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翌日、ユウは学校を無断欠席した。適当な点呼を取る担任はさしてそのことを気にする様子でもなく、さっさとホームルームを終わらせて教室を出て行った。リナが気にしたのはユウが無断欠席したことではなくて、昨日の最後の言葉だった。
「じゃあな」
彼女は確かにそう言った。しかも、こちらを見ないで。
リナは具合が悪いと嘘をついて教室を抜け出すと、ユウの携帯に電話した。しかし出ない。あっという間に留守番電話サービスに接続されてしまい、リナは諦めて電話を切った。代わりに「今どこにいるの?」とメールをする。なぜか、家にいない予感がしていた。
ユウは事情があって、祖母と二人暮らしをしている。一度だけユウの家に遊びに行ったことがあるが、優しくて真面目そうなおばあさんだった。あのおばあさんが無断欠席を許すとは思えない。もしかしたらユウは、学校に行くふりをしてどこかに出かけたんじゃないだろうか…。おばあさんに確認したいところだが、ユウの自宅の電話番号までは知らなかった。
授業中も、漠然とした不安がリナに付きまとった。まさか、まさか。
結局2時間目の途中でリナは早退し、ユウに何度か電話をかけた。呼び出し音のなる時間が、とてつもなく長いように感じる。
何度目かで、ようやく繋がった。受話器の向こうで、風が強く吹く音が聞こえる。明らかに屋内ではなかった。
「ユウ!?いまどこ!!」
一番聞きたかったことを、真っ先に問いただす。だが、返事がない。
「ユウ…?」
風の音とともに、何かを叫ぶような声が聞こえる。ユウは今どこにいるのだろう。続く沈黙が不安で、リナは何も聞き逃さないようにと、携帯を自分の耳に強く押しあてた。
酷いノイズの中で、ようやく聞こえたユウの声はたった一言。
「ごめん」
いつもと変わらない静かな口調で、ただはっきりと、そう言った。
「え?」
そう返したときには、既に通話が切れていた。
水曜日の5、6時間目は美術。春彦はこの時間が一番嫌いだった。彼は、致命的なくらい絵を描くのが下手くそだった。今回のお題は石膏のデッサン。のはずである。
ようやく5時間目が終わり、春彦はへばっていた。休憩時間にまで熱心に描き続けているクラスメイトを見つめる。よく集中力が続くなあ、と感心していると
「相変わらず味のある絵を描くね。シオン君」
と背後から声をかけられた。振り返ると、そこに立っているのは予想した通り、にやりと笑っているレキだった。
「目の前にある、この石膏を見て描いたんだよな?」
「…ああ」
「それがなんでこんな、モアイ像みたいになってんの」
「…さあ」
「この石膏、そんなに鼻でかくねえし、ホリも深くねえぞ」
「…そうだな」
これでレキも下手くそならば、「お前だって人のこと言えないだろ」と返すところである。ところがレキは、意外なくらいに絵を描くのが上手かった。一度だけ上手いと誉めたことがあるが、幼馴染ほどじゃないと悲しそうに笑う彼を見てから、その話題について触れるのはやめていた。
「しかも胸像をデッサンするのに、顔だけでキャンバスの4分の3埋めちまってるじゃん。どうすんの、この後」
「…どうにかする」
その時、レキの携帯が光った。レキは携帯を取り出して、そのまま通話ボタンを押した。
「もしもしリナか?…どうしたんだそんなに慌てて」
返ってきたのは、隣にいた春彦にも聞こえるくらい大きな声だった。
「ユウを探して!!なんかやな予感がするの!!」
「どういうことだ?今日学校に来てねえの?」
「来てないから言ってるんじゃない!」
リナの慌てぶりに、レキと春彦は顔を見合わせた。おそらくこれ以上訊いても時間の無駄だ。レキはうなずいてから、静かな口調で言った。
「…探すって言っても、探すポイントは絞れないのか」
それを聞いて、リナは少しだけ黙った。何かを思い出しているようだった。それから、
「選挙…」
と自分自身に確認するような小さな声で呟いた。
「え?」
「選挙カーの音みたいなのが聞こえてた。多分、駅の近くだわ!!最近、毎日のように駅前で演説やってるから!」
「分かった。すぐ行く」
レキは電話を切ってから、悔しそうに呟いた。
「駅前とは限らないな。選挙前なんだから、演説なんざあちこちでやってる」
「それでも行くんだろ?俺も行く」
春彦は手に持っていた鉛筆を机に置くと、立ち上がった。
「いいのか?さぼりってことになっちまうけど」
「構わない」
春彦は、昨日見た光景を思い出していた。何かに取りつかれたかのように、チョコ菓子を食べていたユウを。