様子を、冷めた目で見続けるユウに、春彦はそっと尋ねた。
「…あの二人は、いつもあんな感じなのか?」
「ああ。あれでも仲がいい」
「仲がいい…な」
説得力があるんだかないんだかよく分からない2人の様子を見ながら、春彦はため息をついた。