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早朝の電車に揺られていると、携帯が震えた。レキからだった。
『今日はちゃんと早起きしたぜ!!』
珍しく、絵文字付きだった。よかったなとだけ返信する。それから頬杖をついて、窓の外の景色を眺めた。どんどん都会からは離れて、海の方へと向かっている。海の近くにある、姉の墓へ。
この日のことは、去年のあの日から決めていたことだ。
姉が部屋に引きこもるようになってから、2年が経っていた。窓どころかカーテンも開けないこの部屋は、季節すらろくに分からない。ただ、寒いので暖房器具をつけてあった。そう、季節は冬だった。
「姉さん」
声をかけると、痩せこけた姉が振り返った。そして少しだけ、笑った。
「ハル」
「姉さん、誕生日おめでとう」
その日は姉の誕生日だった。姉は一瞬複雑そうな顔をしてから、「ありがとう」と言った。
「何か食べたい物とかない?プレゼントとか、さ」
姉はしばらく考えてから、首を横に振った。
「ないよ」
「…そっか。なんでもいいんだ。思いついたら言って」
春彦はベッドのそばにある机に置いてあったリンゴを手にとって、椅子に腰かけた。パーカーのポケットから果物ナイフを取り出して、リンゴの皮をむく。姉はしばらくその様子を眺めてから、小さな声で呟いた。
「…てほしい」
「え?」
皮をむく手を止めて、姉の方を見上げた。
姉は無表情だった。そして、カラカラに乾いた声で、言った。
「殺して、ほしい」
春彦の頭が真っ白になった。今、姉さんは何と言った?春彦はその言葉を、頭の中でもう一度繰り返そうとした。
「殺してほしい。死にたい」
春彦が頭の中で繰り返すのよりも早く、姉が呟く。先ほどよりも感情のこもった声だった。
「…やだよ」
やっと出てきた言葉は、たったこれだけ。でもこれを言うのが、その時の春彦にとっては精一杯だった。姉は春彦の言葉が聞こえているのかいないのか、独り言のようにつぶやき続ける。
「花は綺麗。ガラスも。そのナイフも。ハルも。みんなみんな好き。だいすき。…だけど私は汚いから。もういらないの」
「そんなことない。そんな…」
春彦はリンゴとナイフを机に置くと、姉のもとに近寄り抱きしめた。それしか、自分にできることはなかった。
「だめだよ」
姉は力なく言った。
「汚いから。ハルが汚れちゃう」
「姉さん…」
春彦は泣いていた。その涙を見て、姉はほほ笑んだ。
「涙、綺麗。ハルも綺麗だよ。私は、私はね。いらないの」
「そんなことない。俺には姉さんが必要だよ」
「…ありがとう。でもね」
姉はほほ笑んだままだった。
「私は、私のことを必要としてない。いらないの」
その日から姉は、たびたび「死にたい」と言うようになった。春彦は刃物や薬など、危険なものはできるだけ隠すようにした。姉が自殺してしまうのではないかという不安が、常に心のどこかにあった。
その日は終業式で、学校は午前中で終わりだった。家に帰ったらクリスマスの準備をしよう、そして姉と二人で笑おう。冬休みは出来るだけ、姉のそばにいよう。そう思っていた。
買い物をしていたら、思った以上に時間がかかってしまった。帰宅した春彦は、真っ先に姉の部屋へと向かった。ノックしてドアを開けると、何かが足に当たった。それは、姉が瓶の中に入れて飾っていたはずのビー玉だった。足に当たったビー玉はころころと、ベッドの方へと転がっていく。
瓶が割れて床一面にビー玉の散らばっている部屋は、なぜかとても非現実に見えた。