↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

◯活

A「就活」

作者: 三田智
掲載日:2026/10/27

大学のキャリアセンターの説明会会場。


薄暗いホールに、スクリーンが映っていた。


「当社は、グローバル金融サービスの提供を通じて、顧客のニーズに応え続ける企業です」


説明者の男性はそう言った。新卒採用の担当者らしい。スーツがぴったりしていて、笑顔が作られているように見えた。でもそれが普通なのだろう。


会場の大半の学生が、ペンを握っていた。


俺の隣に座った女の子は、一字一句逃すまいと、一生懸命メモを取っていた。手が真っ直ぐで、背筋も伸びていた。その横顔には、真摯さがあった。


俺はペンを握ったまま、紙に何も書けなかった。


「グローバル金融サービス」


その言葉が、何を意味しているのか、わからなかった。


グローバル。金融。サービス。どれもこれも、俺の人生と何の関係があるのか。


そんなことを考えてしまったから、説明者の言葉は耳の中を素通りしていった。


隣の女の子は相変わらずメモを取り続けていた。


その時、俺は思った。


この子は、わかっているんだ。世界のルールを。社会のルールを。だから、自分の道が見えているんだ。


でも俺は、ここでペンを握ってるのに、何を書けばいいのか、わからない。


なぜ就職しなければならないのか。


その根拠が、わからない。


説明会はあと30分続いた。


スクリーンは、会社の数字や実績を映していた。売上高。従業員数。平均年収。オフィスの写真。若そうな社員たちが笑顔で並んでいた。


どれを見ても、「グローバル金融サービス」という言葉の意味は、増してこなかった。


だから、俺のペンは、相変わらず紙に何も書かなかった。






説明会が終わると、すぐに会場から出た。


トイレに行った。水を飲んだ。頭がぼんやりしていた。


会場を出た後、キャリアセンターの外のカフェに入った。コーヒーを頼んで、席に座った。


窓の外の風景を眺めていたら、座ったばかりの隣の席に、誰かが座ってきた。


「さっき説明会でしたよね?」


振り返ると、女性だった。元気よさそうな雰囲気で、笑顔で話しかけてきた。


「あ…そうですね」


「私も今から別の説明会なんですけど、ちょっと時間あるので。よかったら、情報交換しませんか?」


彼女は、テーブルの上に資料をいくつか広げた。


会社名。業界。福利厚生。年収。業界用語まで、彼女はいろいろな言葉を知っていた。


「私は、マーケティングに興味があるので、そういう会社を中心に受けてるんですけど。あなたは、どんな業界が好きですか?」


彼女の質問は、目線が優しかった。


俺は、その質問に答えられなかった。






その後、何社か説明会に行った。面接も受けた。


何社かは落ちた。


1社目の落選通知を見た時、心臓がしめつけられた。


落ちた。


それだけで、十分だった。


次の面接の前夜、眠れなかった。枕に頭をつけたまま、天井を見ていた。


あのカフェの女性は、どんな感じで面接を受けてるんだろう。


親には、どう報告するんだろう。


親。


その言葉が頭をよぎった。


家に帰ると、母が言った。


「説明会、どうだった?」


その質問に、どう答えるべきか、わからなかった。


だから、「まあ、頑張ります」と言った。


でも、本当は言いたかった。


「母さん、俺、やりたいことがないんだ」


「なぜ就職しなければならないのか、わからないんだ」


でも、言わなかった。


なぜなら、母の「頑張ってね」という笑顔が、それを許さないから。






2社目も落ちた。


3社目も落ちた。


その度に、焦りが増していった。


SNSを見ると、同じ大学の友人たちが、「内定もらいました!」と書いていた。


それを見る度に、心が沈んだ。


あいつより、俺の方がマシなのに。なぜ?


