2
会議室に充満している甘ったるいにおいに、春彦は驚いた。そこにいたのはユウ一人だけ。チョコレート菓子を食べていたユウは、ノックもせずにドアを開けた春彦に驚き、それから一瞬だけしまったという顔をした。春彦は唖然とした。机の上にあったお菓子の空袋は、尋常な量ではなかった。
ユウはごみをかき集めて立ち上がると、ドアの前で立ち尽くしている春彦の横をすり抜けて走って行った。ちょうど後ろから来ていたリナにぶつかったらしく、「わ!」と言うリナの声が廊下に響いた。
「…食欲の秋、か?」
後からやってきたリナは春彦のそのひとりごとを聞いて、顔が曇った。
「あの子、何してた?」
「なんかお菓子食べてたけど」
「…。」
リナの様子がおかしい。自分が何かまずい物を見てしまったような気がして、春彦は押し黙った。何となく気まずいので、窓を開けようと部屋の奥へと歩いていく。開けた窓からは、少しひんやりした秋の風と、部屋のそばにあるイチョウの木の葉が舞い込んできた。
「最近、ユウの様子おかしいよな」
気になっていたことを、声に出してリナに尋ねた。本人には尋ね辛かった。
「…そう?」
「ああ、なんかいつもフラフラしてるっていうか。顔色悪いし」
「…かなあ」
その時ちょうど、春彦の携帯が鳴った。初期設定のままの呼び出し音は、部屋の中で必要以上にうるさく響いた。
「おう、レキ?…ああ、分かった」
必要最小限の会話をして、電話を切る。
「今日レキ、バイトがあるから来ないって」
「…そう」
大きな風が入りこみ、カーテンがバサッという音を立てた。以前自分たちが崩してしまったプリントの束は、リナがきっちり棚の中に整理していたので、少々の風では崩れない。
「今日はもう帰ろうか」
言いだしたのは、リナの方だった。
「え?」
「ユウもなんか体調悪そうだし。私も今日は用事があるから」
リナはユウが放りっぱなしにしていた鞄を持ち上げると、ドアに向かって歩き出した。
「…じゃあね」
「ああ。…ユウによろしく」
リナが出て行き、一人きりになった春彦は窓をそっと閉めた。暴れていたカーテンが、途端に大人しくなる。
部屋の中にはまだ、甘ったるいチョコレートの匂いがかすかに残っていた。