お嬢様の影武者にされた使用人ですが
「うん、バッチリですわ! あなたを一目見た時から、お化粧をすればわたくしソックリになると思ってましたの!」
お嬢様はそう言って顔を綻ばせた。
彼女の名前はグレイス・バトラー。バトラー侯爵のひとり娘で、私が仕えている令嬢でもある。
お嬢様は私に彼女の薄ピンクのドレスを着せ、手にレースでできた扇子を握らせた。
「そう、その扇子で口元を隠すのです。お化粧でも鼻先と唇の形は誤魔化しきれませんもの。でも、化粧を施した目元はまるでわたくしそのものですわ! これで今夜の舞踏会に行ってくださいまし」
「お嬢様、やはりこの作戦には無理がありませんか……」
私はげんなりしてお嬢様の目を見た。
しかし、彼女は今までに見たこともないほどにイキイキとしている。
「大丈夫ですわ! 今夜の舞踏会、ローレンス様は出席しないらしいんですの。ですから、あなたは壁の花としてニコニコとしていればいいのです。とりあえず舞踏会に出たという実績を作ってくださればそれでいいのですわ」
なんとお嬢様は、自分の代わりにドレスを着て舞踏会に出ろ、と使用人の私に命じたのである。
ちなみに、ローレンス様というのはお嬢様の婚約者だ。今日は国外から来た客をもてなすとかで、彼は舞踏会には出ないことになっている。
さすがに婚約者が来たら私の変装は見破られるだろうが、そうでなければ誤魔化せるはず! というのがお嬢さまの言い分である。
「もしダンスに誘われたら、足を怪我していると言って断るのです。それから、もし声がおかしいと指摘されたら、風邪を引いていると言って誤魔化すのです。そうすれば何も問題ありません」
お嬢様はエッヘンと胸を張るが、私には問題しかないように思える。
「お嬢様、何もそこまでしなくてもいいじゃないですか。たかが観劇でしょう?」
私の「たかが観劇」という一言が大そう気に入らなかったらしい。お嬢様は目を吊り上げるようにして声を荒げた。
「いいですか、カナ! 今日はわたくしの推しであるタロン様が出ている舞台の千秋楽なのです! チケットは入手困難なためすっかり諦めていたのですが、観劇仲間のツテでなんとか手に入ったのです! この機会を逃す訳にはいきません!!」
「あのう。その観劇仲間って平民ですよね? 平民だから舞踏会の重要性が分からないんじゃないですか。お嬢様は貴族なんですよ? 社交も大事だと、御父上である侯爵様も常々おっしゃっているじゃないですか」
「推し活仲間に貴族も平民も関係ありません! 友人はわたくしのためにチケットを用意してくれたのです! この恩を無碍にはできません。誰に何を言われようとも、わたくしは観劇に参ります。カナはしっかりわたくしの代役を……いいえ、影武者を務めてくるのですよ」
◇
そうしてお嬢様に馬車に押し込められ、舞踏会の会場となっているとある伯爵家の屋敷にやってきた。
絶対バレるだろ……と思っていたものの、お嬢様は普段から扇子を愛用しているため、私が扇子で常時顔を半分隠していても、誰も何も怪しまない。
お嬢様のアドバイス通り、男性からのダンスの誘いは足の怪我を理由に断り、たまに他の令嬢から声の違いを指摘されれば、風邪なんですと言って誤魔化した。
意外と皆それ以上は追及してこなかったため、私は壁の花として自分の役目を全うすることができていた——この瞬間までは。
ダンスホールの中を優雅に舞うカップルたちの向こうで、木製の扉が開くのが見えた。
そこからホールへと入ってきたのは、なんとお嬢様の婚約者であるローレンス・サロウだった。彼は公爵家の長男で、輝くような銀髪の美青年だ。
ローレンスは私の姿を見つけるやいなや、こちらに歩み寄ってくる。
まずい! 非常にまずい!
私がお嬢様の影武者として成り立っていたのは、あくまでも婚約者のローレンスが欠席であるという前提条件が必要なのだ。おまけに今日はお嬢様と仲の良い令嬢もいなかった。だから扇子で顔を半分隠せば誤魔化せていたのだが、ローレンス本人が現れてしまった以上、もうこの作戦を続けるのには無理がある。
「やあ、グレイス! こんな壁際にいるなんて、珍しい。誰とも踊らなかったのかい?」
「おほ、おほほ。ちょっと今日は足が痛いんですの」
私は必死にお嬢様の声色を真似て答える。
「おや、それに今日は声がおかしくないかい?」
「おほほ。少し風邪をこじらせてしまいましたの。ゴホンゴホン」
私は扇子を顔に押し付けるようにして言った。
無理だ。これ以上は誤魔化せない。
「ああ、なんだか熱も上がってきた気がしますわ。せっかくローレンス様がいらしたばかりですのに。残念ですが、わたくしはこの辺で……」
私がドレスをひるがえして立ち去ろうとすると、ローレンスが私の手首を優しく掴んだ。
「グレイス……」
やめて! そんな哀愁の漂った目で見ないで! っていうかそんなに見つめたら偽物ってバレちゃうからもう見ないで!
