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人と人の狭間で

作者: イトウ モリ
掲載日:2026/02/15



 ついこの前、好きだった漫画が完結したことを知った。


 最終巻を見つけたので最後まで目を通した。

 作品テーマに準じたいい終わり方だったと思う。


 ここは今から倫理です、というタイトルの漫画だ。


 何故自分の本棚に5巻まであるのか、残念ながら記憶がない。でも買ったのは自分で間違いないと思う。覚えてないけれども。


 どこでどうやって買ったかは覚えていない。

 でもこの漫画と出会った時のことは覚えている。



 高校の頃、倫理の授業が好きだった。たぶん高校の教科で一番好きだったかもしれない。


 社会人になって、もう一度倫理の教科書が読みたいなと思うようになった時期にたまたまネットでタイトルを見かけて、惹きこまれるように読んだ覚えがある。



 どうして私は倫理の授業が好きだったのだろうかと考えてみる。



 考えることが好きな人が(もしかしたら逆に苦痛で苦痛で大嫌いだったかもしれないけれど)、考えなくてもいいようなことを、考えて考えて考えて、血反吐吐くほど考え尽くした先に至った境地のような世界観が好きだったんだと思う。



 うおー! マジこれユリイカじゃね!?

 パネェ! アッハーきたー!

 だから神はもう死んでんだって! 回ってんのは地球なんだって! 分かんねえ奴らだな!



 みたいな。



 そんな天啓が降りてきた先人たちの、血と涙と鬱の結晶が倫理の教科書にはちりばめられている。(ように感じる)


 そんな時代別の真剣10代しゃべり場(ガチ編)みたいなのを、パラパラとドライに俯瞰して目を通すのが好きだった。



 倫理の教科書というものは、今思い返してみると、人間という存在を研究した統計データのインデックスのような役割を持つものだったのかもしれない。


 そこから自分の興味のある研究者や学派、宗教を掘り下げていく――と、表現すると重いので、軽い表現で例えるなら――推しを見つけていくのだろう。


 推しを見つけると、人によってはのめり込んでファンクラブに入ったり、課金をしていくことになると思う。


 思想や宗教は生涯に渡って自身のパーソナリティに影響するものなので、とても重要なファクターだ。

 だから推し選びはたくさん浮気をして、大いに悩んで、これだという相手を見つけるといいと思う。


 良くない相手を推しにしてしまうと身を滅ぼしかねないので、たまには冷静になることも必要だとは思う。


 ちなみに参考までに告白すると私は最推しのショーペンハウアーですらほぼ無課金である。熱意がなくて申し訳ない。図書館ありがとう。



 さて、前振りはこのくらいにして、本題について語りたい。

『ここは今から倫理です』の最後のエピソードに、『人間』という言葉の意味に触れる話があった。



『人』を『人間』と表現するのは、人と人との関係性や絆などを含めてが『人間』を意味するからである、らしい。


 とても奥の深いニ文字である。

 もともとは仏教用語から派生した言葉らしいけれど、この言葉を生んだ昔の人の感性に脱帽する。


 現代の私たちではもう、こういう感性は見いだせないだろうと思う。


 良くも悪くも言葉が飽和し、使いきれないほどの言語にあふれている。


 だから結果的に、使いやすいものだけを簡易的に使うようになるのだと思う。

 あふれているから、大切には扱わなくなる。


 そういえば、命をもっと粗末に扱えとか言ってるやつもいたなあ。

 ん? この場で引用するのはちょっと違うか。



『人に価値なんかねえよ!』


 

 そう言って飛び出した生徒の背中を見ながら、倫理教師が思い出したように言うのだ。


 人間というのは、人と人の間までを含めて人間なのだと。


 他者を排除し、拒絶し、他人の価値を否定するような人は人間とは言わないのかもしれない。


 その『人間』という言葉が、私の心に引っかかった。



 私という『人』と、他人である『人』との『間』とは、どのようなものなんだろう――。



 私という『人』が感じる『人』との最適な距離間は、遠ければ遠いだけ心地が良い。


 近くには、『人』にいてほしくない。



 今となっては終わってしまったコロナ禍が懐かしいと思う。


 とても不謹慎な発言と思われてしまうかもしれないけれど。


 私にとって、あの静かな時間は、多少の不便はあれど、とても生きやすいものだった。


 どこに行っても騒がしくなく、人と人とが近づくことを禁じられた静寂の年月。


 私にとって、静かで穏やかで、居心地のいい世界だった。


 あの短い期間は、私にとっての束の間の平和だったと思う。


 でも社会的な生き物である人間にとって、コロナ禍がもたらしたものといえば、経済の停滞、経済的困窮による鬱の発症や自殺率の増加、家庭内暴力や虐待の増加という様々な弊害だった。


 だから今は元通り……になろうとしている。



 つまりは最大多数の最大幸福だ。


 社会全体の人が好ましいと思うことが最優先される。



 私のような少数派は、息を潜めて耐えるしかない。

 人と人とが近すぎるこの世界で、仕方ないと諦めて生きていくしかない。



 それでも『人間』という言葉を認識して、改めて思うことがあった。



 私は、私が好ましく思わない相手に対して、遠くに離れていてさえくれれば、別に消えてほしいとまでは思っていないんだなと気づいた。


 そう思えば、人がいなくなってほしいわけではなく、ただ離れて欲しいと願う私は、ちゃんと人間なのかもしれない。


 そう思ったら、自分という人間は思っていたよりも優しい人間なのかもしれない。



 そんなふうに思うことができた。



 また明日からがんばろう。

 優しい人間として。

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