第2話 生存戦略と雇用契約
目が覚めた時、世界が静かだった。
ヴァングリード皇帝陛下が、寝台の上で身じろぎもせず眠っている。
規則正しい寝息。
苦痛に歪んでいない、安らかな寝顔。
それを見守ること数時間。
私は部屋の隅の椅子で、ガッツポーズを噛み殺していた。
(SSR『無防備な寝顔』回収完了……! ありがとうございます!)
私の作ったカイロを握りしめたまま、彼は泥のように眠っていた。
側近たちが「陛下がこれほど深く眠られたのは数年ぶりだ」と泣きそうになっていたのが印象的だった。
やがて、銀の睫毛が震える。
紅玉の瞳がゆっくりと開き、私を捉えた。
「……おはようございます、陛下」
私は努めて冷静に、淑女の礼をとった。
陛下は自分の手の中にある、すっかり冷え切った白い袋を見つめ、それから私を見た。
「……あれほどの激痛が、消えていた」
「それは良かったです」
「だが、冷めたな」
彼は冷たくなったカイロを指先で弄ぶ。
その声には、明確な「渇望」が含まれていた。
もっと欲しい。あの熱がなければ、もう耐えられない。
そんな依存の気配。
(計画通り)
私は心の中で眼鏡をクイッと押し上げる動作をした(実際はしていない)。
推しに依存される。
オタクとしてこれ以上の誉れはないが、ここで舞い上がってはいけない。
私は「人質」だ。
いつ処刑されてもおかしくない立場である。
ここで必要なのは、生存権の確保。
つまり、ビジネスライクな交渉だ。
「もう一つ作れ」
予想通りの命令。
私は申し訳なさそうに眉を下げた。
「お言葉ですが陛下。手持ちの魔石が尽きました」
「何?」
「先ほどのカイロは、私が私財で購入した魔石で作ったものです。あれは使い捨てですので、新しいものを作るには、新たな魔石が必要です」
嘘ではない。
ポケットの中身は空っぽだ。
錬金術は「等価交換」。
無から有は作れない。
陛下は少し考え込み、側近に顎で合図した。
すぐに最高級の魔石が盆に載せられて運ばれてくる。
透明度の高い、一級品だ。
「使え。国庫からいくらでも出してやる」
「ありがとうございます。……ですが」
私は魔石に手を伸ばさず、一歩下がった。
ここが勝負所だ。
「陛下。私は現在、王国の元婚約者に捨てられ、罪人としてここに送られた身です。身分も、資産も、権利もありません」
「だから何だ。命が惜しければ作れ」
「命はもちろん惜しいです。ですが、継続的な『熱』の供給には、私の技術と知識が不可欠です」
私は背筋を伸ばし、真っ直ぐに彼を見つめた。
「私を『帝室専属錬金術師』として雇用してください」
室内の空気が凍りついた。
人質の分際で、皇帝に取引を持ちかけるなど正気の沙汰ではない。
側近が「貴様!」と叫ぼうとしたが、陛下がそれを制した。
「……雇用、だと?」
「はい。私はただ生かされるだけのペットにはなりたくありません」
私はあらかじめ脳内で整理していた契約条項をスラスラと述べた。
一、素材となる魔石はすべて「帝国」が支給すること。
二、私の錬金術による成果物は「帝国」に納品すること。
三、ただし、開発した技術およびレシピの特許権は「私」に帰属すること。
四、報酬として、売上または評価額の三〇%を「技術ロイヤリティ」として私に支払うこと。
「つまり、私は技術を提供し、対価を得る。陛下は熱を手に入れる。ウィンウィンの関係です」
陛下はきょとんとしていた。
やがて、喉の奥でくつくつと笑い出した。
それは氷が割れるような、珍しい音だった。
「人質の分際で、特許権だと? 面白い女だ」
彼は立ち上がり、私の前に立った。
威圧感が凄まじい。
だが、その瞳に殺意はなく、あるのは純粋な興味と――わずかな期待。
「いいだろう。その条件、呑んでやる」
「本当ですか!?」
「ただし」
彼は私の手を取り、強引に引き寄せた。
「私の期待を下回るゴミを作ったら、その時は即座に契約破棄だ。氷像にして庭に飾る」
「……善処いたします」
ゾクッとするような低音の脅し。
けれど、握られた手は冷たいけれど、どこか必死だった。
◇
こうして私は、晴れて「帝室専属錬金術師」の肩書きを手に入れた。
首の皮一枚で繋がったどころか、公務員(高給取り)デビューである。
さっそく支給された「国家資産」の魔石を使い、私は数日分のカイロを量産した。
陛下はそれを懐に入れると、数年ぶりに眉間の皺を解いて公務に向かわれた。
さて、と。
私はあてがわれた自室(兼研究室)で腕を組んだ。
「寒すぎる」
帝国の石造りの城は、冷蔵庫の中のようだ。
カイロはあくまで「携帯用」。
空間そのものを温める力はない。
このままでは、推しが快適に暮らせない。
それに私も風邪を引く。
暖炉はあるが、薪の燃焼効率が悪すぎる。
帝国の冬は長く、燃料は貴重だ。
もっと効率よく、かつ「堕落するほど気持ちいい」暖房器具が必要だ。
私は机の上に紙を広げ、設計図を描き始めた。
必要なのは熱源。
そして熱を逃がさない構造。
日本の冬の風物詩。
一度入ったら二度と出られない、魔のアイテム。
「……作るか、コタツ」
熱源ユニットは、カイロの応用で作れる。
問題は「布団」と「天板」だ。
これらは錬金術よりも、手芸と木工の領分になる。
私は支給されたばかりの「研究費(前借り)」の入った袋を掴み、立ち上がった。
城内の資材置き場へカチコミに行く時間だ。
待っていてください、陛下。
あなたを、身も心もとろけさせる「ダメ人間製造機」の世界へご招待します。




