めぐり逢い
第一章 1993の夏の日に
およそ30年前であろうか。私は12歳のバースデーを病院で迎えた。私はこの病院に家族で叔父の見舞いに行く途中、車で事故に遭った。家族もそれぞれ怪我を負ったが、私は病院に運ばれた時は、容体がいちばん悪く重体であった。私はしばらくは記憶がない。後で、同室になったとも子から、叫んだり、わめき散らしていたと聞いたが、全く覚えていない。
気がつけばナースステーションのいちばん近くの個室にいた。全身にはりめぐらされている管が、自分のことながら何だか痛々しかった。私はその後、幸い何度かの手術で、ほぼ完治が見込まれるという吉報を聞かされた。
一方、同時期に入院してきたとも子はずっと「足が痛い」と両親に訴えていたが、それは思春期によくある成長痛であると思い過ごされてきた。とも子の病は、骨肉腫であった。
とも子は薬の副作用に苦しんでいた。カーテンで閉ざされ、時々すき間から、とも子の母親がとも子の背中をさする姿が見えた。それでもとも子が元気な時は、私と同い年ともあってか、TVドラマや流行りの音楽などの話をして、とも子ともいつの間にか友達となっていた。その年の夏、とも子から「Dearかな子 誕生日おめでとう」そう書かれた手紙をもらった。最後に「From戦友より」と書かれてあった。手紙は今も大事にとってある。
いつの日か、「私、近々、足切断するかもしれない」とも子が少し神妙な顔つきでそう言った時は、返す言葉が、みつからなかった。とにかく、とも子の病が回復に向かうように神様に祈るしかなかった。
それから半年後。私は奇跡的に何も後遺症も残らず退院の時を迎えていた。
一方とも子はかな子が退院していった後、由美という年下の仲間ができ、お互い励まし合いながら、彼女は生きる道を選んだ。
第二章 出会い
つむぎは考えあぐねていた。これで最後にしよう。松本先生に宛てる手紙はこれが最初で最後だ。
「どうしよう」そう思うと、書きたいことは山ほどあるのだか、筆が進まない。
つむぎは高校生の時、摂食障害を罹患した。高校は受験で勝ち取った屈指の進学校に通っていたが、終始食べ物のことが気になるようになり、結局3ヶ月ほとで辞めざる終えなくなっていた。終わった。私の人生お先真っ暗だ。つむぎは絶望のどん底へ突き落とされた気分だった。それからつむぎは自室へと引きこもるようになった。
母親はネットを使わずにアナログ的な方法で児童精神科を探した。母のかかりつけの医師につむぎのことを話したのだ。医師はすぐさま精神科病院を紹介してくれた。
松本先生と初めて会った時、つむぎは下を向いて、「こんな悩みに一生苛まれるくらいなら本当に死んだ方がましだ」つむぎは吐き捨てるように、松本に言い放った。
松本は次の瞬間、真面目な顔をして「きっとつむぎさんは他の人より繊細で他の人が達成できないほど真面目でやり遂げる力があるんだね。その力がつむぎさんを苦しめているのだと思うよ。果たして拒食をしている時だけが、君を救ってくれるのかな」
それが最初の診察だった。
つむぎは、松本との診察に内心ドキリとしたが、診察の時間は次第に楽しみへと変わっていった。
むしろ、自分の中のどう扱っていいか分からない喜怒哀楽の感情をぶつけても、松本は持って生まれたセンスと経験で柔らかく受け止めてくれたからだ。
かな子も、つむぎに笑顔が段々戻ってきたことを安堵すると同時に少し羨ましく思えていた。かな子もこの時多感な年頃であり、また自分もどこかで誰かのサポートを受けたいと密かに思っていたからだ。
松本との診察は決して魔法のように病気を治してくれるものではなかった。体重が、少し増えると怖くなってまた、食べる量を減らしてしまう。つむぎがそんな自分に嫌気がさし、診察室で、泣いてしまうこともあった。それでも松本は「回復はまっすぐな道ではなく、坂道を上ったり、下りたりするものだから」と穏やかに言った。その言葉を聞いてつむぎは少しずつ、自分を責めるのをやめていった。
