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会議室Cは、まさに「使われていない会議室」だった。埃っぽい空気、黄ばんだカーテン、乱雑に積まれた紙やファイル。部屋は小さめで、中央に大きなテーブルが一つ、それからパイプ椅子が4つ、置かれていた。回転椅子は1つだけで、それはもう高宮の特等席と決まっているらしかった。
「ま、適当に座りなよ!」
と、赤茶色の髪の女に言われて、どこに座ろうかと逡巡する。部屋には高宮とこの女以外、もうひとり女生徒がいた。さっきからずっと無言のその子は小柄で線が細く、左目に眼帯をしていた。肩までの黒髪が、この教室のメンバーからは浮いて見える。というか、茶髪の二人の方が本当は校則違反なのだが。結局春彦は、黒髪の女生徒より少し遠い席に座った。それにしても、
「なんだよ、自殺部って」
先ほどから思っていた疑問を、ようやく口にする。黒髪の女の隣に、赤茶色の髪をした女が座った。回転椅子に座っていた高宮が、両足をテーブルに乗せて言う。
「だから、自殺部。死にたいやつらが集まるところー」
何を言ってるんだろうか、こいつは。言ってる意味は分かるが、理解に苦しむ。
「私たちが作ったのよ、自殺部。いい名前でしょ」
赤茶色の女が頬杖をついてこちらを見ながら言う。まあ、と付け加えるように言う。
「おおっぴらには言えないけど」
なんていう部活だ、と思う。そんな部活がこの世にあるなんて、聞いたことない。高宮が自慢げな顔で、左手を顔の前でぷらぷらさせた。その手には、会議室のカギ。
「俺はさ、ちょっとしたコネでこの会議室のスペアキーを譲り受けたってわけ。この会議室Cは、本当は登山部の活動場所だったって話だ。まー、登山部は去年潰れたらしいけど。この自殺部はとりあえず、公には存在してないことにしてる。学校からは非公認だし」
当たり前だ。こんな無茶苦茶な部活が公認されていてはたまらない。
「だけど自殺部はこうやって存在してる。で、部員募集中だったってわけ。お前さ、死にたがりの部類だろ?」
高宮の決めつけっぷりにカチンとくる。春彦は思わず反論した。
「そうだと言った覚えはないね」
「あんたの元同級生から、色々聞いたんだけどな」
「だからそれは知らないって言ってるだろ」
「人殺しだとかなんとか?まあその辺はどうでもいいよ」
高宮は本当にどうでもよさそうな声でそう言った後、持っていた鍵を手首にぐっと押しあてる真似をした。
「でもこれは本当だろ?お前の手首にさ、切った傷跡があるっての」
「…。」
先ほどからこちらには大して興味なさそうだった黒髪の女が、片目でこちらを見てきた。
「それだけで十分。お前は堂々と、ここの部員だって言える資格があるぜ」
非公認のとんでもない部活のことを、堂々と言えるか。春彦は内心で突っ込む。
「俺たちは3人は全員、死にたがりだ。この2人と俺は、同じ中学出身。ちなみにこっちの二人は、1年3組だ」
高宮のその言葉を聞いて、春彦は改めて部屋の中にいる生徒の顔を見た。派手そうな赤茶色の髪の女、大人しそうな黒髪の女、そして、チャラい高宮。こいつらが全員、死にたがり?とてもじゃないが、そんな風には見えない。
「瀝が強引でごめんね。でも結構いいやつよ、これでも」
と言ったのは、赤茶色の女。
「これでもは余計だ」
「よろしくね、シオン。私は相葉理奈。リタってのがあだ名なんだけど、呼びにくいからそのままリナでいいよ」
高宮の突っ込みを無視して、相葉は自己紹介をした。春彦はこの部屋に入るまで、彼女に掴まれていた腕のことを思い出していた。お前も大概、強引だと思うが。
そう思っていると、先ほどまで一言も発していなかった黒髪の女が声を出した。その声は高くも低くもなく、透き通ったようなか細い声だった。
「…坂東優子。…ユウ」
一瞬、「ユウ」は何かと考えて、あだ名のことだと察した。俺はさっきからシオンと呼ばれているし、相葉は自分のあだ名はリタだと言った。そして坂東は、ユウ。多分、これは…
「んでんで、俺が高宮瀝!俺はそのままレキって呼んでちょ」
「…レキソタン、か?」
春彦の問いかけに、高宮も相葉も目を丸くした。坂東は相変わらず暗い目をしていたが。
「なにお前、向精神薬の名前とか知ってんの?」
向精神薬とは、睡眠剤や精神安定剤などの総称である。心療内科や精神科で処方される薬の類だ。春彦はその薬のことを知っていた。
「レキソタンはベンゾジアゼピン系の精神安定薬、相葉のリタってのは…リタリンのことかな?ナルコレプシー(眠り病)に用いる薬だ。坂東のは…ユーロジン?」
「違う。ユーパン」
と訂正したのは、坂東本人だった。
「ということは俺のはまず間違いなく、催眠鎮静薬のハルシオンからとってるよな」
「アタリ。すげーよお前。自殺部員にふさわしいわ、マジで」
高宮が感嘆したような声を出した。その声を聞いて、春彦は余計な知識を披露してしまったと少し後悔した。
「お前も飲んでるのか?」
「いや…」
膨大な薬を処方されていた、『彼女』のことを思い出す。薄暗い部屋。痩せた身体。彼女の最後の―…
「無事に自己紹介も済んだし!明日…つまり土曜にさ、懇親会みたいなのも兼ねてどっか行こうかと思ってるんだけど」
春彦を現実世界に呼び戻したのは、高宮のこの言葉だった。
「俺は行かない」
「なんで。なんか用事でもあんのか」
「この部には入部しない」
「はあ?何をいまさらー」
今更も何も、無理やりひっぱっ来たのはそっちだろう。
「とりあえずさ、土曜の懇親会だけでも出ろよ。この部活、どうせきちんと活動しないから。集まりたいやつが集まる部活だから、いつ顔出してくれてもいいし休んでくれてもいい。だけどとりあえずさ、最初くらい足並みそろえようぜ」
「だから、入る気ないって…」
「私、遊園地に行きたーい!!」
春彦の否定文をさえぎって、相葉が叫んだ。
「オッケ。んじゃ、みさと遊園地に決定な」
高宮がさっさと目的地を決め、じゃ、今日は解散しようかと言い始めた。
「おい、レキ…」
思わず呼んでしまって、ギョッとする。高宮は…レキは、笑っていた。よく見ると、相葉も笑っている。坂東は黙ってこちらを見つめていた。
「あたしはリナね。相葉じゃなくて。あと、この子はユウだから」
「んじゃなシオン、明日絶対来いよ。10時集合な」
そう言うとレキは、春彦の肩をぽんと叩いて部屋を出て行った。
「遅れないでね!」
と言い残し、リナとユウも出て行ってしまった。
面倒なことになった。と、春彦は苦笑した。