第9話 呪いの解呪とプロポーズ
「……できた」
帝国の研究室。
私は新しい眼鏡(国庫負担で新調してもらった)の位置を直し、フラスコの中の液体を見つめた。
無色透明に見えるが、光にかざすと微かに虹色に輝く。
これこそが、私の錬金術の集大成。
皇帝陛下を蝕む『氷魔の呪い』に対する、完全治療薬だ。
「まさか、あの時の『読書』が役に立つなんて」
私は独り言ちた。
かつて王国にいた頃、私は「本の虫」と蔑まれていた。
夜会にも出ず、王宮の書庫に引きこもって古文書を読み漁っていたからだ。
その中に、興味深い記述があった。
『氷の魔力は、血管内の魔素が結晶化することで発生する』
当時はただの伝承だと思っていた。
だが、現代知識(前世の医学)と照らし合わせれば、それは「血栓」ならぬ「魔素血栓」による循環不全だと理解できる。
原因がわかれば、対処法はある。
血流を阻害する結晶を溶かし、排出すればいい。
私はフラスコを慎重にトレイに載せた。
手が震える。
失敗すれば、推しの命に関わる。
だが、やらなければ彼は一生、痛みと共に生きることになる。
(行こう。……今度こそ、彼を本当の意味で救うために)
◇
陛下の寝室は、相変わらず静まり返っていた。
コタツは執務室にあるため、ここにはない。
代わりに、私が開発したオイルヒーター(魔石式)が稼働しているが、それでも空気は冷たい。
「……入れ」
許可を得て入室すると、陛下はベッドに腰掛けていた。
顔色が悪い。
ここ数日、王国の事後処理や外交問題で無理をしていた反動だろう。
「陛下、新しいお薬をお持ちしました」
私はベッド脇に膝をつき、トレイを差し出した。
陛下はそれを怪訝そうに見る。
「……いつもの入浴剤とは違うようだな」
「はい。これは対処療法(対症療法)ではありません。根治治療のための『溶解剤』です」
「根治……?」
陛下の目が揺れた。
諦めと、微かな希望が混ざった色。
彼は自身の胸元を掴み、苦笑した。
「無駄だ、エリゼ。この呪いは帝国の血塗られた歴史そのものだ。薬でどうにかなるものでは……」
「なります」
私は遮った。
不敬を承知で、彼の冷たい手を両手で包み込む。
「歴史だの運命だの、そんな精神論はどうでもいいのです。これはただの『詰まり』です。パイプユニッシュで流せば治ります」
「ぱいぷ……?」
「とにかく、飲んでください。私の全てを賭けて調合しました」
陛下は私の目をじっと見つめた。
私の瞳に迷いがないことを確認すると、彼はフラスコを手に取り、一気に仰いだ。
「……っ」
苦かったのだろう、顔をしかめる。
そして数秒後。
カラン、とフラスコが床に落ちた。
「ぐ、うぅっ……!!」
陛下が胸を押さえ、ベッドに倒れ込む。
全身が激しく痙攣し、玉のような汗が吹き出した。
「陛下!」
「熱い……! 体が、焼ける……!」
「正常な反応です! 魔素の結晶が溶けて、一気に熱が循環しているんです!」
私は必死に彼を支え、汗を拭った。
陛下は苦悶の声を上げ続ける。
見ているだけで胸が張り裂けそうだ。
代われるものなら代わりたい。
けれど、これは「生」への産みの苦しみだ。
一時間後。
陛下の呼吸が落ち着いた。
痙攣も止まり、穏やかな寝息へと変わる。
私は恐る恐る、彼の額に触れた。
「……温かい」
氷のようだった肌に、人肌の温もりが宿っていた。
脈も力強い。
成功だ。
私は力が抜け、その場にへたり込んだ。
◇
翌朝。
陛下が目を覚ました時、私は椅子で寝落ちしていたらしい。
「……エリゼ」
名前を呼ばれ、弾かれたように顔を上げた。
そこには、信じられない光景があった。
陛下が、上半身を起こして伸びをしている。
顔色は健康そのもので、唇には赤みが差している。
何より、その表情が憑き物が落ちたように晴れやかだった。
「痛くない」
陛下は自分の体を抱きしめ、子供のように瞳を輝かせた。
「あの、骨を削るような悪寒がない。指先まで血が通っているのがわかる。……これが、普通の体なのか?」
「はい、陛下。それが『普通』です」
私は涙を堪えて微笑んだ。
よかった。本当によかった。
陛下はベッドから降りると、真っ直ぐに私の前へ来た。
そして、跪いた。
皇帝が、一介の錬金術師に。
「陛下!? な、何を……」
「エリゼ。お前は私の命を救い、国を救い、そして未来まで救った」
陛下は私の手を取り、その甲に口付けた。
熱い唇の感触に、全身が痺れる。
「もはや、雇用契約などという紙切れでは縛りきれん」
彼は顔を上げ、真紅の瞳で私を射抜いた。
そこにあるのは、推しとしての尊さだけではない。
一人の男性としての、抗えない熱量。
「私と結婚してくれ、エリゼ」
「……へ?」
「皇后になれと言っている。……断るとは言わせんぞ。お前は私を『普通の男』にしてしまったのだ。その責任は、一生をかけて取ってもらう」
強引で、理不尽で、けれど最高に甘いプロポーズ。
私はオタクだ。
推しとは次元が違う存在であり、結ばれるなどという恐れ多いことは考えていなかった。
あくまで、壁になりたかった。
けれど。
目の前の彼は、神ではない。
温かい体温を持つ、一人の人間だ。
そして、私を必要としてくれている。
「……特許権は、維持したままでいいですか?」
震える声で尋ねると、陛下は呆れたように、そして愛おしげに笑った。
「ああ。お前の権利も、財産も、全て保証する。……だが、お前自身の所有権だけは、私に譲渡しろ」
「……はい」
私は涙が溢れるのを止められず、大きく頷いた。
「謹んで、お受けいたします。……ヴァングリード様」
初めて呼んだ名前。
彼は満足げに笑い、私を強く抱きしめた。
その腕の中は、私が作ったどんな暖房器具よりも、温かく心地よかった。