つむぎは一生普通に食べられることなんてない!そう思っていた。つむぎの中で決定的に何か変わったのかは分からない。確かなのは松本と共に悩んだ「時間」が流れたことだ。つむぎは大学入学検定試験に見事合格し、この春から大学生となっていた。病気のほうは少しずつではあるが、よくなっていた。
松本はつむぎが大学進学するとの話を聞いて、「今までがんばったね。君はここに来た時よりも、言葉で表現する力を手に入れた。これからも葛藤するとは思う。でも今の君ならきっと大丈夫だ」と満面の笑みで、精神科からの卒業を提案した。
松本はこの意見を後世になって反省したが、この時代の方針としては普通の生活に患者を戻していくことがいちばん大切だと考えられていたと松本は思ったからだ。
つむぎは改めて手紙と向きあい、ゆっくりとペンを走らせ最後に、「先生のお陰で、自分の思っていることは態度ではなく、言葉にしないと人には伝わらないということを学びました。私は今「幸せ」です。大学に入って、文学を勉強したい!という昔からの夢も叶い、遅ればせながら学ぶ喜びを感じています。もちろん、本を読むのも好きですが、いつか自分でも本を書いてみたい!最近はそんな夢もできました。最後に先生、生きてさえいれば何とかなるのです。私もようやく生きていてよかったと思えるようになりました。だから、松本先生も多くの人に、「だから生きて!」と伝えていってください。私も伝えていきます」
つむぎの書いた力強い秋の便りは、松本のもとへ今を悩める人のもとへ届いていく。松本はつむぎからの手紙を何度も何度も読み返していた。穏やかな秋晴れの日。みなの心がこの空のようであれば、この世に精神科医は要らないなぁ。きついことも多いが、松本はこの仕事の醍醐味を感じていた。
第三章 めぐり逢い
美邦は、その日もかな子と2週間に1度のカウンセリングを行っていた。カウンセリングといっても、かな子の場合過去の傷を癒すというよりは、これから先、生きる術を身に着けていく訓練に重きをおいていた。つまり家事全般を身に着けるといったものである。かな子は過去に精神病院入院した時に、初めて行うことに怖気ついてしまう性分のために、洗濯機が、まわせずに、今でもトラウマになっているという問題を抱えていた。どうすれば美邦は、かな子の苦手意識を軽いものに変えることができるのかいつも考えていた。その他、かな子は計算こそできるものの、境界性知能であるため、明日のパンは6枚あります。かな子の家族は4人家族で明日の朝にパンを4枚食べます。明後日は6枚入りのパンを何袋買えばよろしいのでしょうか。といったことが、よく分からないのである。
なるほど。些細なことかもしれないが、やはりかな子の抱える生きづらさは美邦にもとても分かる。
かな子はそんな自分の生きにくさをこれまでは、行動で示してきた女性である。その手段としては若い女性の間でもみられる、薬を大量服薬してしまうオーバードーズ、手首などを刃物で切りつけるリストカットといった衝動的で激しい行為である。行動こそ激しいものの、かな子はとても、繊細だと未邦は感じていた。美邦はまだ20代前半の新米カウンセラーである。はじめこそ経験が浅い自分でも、かな子の心の闇に入り込み、楽になれる方法を共にみつけることができるだろうかという、不安な気持ちでいっぱいだった。でも、かな子は最近では「言葉」で自分の気持ち表現することも多々みられるようになってきていた。思いを言語化するのはまだまだかな子にとっては至難の業であるが、いい兆候だ。足かけ4年、美邦とかな子は2人3脚で長い道のりを歩いてきていた。そうこうするうちに、信頼にも値するような関係にもなっていったことは過言でもない。