「グレイス、君は今日も僕にそっけなくするのかい」
「はぁ?」
私がお嬢様に雇われたのはひと月ほど前のことだ。
お嬢様の交友関係や婚約者などの情報は一通り頭に入っているが、彼女が婚約者に対してどう振舞っていたのかは知らない。親同士が決めた婚約ではあるものの、それなりに仲良くやっていると本人からは聞いていた。
しかしローレンスが私を見る眼には、哀愁に加えて、うっすらと悲壮感が漂っている。
あれ、もしかしてお嬢様って婚約者を毎回冷たくあしらってたりする?
「おほほ、そんなことありませんわよ。でも、今日は本当に体調が思わしくなくて……」
私は悲しそうに目を伏せてみた。
体調を理由にすれば、しつこく付きまとったりはしないだろう。
よし、さっさと帰ろう——と思ったが。
「ローレンス様? あの、手を離してくださいませんこと……?」
「嫌だ! 離したくない!」
なんと。ローレンスは先ほどよりも強い力で、がっちりと私の手首を掴んでいる。
かと思うと、急に指を絡ませてきた。
やめろ! 私はお嬢様ではない!
その時、ダンスホールに響き渡る音楽の音が、一回り大きくなった。
新しい曲が始まったらしい。しっとりとした静かな曲から、賑やかな明るい曲へと変わった。
そのせいで、お互いの声が聞き取りづらくなってしまった。
案の定、ローレンスは私の耳元に近づいて口を開く。
「ここは騒がしい。外のテラスへと行こう」
行きたくない! 帰らせて!
◇
ローレンスに連れられ、外のテラスへと出る。
夜風が私たちの髪を優しく撫でた。
ガラスの扉ごしに、ダンスホールの中で響くメロディがふんわりと聞こえてくる。
「やっと二人きりになれたね」
月明かりが、満足そうに微笑むローレンスの顔を照らす。
もう満足したんだったら私を帰らせてほしい。
けれど、今日の私はお嬢様の影武者としてここに来ている。
あまりに不審な行動を取る訳にはいかない。
適当に会話をして、それからやはり体調が思わしくないと再度伝えて帰ることにしよう。
幸い、バルコニーは薄暗い。私がお嬢様本人でないこともバレにくいだろう。
私は扇子を少し口もとから外し、ローレンスに尋ねた。
「今日はローレンス様はいらっしゃらないものだとばかり。国外からのお客様をおもてなしされてたのではなくて?」
「そうなんだ。隣国のとある要人が休暇でこちらへいらっしゃっていて。なかなか興味深い話も聞けたよ。その方は観劇がご趣味だそうだが、グレイス、君も観劇が趣味だったよね?」
「ええ、まあ。今度ローレンス様もご一緒にいかがでしょうか」
「ええ⁉ なんだって‼ まさか、グレイスからデートに誘ってもらえる日が来るなんて‼ 夢のようだ」
月の光に照らされて、ローレンスの瞳がきらきらと光る。
まずい、お嬢様は婚約者をデートに誘ったことも無かったのか。
社交辞令のつもりで言った一言だったが、後々めんどくさいことになりそうな予感がする。
でも私を影武者にして舞踏会に放り込んだお嬢様にも責任はある。
この件は後でお嬢様に丸投げしよう。
「ああ、でも今はデートについて考えるよりも、君の顔をもっとよく見てみたい」
ローレンスの指が私の頬を優しく撫でる。
勝手に触るんじゃない。
私は彼の指をぺいっと払うと、再び扇子を自分の口元にぐぐっと押し付けた。
いくら辺りが薄暗いとはいえ、近くで見られたらそろそろ私が偽物だとバレそうだ。
おまけに、ローレンスはなんだか甘い雰囲気をむんむんと醸し出している。
まさか、キスなどするつもりではないだろうな?
「グレイス、今日という今日は……君との仲をもっと深めたいと思っているんだ」
月明かりに照らされたローレンスの頬が、うっすら赤くなっている気がする。いや、気のせいではない。
「目を閉じて……グレイス……」
「ロ、ローレンス様ぁ。わたくし、今日は風邪気味ですので、これ以上近づくのはお辞めになった方が!」
「もう我慢できないよ、グレイス……」
ローレンスが私の手首をガッチリと掴む。
やめろ! 私はお嬢様ではない!
