第6話 凱旋、あるいは殴り込み
「……緊張しているか?」
会場の扉の前で、ヴァングリード陛下が私を見下ろした。
今日の彼は、いつもの軍服ではない。
漆黒の正装に、帝国の紋章が刻まれた銀のサッシュ。
その美貌は、直視すれば目が潰れるレベルの破壊力だ。
「いいえ、陛下。武者震いです」
私は胸を張った。
私が纏っているのは、帝国の威信をかけて仕立てられたドレスだ。
素材は、私が錬金術で精製した「光沢のある合成繊維(サテン風)」と、極北の幻獣の毛皮。
色は、陛下の瞳と同じ深紅。
かつて「地味だ」と笑われた私の姿は、もうどこにもない。
「行くぞ。私の隣を歩くことを許す」
陛下が腕を差し出す。
私はその腕に、そっと手を添えた。
重厚な扉が開かれる。
瞬間、王国の祝宴会場の喧騒が、水を打ったように静まり返った。
◇
カツ、カツ、カツ。
石床に響く足音だけが支配する空間。
数百人の貴族たちの視線が、私たちに釘付けになっている。
「あれは……帝国皇帝か?」
「なんて美しさだ……」
「待て、隣にいるのは……ローゼン家の?」
ざわめきがさざ波のように広がる。
その中心を、私たちは悠然と歩いた。
かつて私を嘲笑った令嬢たちが、扇子を落として固まっている。
気分が良い。
推しの隣でドヤ顔をする。
これぞオタクの到達点だ。
ホールの中央。
そこには、主役であるはずのジェラルド王子と聖女ミナが立っていた。
二人の顔色は、ドレスの色よりも白かった。
「……エリゼ、なのか?」
ジェラルド王子が、信じられないものを見る目で私を凝視した。
その視線は、私の顔からドレス、そして陛下と組んでいる腕へと這い回り、明らかに動揺している。
「お久しぶりでございます、ジェラルド殿下」
私は完璧なカーテシーを披露した。
角度も、速度も、計算し尽くされた帝国の礼儀作法だ。
「帝国の使者として、お祝い申し上げます」
「な……なぜ、お前がそこにいる。お前は人質として……」
「ええ。おかげさまで、現在は『帝室専属錬金術師』として、破格の待遇で雇用されております」
私はニッコリと微笑んだ。
あくまでビジネスライクに。
感情など乗せず、事実だけを突きつける。
「錬金術師、だと?」
「はい。今、貴国で流行している美容液……あれの開発責任者は私です」
「なっ……!?」
王子の目が限界まで見開かれた。
隣にいるミナが、持っていたグラスを取り落とす。
ガシャン、という音が静寂を切り裂いた。
「嘘よ……! あんな素敵なもの、あなたが作れるわけない!」
ミナが金切り声を上げる。
私は彼女の肌を観察した。
厚塗りされた白粉の下には、不規則な生活とストレスによる肌荒れが見える。
私の美容液を使っても、根本的な生活習慣が治っていないらしい。
「嘘ではありません。特許権は私が所有しておりますので」
私は淡々と告げた。
その瞬間、ジェラルド王子の顔に、後悔と、それ以上の欲望が浮かび上がった。
金の卵を産む鶏。
彼は今、私をそう認識したのだ。
「……そうか、わかった」
王子は一歩踏み出し、私の手を取ろうとした。
「私が悪かった、エリゼ。お前の才能を見誤っていたようだ。……許してやる。今すぐ戻ってこい。ミナとは別れ、お前を正妃として迎え入れてやろう」
会場が凍りついた。
結婚式の最中に、花嫁を捨てる発言。
あまりの愚かさに、頭痛がしてくる。
私は王子の手を避けるより早く、横から伸びてきた黒い手袋に守られた。
「……私の所有物に、気安く触れるな」
ヴァングリード陛下だ。
その声は絶対零度。
周囲の空気が物理的に冷え込み、シャンパンタワーがピキピキと凍りつき始めた。
「ほ、所有物だと? 彼女は元々、我が国の……」
「捨てたのは貴様だ」
陛下は私を背に庇い、冷徹な瞳で王子を射抜いた。
「彼女は今、帝国と正式な雇用契約を結んでいる。その技術も、時間も、その身の安全も、全て私が管理し、保証している」
陛下は王子の目前に、氷で具現化させた契約書の写しを突きつけた。
そこには、法的に有効な署名と、帝国の国璽が輝いている。
「返して欲しければ、違約金として国家予算の十年分を用意することだ。……もっとも、彼女自身がそれを望めばの話だが」
陛下が私を見る。
その瞳は「言え」と語っていた。
お前の意思を。
私は王子に向き直り、静かに告げた。
「お断りいたします、殿下。私は今の主に、心からの忠誠と愛を誓っておりますので」
愛、という言葉に、陛下の方がピクリと反応したのがわかった。
これはあくまで「推しへの愛」という意味だが、今は誤解させておけばいい。
ジェラルド王子は顔を真っ赤にし、わなわなと震えだした。
公衆の面前での完全な拒絶。
プライドの高い彼には、耐え難い屈辱だろう。
「……後悔するぞ、エリゼ」
王子が低い声で呻く。
「お前は王国の人間だ。私の命令は絶対だ……!」
その瞳に宿ったのは、未練などという生易しいものではない。
もっとドロドロとした、独占欲と逆恨みの炎。
(あ、これフラグ立ったな)
私は冷静に分析した。
このまま素直に引き下がるようなタマではない。
だが、今の私には最強の盾がある。
陛下が私の腰を抱き寄せ、勝ち誇ったように笑った。
「吠えるな、小僧。この女の価値を理解できなかった貴様に、もはや語る資格はない」
私たちは踵を返した。
背後でミナの泣き叫ぶ声と、王子の怒号が聞こえたが、振り返る必要はない。
ただ、凱旋するのみ。
最高のざまぁを終えた私だったが、背筋に走る寒気だけは消えなかった。
この王子、何か仕掛けてくる。
私の勘がそう告げていた。