かな子は美邦よりひと回り年上のはずであるが、美邦のいい所は年下だと謙遜するわけでもなく「対等」に向き合うことだった。もちろん、その反対もありけりで、かな子は美邦を新米扱いはしなかった。2人の目線はいつも「対等」であった。
さて、ここからは篤史とかな子の妹のつむぎの話である。篤史は30代半ばの少しずつ仕事の面で脂ののってきた色の白い菜食主義者のような精神科医である。つむぎと篤史の付き合いはかれこれ8年くらいであろうか。つむぎも篤史も「人間とは何だろうか」など、深い話が好きでよく語り明かしていた。
はじめこそ、篤史とつむぎの診察は嵐のように、激しいものであったが、ここ最近は、平穏そのものだった。それは美邦とかな子のカウンセリングにも言えることであった。
少なくとも、しばらくはこのままの関係が続くと思っていた。しかし、篤史と、上に立つものとの病院の経営方針の違いが、除々に篤史を苦しませていた。元から細かったが、この頃は更にやつれていった。
篤史は、松本という、篤史が医学生の時に教鞭をとっていた教授に心底尊敬の念を抱いていた。松本教授の子どもの頃から切れ目なく当事者を支援していく方針に何より心打たれたし、松本教授が研修医を前に患者を治療する現場を、実際見せて頂ける機会があった。篤史もその現場にいた。松本教授に技法をご教示して頂きたかった。未だにその技術を聞けなかったことを篤史は後悔している。
「そういえば、つむぎさんは松本先生のことをご存じなのですね。松本先生は診察の時、どんなことを言っていましたか?」篤史は目を輝かせながら、つむぎに喰らい付くように、聞いてくることも多々あった。「私、松本先生に手紙書いたことあるよ」つむぎが、そういったことがある。「忙しい中、返事まで書いてくれたよ。ところで篤史先生は、昔診ていた患者さんから手紙を゙もらうと嬉しいと感じる方?」
つむぎは、篤史を試すような眼差しでみている。
「もちろん、診ていた患者さんが、元気でがんばっていることを知れるのは、僕も嬉しいよ」
「じゃあ、私が結婚する時になったら、もしくは、万が一夢が叶って、作家になれたら、報告の意味で篤史先生にもファンレター書こうかな」
つむぎがいたずらっぽく笑った。篤史も、未来を語るつむぎの姿を見て、嬉しくて泣きそうになった。
「今のうちだよ。私のサイン貰っとく?」
「つむぎさんの夢が叶った時に、是非報告待っています」
つむぎは、篤史らしい答えだなぁと思い再び笑った。
松本先生のような、小児から大人まで診られる、そこに行くと温かい気持ちになれる「ひだまり」のようなクリニックを、開業したい!篤史はいつの頃か強くそう思うようになっていた。
時を同じくして、美邦も病院での経営面から人件費削減のため、この先今のクリニックに留まることができなくなっていた。来春から違う医院で勤務することに決まっていた。かな子とはもっとカウンセリングを続けていきたい。美邦は、かな子には内情を話さずに黙って別れるつもりであった。しかし、かな子の妹のつむぎが、主治医である篤史との別れの理由をかな子にも話して、その話を美邦にもしたのである。このまま、何も話さずにかな子とさよならするのは、いかがなものであろうか。と美邦は考えた。そして、美邦は思いきってかな子に話をすることに決めた。「実は病院の方針で、かな子さんとはカウンセリングをもっと続けたかったのですが、春からは違う所で勤務することになりました」
かな子は美邦の告白にはじめこそ驚いたものの、何か納得するように、美邦の話を最後まで聞いていた。「今までどうもありがとうございました」
かな子はかしこまってそう言うと、カウンセリングルームの小窓に打ちつける春風の音を聞いていた。春風が美邦、かな子、篤史、つむぎの新たなる船出の合図のように感じた。
