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店内の温かい色の照明を反射して、テーブルの上のビー玉がキラキラと光った。ひとつ手にとって、照明にかざしてみる。姉は子供のころからそうやってビー玉を見るのが好きだった。綺麗だから。
一日の大半を薄暗い部屋で過ごすようになった後も、ビー玉を眺めていることがあった。
その時の綺麗な姉の横顔を、今でも鮮明に覚えている。
「お前、ここんとこ常連だな」
ビー玉から目をそらす。ドリンクとナゲットを持ったレキがそばに立っていた。
このファーストフード店はレキのバイト先で、春彦の行きつけの店になった。最近では毎日、夕方に食べに来ている。レキがシフトに入っている時間帯なので、会うことも多かった。
「毎日で飽きないか?」
レキはなんの確認もせずに、春彦の向かい側に座った。
「別に。それにここなら、お前がおまけしてくれるだろ」
レキは慌てて人差し指を立てて口元に持っていくと、店内を見渡した。春彦のポテトやナゲットを勝手に増量していることは、店長はおろか他の従業員にも秘密にしているらしい。
「あんまりでっかい声で言うなよ。バレるだろ」
「お前今日、仕事は?」
「終わったよ。お前、何時間居座るつもりだ」
レキに笑われて、改めて腕時計を確認する。気付けば21時を回っていた。入店したのは確か、18時頃だったはずだ。気付けば3時間以上この席に座っている。
「まあ、別にいいけどな。どうせこの店も暇だし」
レキが揚げたてのナゲットを口に放り込んで、「あっちい!!」と叫んだ。自業自得だ。
慌ててドリンクを飲みながら、レキはテーブルへと視線を落とした。
「なんだこれ」
ビー玉の方に顎をしゃくりながら、不思議そうに言った。
「…ビー玉」
「見りゃわかるよ」
レキが笑いながら、ビー玉を手に取る。
「何してたんだよ、これで」
「遊んでた」
それを聞いたレキはビー玉と春彦を見比べながら、釈然としない様子で「ふうん」とだけ言った。深く追求するつもりはないらしい。その方が、ありがたかった。
何日か連続でこの店に足を運んだ時は、さすがのレキも不思議そうだった。
「お前、家で飯食わねえの?」
「…家に誰もいないからな」
とだけ言うと、少し間をおいてから「そうか」とだけ返してきた。その日から、ポテトやらナゲットやらソフトクリームやらがやたらと増量されるようになった。
小学校低学年の時に母が死に、それからは姉と二人で生活してきた。父は、母が生きている頃からめったと家には帰ってこない人だった。休日ですら何かにとり憑かれたかのように仕事をしている父の後ろ姿を、子供のころに何度か見たことがある。母が死んでからはますます家に寄りつかなくなり、毎月の生活費を渡すときだけ帰ってきて、後はどこかへ行ってしまう。そんな父親だった。
年の離れた姉は、まるで母親のようだった。家事全般をこなしながら自らも働いていた。姉は明るい性格で、いつも笑っていた。春彦の授業参観にも来てくれたし、暇があれば遊びに連れて行ってくれた。本当に、母親のような姉だったと思う。
姉はビー玉を、ジャムの入っていた大きなガラス瓶に入れて飾っていた。時々蓋を開けてはビー玉をひとつだけ手にとり、光に照らしながらそれを眺めていた。
その姉が壊れ始めたのは、いつからだっただろうか。
「…シオン、聞いてたか?」
その声で春彦は我に返った。手にビー玉を持ったまま、思い出にふけっていたらしい。
「ごめん。なんだったっけ」
「もうすぐ冬休みだろ。その前に4人でどっか出掛けないかって話だよ。冬休みってどこもかしこも混むしさー。俺、ちょうど明日はバイト入ってないんだ。リナ達もあいてるって言ってたし。春に遊園地行っただろ?あそこが候補なんだけど」
「ああ…」
春彦はビー玉を手で弄びながら、
「明日は用事がある」
「え、そうなのか」
「ああ。だから、3人で行ってきてくれ」
「んー。4人で集まった方が面白いんだけどな」
「次の遊びには参加するよ。どうせリナ達は、明日行く気満々だろ?」
春彦は笑った。彼女たちが遊園地ではやたらと積極的だったのを思い出した。レキも思い出したらしく、苦笑いした。
「まあな」
「明日は、薬飲みすぎるなよ。遅刻したらまた怒られるぞ」
「分かってるっつうの」
レキがまた苦笑いした。それから、春彦の目を見ながら真剣な顔をした。
「なんかお前、大丈夫か?」
春彦は弄んでいたビー玉を机の上に置いた。ガラスがテーブルに当たる、カツンという音がやたらと大きく聞こえた。
「…大丈夫かどうかは分からないが、どうにかなるだろ」
「そうか」
レキはそれだけ言って、ナゲットを口に放り込んだ。もう冷めていたらしく、一口で食べても平気だったらしい。
「…何も訊かないんだな」
春彦は、すっかり氷の溶けたアイスコーヒーを飲みほしながら言った。
「…聴いてほしいのなら、聴く」
その言葉を聞いてから、空になったドリンクカップをトレイの上に戻す。
「いや、いい」
「言いたい時はいつでも言ってくれていい。だけど、言いたくないときは言わなくていい」
そう言い残すと、ドリンクを持ったままレキは立ち上がった。
「悪いな。俺はそろそろ帰る。お前も早く寝ろよ」
「ああ。リナとユウによろしく言っといてくれ」
手をあげながら歩くレキの後ろ姿に言うと、レキがふいにこちらを振り返った。そして
「死ぬなよ」
冗談めかしたような声で言った。ただ、目は真剣だった。
「わかってる」
春彦の返事を聞いて、ふっと笑った。
「じゃあな。またメールすっから」
「ああ」
レキがいなくなってからもしばらく、春彦は店内でぼんやりとしていた。
明日は、姉のところに行く。これはもう、1年前から考えてたことだ。