あいつは、本当にやりたいのか。それとも、親に言わされてるのか。


そんなことを、悪く考えるようになってしまった。


でも、それは、嫉妬だった。






面接の度に、俺は『いい子』を演じた。


「やりたいことは何ですか?」と聞かれて、「社会貢献です」と答えた。


本当は、そんなことを考えたことすらなかった。


でも、答えた。


「なぜこの業界なのですか?」と聞かれて、「成長性があると思ったから」と答えた。


本当は、「親が『安定してる』と言ったから」だった。


でも、言わなかった。


面接の度に、『言いたくないこと』を言わされるような苦しさが、心に溜まっていった。


それは、毎日毎日、自分の心を『ゴミ箱に捨てる』ような感覚だった。






その中で、その企業との出会いがあった。


説明会の時から、何かが違った。


「当社は、ITとデジタルの力で、社会をより良くすることを使命としています」


その言葉が、心に『刺さった』。


会場の他の学生の反応も違った。


みんな、一生懸命、メモを取っていた。


あ、この場所には、『本気の人』がいるんだ。


俺も、その『本気』に、触れたい。


その気持ちは、切実だった。


だから、その企業を『特別』だと思った。


いや、その企業を『救い』だと思った。






その企業の面接官は、確かに『違った』。


「最近、20代の人の中でこういう活動をしてる人、見かけませんか?」


その質問は、優しかった。


強制ではなく、『あなたの考えを聞きたい』という姿勢が、伝わってきた。


その時、俺の心は『開いた』。


この人は、俺の本音を聞きたいんだ。


この企業は、本当に『俺』を見てくれてるんだ。


その幻想は、甘かった。


というより、その幻想が『必要』だったんだ。


数社の落選で、心が『空っぽ』になっていた時に、その幻想は『水』のようだった。


だから、それに、すがった。






最終面接に進んだ時、俺は『全力』で『いい子』を演じた。


いや、その時点では、それが『演じること』だと、気づいていなかった。


本当に、それが『自分』だと思い込んでいた。


「5年後、どうなりたい?」と聞かれて、「会社の成長に貢献できる人になりたいです」と答えた。


その言葉を口にした時、その企業への『幻想』は、完全に『現実』に変わった。


あ、この企業なら、大丈夫だ。


俺は、ここでやっていける。


その確信は、『落選の恐怖』から逃げるための、『逃避』だった。


でも、その時は、そんなことは、考えもしなかった。






内定をもらった時、心が『ふわり』と浮いた。


親に報告すると、母は喜んだ。


「頑張ったね」


その言葉を聞いた時、初めて『安心』できた。


でも、その『安心』の代価として、俺は『何か』を失っていた。


それが何かは、当時、わからなかった。






周囲から、「ブラックらしいよ」と聞いた時、俺は、その情報を『削除』した。


いや、『信じたくなかった』。


なぜなら、もし、それが本当なら、『俺の判断』が『間違い』だから。


そして、『間違った判断』をした『俺』を、認めたくなかったから。


だから、その企業の『いい部分』だけを、『メガネ』のように、かけた。








入社して、1ヶ月目。


営業訓練の教科書に書いてあった。


「顧客のニーズを引き出し、最適なソリューションを提案する」


でも、実際の営業先では、違った。


年寄りの夫婦に、「この商品は、あなた達の『老後を守る』ものです」と説明した。


でも、その『老後を守る』という言葉は、『嘘』だった。


本当は、『高額な利益を俺たちに与える』商品だった。


その時、心が痛んだ。


でも、上司は、そのシーンを見て、「いい説明だ」と褒めてくれた。


その褒め言葉が、余計に、心を『蝕んだ』。






3ヶ月目。


残業が多かった。毎日21時。時には23時。


帰りの電車の中で、母からのLINEを見た。


「今日も遅かった?無理しないでね」


その言葉を見た時、胸が『つぶれるような』感覚を覚えた。


母は、『安定した企業』に入ったから、『安心』してくれてるんだ。


だから、俺は、『安定』を失うことはできない。


だから、残業も、我慢しなければならない。


その『鎖』は、『愛情』の名の下に、俺を『閉じ込めた』。






6ヶ月目。


営業訪問で、年寄りの母親に、「この商品なら、お子さんに『迷惑』をかけずに、『遺産』を残せます」と説明した。


その時、その母親の『不安そうな顔』が、俺の『母親の顔』に『重なった』。


あ、俺は、この『母親』を騙してるんだ。


そして、俺の『母親』も、誰かに『騙されてる』かもしれない。


その時、初めて、俺は『社会』という名の『騙し合い』を、『体験』した。






1年目。


営業ミーティングで、上司が言った。


「今月の目標は、○○万円。頑張れ」


その言葉を聞いた時、何かが『引っかかった』。


いや、『引っかかった』ではなく、『合点がいった』。


この企業は、『社会をより良くする』ために、営業をしてるんじゃなくて、『売上を上げる』ために、営業をしてるんだ。


そして、俺は、その『売上』のために、『心』を売ってるんだ。


その瞬間、俺は『目が覚めた』。


いや、『目が覚めた』のではなく、『気づいた』。


『気づいた』のではなく、『認めた』。


何を『認めた』のか。


俺は、『騙す側』になっていた。






1年と1ヶ月。


俺は、会社を辞めた。


親に報告した時、母は、黙った。


そして、数秒後に、「何か理由があるなら、聞くけど」と言った。


俺は、何も言わなかった。


なぜなら、『何が正しいのか』わからなくなったから。


会社が『悪い』のか。親の『期待』が『悪い』のか。それとも、『俺の判断』が『悪い』のか。


全部が『悪い』のか。全部が『正しい』のか。


わからなかった。






辞めた後、3ヶ月が経った。


毎日、何もしなかった。


ベッドの中で、スマートフォンを見た。


SNSには、同じ大学の後輩たちが、『企業研修』の様子を投稿していた。


一人の女性は、「新卒研修、頑張ってます!」と書いていた。


その女性の『笑顔』が、『本物』なのか『演技』なのか、わからなかった。


でも、その投稿を見た時、変な感覚を覚えた。


あ、『俺』も、あのタイミングで、あの『笑顔』を投稿していたかもしれない。






その夜、スマートフォンを開いた。


採用サイトをいくつか見た。


最初に見たのは、『IT企業』のサイトだった。


「デジタルの力で、社会をより良く」


その謳い文句が、画面に『輝いて』いた。


俺の指は、『詳細を見る』ボタンに、伸びていた。


その時、俺は、『何か』を思い出そうとしていた。


でも、思い出さなかった。


いや、『思い出さなかった』のではなく、『思い出すことを、拒否した』。


指は、ボタンの上で止まった。


でも、次の瞬間、クリックしていた。


『説明会日程』が、表示された。


来月の15日。


その日程を見た時、『何か』が、『蘇った』。


でも、『何か』が『蘇った』ことすら、『認識しなかった』。


俺は、その日程を、『お気に入り』に登録した。






その時、俺は、『気づいていなかった』。


気づいていなかった、というより。


気づくことを、『拒否していた』。


『拒否していた』、というより。


『忘れることを、選んでいた』。







ベッドの上で、スマートフォンを『消した』。


俺は、その日程を『お気に入り』に登録した。


明日も、何もしないだろう。


明日も、『何もしない』ことを『選ぶ』だろう。


でも、俺は既に『選択』をしていた。


『次の説明会』へ行くことを。


『社会をより良くする』という言葉に惹かれることを。


『自分を騙す』ことを。


その『選択』の中で、誰が得をしているのか。


企業か。親か。社会か。





それとも、俺か。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。