きっと篤史は篤史のやりたかった「患者さんと向き合う」という真摯な姿勢で、患者を診察していくであろう。美邦も場数をこなして、大勢の人の前で話すことの苦手はあったとしても、1対1で話したり、話に耳を傾けたりすることが好きな立派なカウンセラーと更に成長するであろう。
かな子もつむぎも新たな伴走者を探して、この春から再び歩いていくことになる。
「別れは時として酷である」しかし、「出会い」を繰り返し、また人は成長していくのかもしれない。「君たちの船出が、前途多難でありますように。前途多難であるほど、人生の実りは大きい」
松本教授が、かつての卒業生に贈った言葉である。
篤史は、吹き荒れる春の嵐に、向かうようにまっすぐ歩き出していた。
第四章 回想
今までを振り返ってみると、色んなことがあった。不慮の事故に遭っておよそ30年が経つ。私は夏の夜空を見上げてこう思った。「ねぇとも子。医学は日々進歩しているね。昔治せなかった病気も、劇的に治る薬はなくとも、昔よりよくなっているね。とも子が今の時代に生まれてきていたら、どんなにいいことか…」あの時、事故に遭い奇跡的に一命を取り留めた私。病という残酷な運命を突き付けられたとも子。この時ほど神様の存在を否定した時はない。
「おい!かな子。思い出に更けるのもいい加減にしろ」旦那のでかい声が現実へと引き戻そうとする。
「かな子!そろそろみなとが塾から帰ってくるぞ」
「あっ!もうそんな時間」
時計は間もなく夜の8時半を指し示すところだ。
私は、慌ててキッチンへと向った。今では「戦友」というか、「伴走者」というべきか、温かく頼もしい「家族」もできた。
紹介が遅くなったが最後に私の家族を紹介しようと思う。
第五章 一期一会
直樹、つまり私の旦那と私は幼なじみだった。直樹の方が3歳年上だった。近しい存在ではあったが、まさかこの人と結婚するとは思ってもみなかった存在だ。あの日、私はかつての病院の近くにある書店で、新刊の心理学の棚を眺めていた。
「……かな子?」
懐かしい声に振り返ると、そこに直樹がいた。大地のような安定感を湛えた大人の顔だった。
「覚えてるか?小学校の頃、毎日一緒に帰ってたろ?」
言われてみれば、あの頃の放課後の夕暮れが、一気に蘇ってきた。私は事故に遭う少し前まで、直樹と毎日のように川沿いの道を歩いて帰っていたのだ。
「元気だった?」と聞く私に、「まぁな。だけど、君のほうがずっと大変だったろ」と直樹は言った。
その言葉に、不思議と涙がこみ上げてきた。
誰にも言えなかった“事故の記憶”を、直樹だけはまるごと受け止めてくれるような気がした。
それから、私たちは月に一度会って食事をするようになった。
最初はぎこちなかった会話も、いつしか心地よい沈黙に変わっていった。
直樹はいつも、私が言葉を選んでいる間、静かに待ってくれた。
「焦らなくていい。かな子の言葉は、いつもちゃんと届くから」
その優しさに、私は少しずつ自分の声を取り戻していった。告白は、直樹の方からだった。「俺と付き合ってください」新たな船出をした、美邦と別れた春の年のことだった。「こんな私のどこがいいの?」私は少し怒ったように直樹に問いただしたが、「かな子の誠実さ。真面目さ」そして、「不安定なところ」「少し抜けているところ」そして「どんな困難にも負けなかったところ」と。いっぱい教えてくれた。すぐに、答えは出せなかった。直樹は、「待っている」とだけ言ってその場から離れていた。
いざ交際を始めてみると、直樹は私の持ち合わせていない能力や、考え方を持っている男性だと尊敬の念を抱くことも多かった。私が、悩みの渦にのみ込まれている時は、共に悩むのではなく、「はい!考えるの、やめた!」と言い切り、少し不安を言い出すと、「大丈夫だよ」と言い切る。直樹が口にする言葉は、上から目線である所も間々あるが、いい意味で「安定感があって頼れる」のだ。
