冒険者
――ぬるり。
足裏に、想定していなかった感触が走る。
「っ!」
声を上げる間もなく、重心が崩れた。
濡れた床。スライムが残した粘液。
そのどちらか、あるいは両方。
男の体は前のめりに倒れ、強く床に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
足首に、鋭い痛み。
捻った、と直感で分かった。
すぐに立ち上がろうとして――できなかった。
「……くそ」
息を整え、周囲を見渡した瞬間、さらに最悪の事態に気づく。
転倒の拍子に、背負っていたリュックが外れ、数メートル先に転がっていた。
そして。
そこに、別のスライムがいた。
「あ、待て――!」
叫びは、遅かった。
半透明の身体が、リュックに覆いかぶさる。
布地が、じわりと溶けていく。
「……嘘だろ」
食料。
水。
最低限の保存食。
それらが、ゆっくりとスライムの中に沈んでいくのを、男は呆然と見ていた。
手を伸ばそうとして、足の痛みで顔を歪める。
距離は、わずか数メートル。
だが、今の自分には――遠すぎた。
リュックが、完全に姿を消す。
残ったのは、何事もなかったかのように蠢くスライムだけ。
「……」
男は、その場に座り込んだまま、しばらく動けなかった。
通信機は無事だ。
救援を呼ぶこともできる。
だが。
講習で聞いた言葉が、頭をよぎる。
――「救援は来るが、時間は保証されない」
足の痛み。
食料ゼロ。
ダンジョン内。
「……まいったな」
誰にともなく、そう呟いた。
視界の端で、最初に見つけたスライムが、まだゆっくりと動いている。
小さい。
弱い。
だが――。
男は、無意識のうちに、その姿をじっと見つめていた。




