第7話 誘拐と禁断のアイテム
カビと埃の臭いが鼻をつく。
「……っ」
目を開けると、薄暗い石造りの部屋だった。
手足は荒縄で縛られ、冷たい床に転がされている。
頭がズキズキと痛む。
(やられた……)
パーティーからの帰り道だ。
馬車が急停車し、覆面の男たちが雪崩れ込んできた。
護衛の騎士たちが応戦している間に、私は布を被せられ、意識を奪われたのだ。
「目が覚めたか、エリゼ」
鉄格子越しに、粘着質な声が響く。
ジェラルド王子だ。
豪奢な衣装のまま、汚い地下牢に立っている姿は滑稽ですらある。
「……手荒な歓迎ですね、殿下。これが王国の流儀ですか?」
「黙れ。これは『回収』だ」
王子は鉄格子を強く握りしめた。
「お前が持っていたポーチや鞄はすべて没収した。中に入っていた奇妙な道具もな。これで怪しげな術は使えまい」
私の懐事情は空っぽだ。
カイロも、予備の魔石も、護身用のスプレーも奪われた。
丸腰だ。
「帝国との契約があると言ったはずです。これは国際問題になりますよ」
「知ったことか! 契約書など、お前を手に入れてから燃やしてしまえばいい。既成事実さえ作れば、あの皇帝も手出しできまい」
王子は歪んだ笑みを浮かべた。
論理も法も通用しない。
典型的な、追い詰められた人間の思考だ。
「お前はここで、死ぬまで私のために黄金を生み出し続けるんだ。……まずは頭を冷やすんだな」
王子は部下に目配せし、足音高く去っていった。
重い鉄扉が閉まり、静寂が戻る。
私は大きく息を吐き、体を起こした。
手足の拘束がきつい。
だが、彼らは一つだけ、致命的なミスを犯していた。
「……目が悪くてよかった」
私は肩をすくめ、顔に乗っている「眼鏡」の位置を鼻先で直した。
これはただの視力矯正器具ではない。
私が開発し、帝国の予算で試作した「魔石式遠距離通信機」だ。
フレームに極小の魔石と伝達術式が刻まれている。
王子たちはこれを「地味な女の象徴」と侮り、没収しなかったのだ。
「……あー、あー。聞こえますか、マイ・ロード」
私は小声で、眼鏡のつるに向かって囁いた。
骨伝導で微かなノイズが返ってくる。
『……エリゼッ!』
鼓膜に直接、怒気を含んだ声が響いた。
ヴァングリード陛下だ。
その声だけで、心臓が跳ねる。
『無事か! どこにいる!』
「王都の地下牢らしき場所です。怪我はありませんが、手持ちのアイテム(国家資産)は全て没収されました」
『……愚か者どもが』
地獄の底から響くような低音。
通信越しでも、空気が凍りつくのがわかる。
『安心しろ。今、王宮の結界を粉砕したところだ。あと五分でそこへ行く』
「結界を? 単騎で?」
『虫ケラが何匹いようと関係ない。……お前に指一本でも触れていたら、この国ごと地図から消す』
推しが強すぎる。
頼もしいことこの上ないが、国ごと消滅させられては、未回収の売掛金(ポーション代)まで消えてしまう。
「陛下、私は自力で脱出を試みます。合流地点は中庭で」
『……武器もないのにか?』
「錬金術師を甘く見ないでください。材料なら、そこにありますから」
私は通信を切った。
さて、反撃の時間だ。
私は壁に背中を擦り付け、無理やり眼鏡を外した。
そして、床に落とし、足で踏みつけた。
バキッ。
高価な試作品が無惨に砕ける。
だが、これでいい。
中から、米粒ほどの「魔石」が転がり出た。
錬金術の鉄則。
等価交換。
魔力と物質(材料)があれば、形を変えられる。
私は後ろ手に縛られたまま、指先で魔石に触れた。
そして、床に積もった大量の「埃」と、壁の「石灰」を足で集める。
炭素。
硝石。
硫黄の代わりになる可燃性物質。
これらを魔石のエネルギーで強制結合させる。
作るのは、殺傷能力のある爆弾ではない。
狭い空間で最大の効果を発揮するもの。
(成分構成、確定。……錬成!)
ボンッ!
小さな破裂音と共に、私の手の中に「それ」が生成された。
ゴルフボール大の白い球体。
「閃光弾」だ。
タイミングよく、足音が近づいてくる。
見張りの兵士だ。
「おい、今の音はなんだ!」
鉄格子が開けられ、男が入ってくる。
「……プレゼントですよ」
私は背中の拘束を解かないまま、指先で弾いた。
白い球体が、男の足元に転がる。
「なっ……?」
カッッッ!!!
部屋中が、真昼の太陽より眩しい光に包まれた。
強烈な閃光と爆音が、狭い地下牢で反響する。
「ぐあああっ! め、目がぁぁ!」
男が悲鳴を上げてのたうち回る。
人間は視覚を奪われると無力だ。
私はその隙に、男の腰から剣を抜き取り(後ろ手での作業は骨が折れたが)、縄を切断した。
自由になった手足を振り、私は走り出した。
地下通路を駆け抜ける。
警報が鳴り響いているが、関係ない。
階段を駆け上がり、鉄扉を蹴破る。
外の空気が流れ込んできた。
夜の中庭だ。
「逃がすな! 殺しても構わん!」
背後から、ジェラルド王子の怒声と、数十人の兵士の足音が迫る。
前方は行き止まり。
高い城壁に囲まれている。
「……ここまでか」
王子が剣を抜き、ニヤリと笑いながら近づいてきた。
「悪あがきも終わりだ、エリゼ。さあ、大人しく……」
その時。
空が、割れた。
キィィィィン……!
耳鳴りのような高音が響き、夜空から巨大な「氷の槍」が降り注いだ。
ドォォォォン!!
兵士たちの目の前に氷塊が突き刺さり、衝撃波で彼らを吹き飛ばす。
中庭の気温が、一瞬で氷点下まで下がった。
雪が舞う。
その吹雪の向こうから、漆黒のマントを翻した「魔王」が歩いてくる。
「……私の女に、死ぬまで働けと言ったそうだな」
ヴァングリード陛下だ。
その手には何も持っていない。
ただ、溢れ出る魔力だけで、空間そのものを支配している。
「いいだろう。貴様らには、死ぬまで凍える地獄を与えてやる」
赤い瞳が、楽しげに輝いた。
それは私が知る限り、もっとも美しく、もっとも恐ろしい「推し」の姿だった。
(あ、これ王都終わったな)
私は寒さに震えながら、そう確信した。