もちろん、直樹のことを愛していたが、「結婚」は大きな壁でもあった。お互いの両親が反対するとかいうものではなく、自分の障がいのことや、歳のことを考えるとあまり前向きにはなれなかった。「いいじゃないか。落ち込んだら、俺が引っ張る。引っ張れない時は、隣に座ってればいい」
その言葉に、初めて“結婚”という言葉が、現実として私の胸に浮かんだ。
しかし、心のどこかに「私は幸せになってはいけない」という罪悪感が根を張っていた。
私は、人生経験では、先輩のつむぎへと心の内を意を決して、話そうと思った。つむぎは、大学の時に付き合っていた男性と、幸せな家庭を築いていた。つむぎのお腹の中には、赤ちゃんもいた。
「不安じゃなかったの?」紅茶を淹れたティーポットをティーカップに注ぎながら、私は開口いちばんそう口にしていた。
「不安だったよ。でも、この人と一緒に人生を歩んでいきたい!その気持ちが勝ってさ。今もはっきりいって、不安だよ。でも、見てみたい。この目で、新しい未来をね。そうこの子にも、見せてあげたい。希望をね」そう言って、大きくなったお腹を優しく撫でた。
私は、丁度よい熱さの紅茶を飲みながら、つむぎの言葉を反芻していた。「この人と一緒に人生を歩んでいきたい」私の中で、その思いが大きくなっていくのを感じていた。
直樹は、告白の夜も、まっすぐな目で私を見ていた。
「俺は、君が好きだ。どんな過去も含めて全部」
それは、安っぽいロマンチックさとは違う、誠実な温度を持った言葉だった。
だが私はすぐに頷けなかった。私は普通の人みたいに強くない。いつまた落ち込むか、自分でも分からないの」
とも子のこと、病院で出会った人たちのこと。
私だけが元気で生きている――その事実が、ずっと私を苦しめていた。
そんな時、直樹が言った。
「生きてることを、罰みたいに思うな。とも子さんは、きっと“かな子が生きている”ことで救われてる」
あの夜、涙が止まらなかった。
直樹は私の肩を抱き寄せながら、何も言わなかった。
ただ、涙の音だけが静かに響いた。
交際期間を経て結婚に至るまでの期間こそ、少し長くかかってしまったが、子を授かるのは、細やかな性格の私にとっては、潔く決断したものだと我ながら感心してしまった。間もなくして長男である「みなと」を授かった。
名前の由来は、たとえ大きな船出をしたとしても、時々止まって皆が集ってエネルギーを補給するような場所、そんな存在になって欲しいという、私の希望からだった。
そんな私と直樹の希望通り、「みなと」は誰に似たのか、人をあまり寄せ付けない私や直樹の遺伝子を継がなかったのか、決して一目置かれるような目立つ存在ではなかったが、人と人との心を繋ぐ優しい子に育っていった。
「ただいま!」投げるようにカバンを置くと、みなとは、キッチンにいる私を気遣った。
「母さん、ぼくも夕飯の手伝いするよ」
そう、みなとは腕まくりして、慣れない手つきで、それでも見よう見まねで料理を手伝っていた。「ねぇ、母さん、命って不思議だね」みなとがふとそう言った。まもなくお兄ちゃんになることを意識しているのだろうか。私は、微笑ましく思った。みなとには、私が30年前に事故に遭ったことや、不安定だった日々のことも、名前の由来となる、あのめぐり逢いのことも、全て話ていた。みなとが、どこまで分かっているのかどこまで伝わっているどうかは、分からない。「僕は篤史先生が、松本先生に憧れる気持ち、分かる。でも、篤史先生には、篤史先生のよさもある」おどけたように、まるで当人たちを知っているかのようにみなとが話す。つむぎが、よく篤史や、松本先生のことを話すので、私まで当人を知ったような気になっていた。