ローレンスの形の良い唇が、私との距離をみるみる縮めてくる。
「おやめください! ファーストキスなので! 本当に! やめて!」
「嬉しいよグレイス、僕もだよ!」
ダメだ、聞いちゃいねぇ。
私は必死に身をよじるが、ローレンスはお構いなしだ。こうなったら、もうネタバラシをするしかない。
「お゛や゛め゛く゛た゛さ゛い゛! 私は……私はお嬢様ではなくッ……男です……!」
「は?」
ローレンスの動きがピタリと止まる。
私は顔から扇子を離して、顔を上げた。
ローレンスの目がまん丸に見開かれる。
「私は先月からお嬢様に仕えている、カナロスという使用人なのです。私は男性にしては小柄で痩せており、お嬢様は女性にしては背が高くていらっしゃいます。私たちの背格好はかなり似通っているのです。そこに目をつけたお嬢様は、私を影武者にして……」
「ほお。それで、グレイスはどこへ?」
ローレンスの頬がピクピクと痙攣している。
先ほどまでの甘い空気はどこへやら。
彼の口元は微笑みの形を作っているが、目が全く笑っていない。
これは舞踏会に来なかったお嬢様への怒りだろうか。それとも、お嬢様のフリをし続けた私への怒りだろうか。それとも記念すべきファーストキスを私としてしまいそうになったことに対する怒りだろうか。
うーん、全部かも。
「うう、ローレンス様、大変申し訳ありませんでした。お嬢様はいま、国営大劇場の方で、推し活を……」
「推し活」
「ええ、なんでもタロン様という俳優の出ている舞台の千秋楽だとかで」
「千秋楽……ほお。では今日がタロンとやらの、この国での最後の舞台にしてあげようじゃないか!」
◇
「えーん、聞いてくださいまし、カナ! タロン様ったら、演劇の武者修行とかで国外に行ってしまわれたのよ!」
あの舞踏会から一週間後。
お嬢様は自室のテラスに並べられたティーセットの前で、大きなため息をついた。
おそらく、ローレンスが裏から手を回したのだろう。あっという間に役者タロンは国内から消えた。
ローレンスはお嬢様にないがしろにされているが、公爵家のやり手の令息としても有明だ。お嬢様の心を射止めることに関しては全くやり手ではないが、邪魔者を排除するくらいは朝飯前なのだろう。
私がまだお嬢様に仕えているということは、私はまだ彼の排除対象ではないということだろう。
しかし明日は我が身。私はもうローレンスを裏切る真似はしないと心に誓っている。
「お嬢様、タロン様の推し活はここで区切りをつけて、今後はもっと婚約者のローレンス様に目を向けてはどうでしょう」
私は紅茶のお代わりを注ぎながら、お嬢様に進言する。
結局、私が影武者をしていた件がローレンスにバレたことを、お嬢様は知らない。ローレンスはお嬢様に嫌われたくないため、舞踏会をブッチしたことは追求せず、代わりにタロンを消すことにしたのだ。私はそれを黙っているように、かつ今後はローレンスをお嬢様の"推し"に推薦するように、彼から指示されている。
私としても影武者に失敗したことを積極的には言いたくないので、ローレンスに従っている。
「あら、カナったら最近やたらとローレンス様を推してきますわね。舞踏会の日に何かありましたの? あの日、結局ローレンス様もいらっしゃったんでしょう?」
唇を奪われそうになりました、というのは、なんとなく恥ずかしいので内緒だ。
「いえ、何も。ただ、ローレンス様は女遊びをするタイプにも見えませんでしたし、誠実そうだし、お嬢様のことをかなり好きそうだし……」
頼む、お嬢様!
そろそろローレンスになびいてくれ!
そうじゃないと私がこの国から消される!
「まぁね。ローレンス様もいい人だとは思いますわ。でも……私の生きる糧はやっぱりタロン様ですの! ということで、来月はタロンの隣国での初舞台を観に遠征しますから。宿や長距離馬車など、諸々の手配は頼みましたよ」
「……遠征?」
「そうですわ! 侯爵令嬢としての身分は隠して、お忍びで! 貴族として行くと、外交問題など何かとややこしいですもの。あ、それから」
お嬢様はイタズラっぽい目で私を見る。
「来月の舞踏会も、わたくしの影武者をよろしく頼みますわ! もうローレンス様と仲を深めるのも面倒ですから、カナが適当にデートして下さっても」
「無理です! さすがに!」
もうバレてるし!
けれど、お嬢様はそしらぬ顔で紅茶のカップに口をつけた。
ローレンス様の恋心が通じるのが先か、私が消されるのが先か。
私は来月のことを思いやり、ひとり胃が痛かった。