「俺は篤史のような小難しい話をする奴は苦手だな」直樹も、おどけたように話す。「だけれど、愛する妹を救ってくれたことは、一生忘れない。それから、かな子と一緒になって悩んでくれた美邦さんのこともな」
「美邦さんは、陰で旦那さんを支えるようないい奥さんになっていると思う」かな子は、穏やかなで芯の強い美邦のことを思い出していた。「あっでも仕事は続けていると思う」と付け足した。かな子は、美邦が以前から、子どもの心を診れるカウンセラーを目指していることを知っていた。
昔は夢にも思わなかった。この話が笑い話になるなんて。
話が弾んだ食卓に、私は今晩のメインディッシュのハンバーグを運んだ。
「ところで、明日、とも子の命日なの」
「お線香あげにいくか」直樹がすぐにそう言った。
「でも…」私は少し迷っていた。いや、少しどころかかなりだ。手を合わせるのには、時が経ち過ぎてしまったような気さえしていた。
「戦友はいつまでたっても、戦友だ。親友も然り」直樹は、いつになく真面目な顔をして、私を促した。
「そうだね」
私は、強く頷いた。
第六章 とも子の空へ
その日の夕暮れ、みなとがふと空を見上げて言った。
「母さん、あの星の中に“とも子さん”いるんでしょ?」
私は驚いて、「どうしてそう思うの?」と聞いた。
「母さんの話を聞いてたら、そう思った。だって母さんが悲しい時、空見てるから」
胸が熱くなった。
私は黙って頷き、みなとの肩を抱いた。
「そうだね。あの空のどこかで、見守ってくれてると思う」
翌日、直樹とみなとと三人で、とも子の墓前に向かった。
蝉の声が降り注ぎ、どこか懐かしい夏の風が吹いていた。
「Dearかな子――」
あの手紙の文字が、脳裏によみがえった。
“From 戦友より”
その言葉を思い出した時、涙ではなく、微笑みがこぼれた。
「とも子、私、幸せだよ」
声に出してそう言うと、風がひときわ強く吹き、木の葉が優しく揺れた。
きっと、あれはとも子の返事だったのだ。
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第七章 これからの航路
夜、家に帰ると、食卓にはみなとの描いた絵が置いてあった。
三人の家族が海の上で手をつないでいる絵だ。
空には大きく“とも子”と書かれた星が輝いている。
その星の光が、海を照らしていた。
「母さん、これ、夏休みの宿題なんだ。題名は“みんなの航海”」
私は思わず涙ぐんだ。
“航海”――そう、それが私たちの人生だった。
荒波に揉まれ、何度も沈みかけながらも、私たちは進んできた。
途中で出会った人たち、別れた人たち、みんなが一隻の船のように私の中で生きている。
松本先生、美邦、篤史、つむぎ、そしてとも子。
誰一人、欠けても今の私はいなかった。
「ねぇ、直樹。私たちの人生って、どんな航海だったと思う?」
「前途多難だな。でも、悪くない航海だ」
「うん。多難ほど、人生の実りは大きいもんね」
「どこで聞いた言葉だ?」
「松本教授」
「さすが先生だな」
笑い合いながら、私たちは空を見上げた。
一つの流れ星が、夜空を横切った。
その瞬間、私は思った。
――人生とは、誰かと出会い、誰かと別れ、それでもなお、生きていく旅。
たとえ波が荒れても、舵を握る手を離さない限り、航路は続く。
とも子へ。
あの日、私たちを繋いだ「戦友」という言葉は、今も私の胸の中で光っている。
そして、これからは――「家族」という新しい形で、私は再び生きていく。
一期一会。
出会いがあるから、私たちは歩いていける。
別れがあるから、出会いの意味を知る。
ひとつひとつの出会いに感謝して、最大限にもてなしたい。かな子はそう思った。私の命がある限り。
だから私は今も、あの夏の空に祈る。
「とも子、ありがとう。私は、ちゃんと生きてるよ」
再び、風が頬をなでた。とも子が笑っているようだった。




