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ゆめでんしゃ  作者: 時の凛


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9. 少女の想い-√B

※√BはIFルートです。

IFルートは一部に、精神的なご負担を感じる可能性のある描写が含まれております。

内容にご不安のある方は、この話は無理せず読み飛ばしていただくようお願い申し上げます。

――どうして、そんな顔ができるんだ。

僕のことをわかっているみたいに、どうしてそんなふうに笑えるんだ。


つむぎの目には、あの翔の姿が重なった。

彼女が翔と話しているときの、あの自然な笑顔。

僕には見せたことのない表情だった気がして、喉が焼けるように熱くなった。


「……何しに来たんだよ。」


気づけば、その言葉が口からこぼれていた。

つむぎが一瞬、きょとんとした顔をした。


「え……?」


僕は立ち上がって、彼女の顔を見下ろした。

自分の中の何かが、もう止められなかった。


「いい子ぶるなよ。そんな顔して何も知らないくせに。」


自分の声が、自分のものとは思えなかった。

石段に落ちる影が震えて見えた。

つむぎは一歩、後ずさった。


「……れん、どうしたの?」


「どうしたのって……そんなの、こっちが聞きたいよ。

翔のこと、楽しそうに話してたくせに。なんで、今さら僕のことなんか……」


言葉を止めることができなかった。

吐き出すたびに、心がどんどん汚れていくのがわかった。

つむぎの表情がゆっくりと曇っていく。


「そんなこと言わないでよ……。わたし、れんが心配で……」


「心配?優しいふりしてるだけだろ。」


自分で言いながら、胸の奥が冷たくなった。

言葉が刃のように彼女を傷つけているのを痛いほど感じているのに止められなかった。


つむぎは俯いた。

夜風が吹き抜け、蝉の声すら消えた。

長い沈黙のあと、彼女は小さく息を吐いた。


「……れんのこと、そんなふうに思ったことないよ。」


その声は震えていた。

つむぎは顔を上げずに、かすかに笑った。

だが、笑おうとしてうまく笑えなかった。


「でも……わかった。ごめんね。」


その言葉を残して、つむぎは背を向けた。

ゆっくりと石段を降りていく。浴衣の裾が月明かりに揺れた。



――待って。

その背中を見た瞬間、喉の奥から声が出そうになった。

でも、足は動かなかった。


つむぎの背中は、もう何度も見てきたはずなのに、その夜だけは、まるで知らない誰かのように遠かった。


追いかければ、何かが変わったのかもしれない。

でも僕は動かなかった。

いや、動けなかった。


「……翔の方が、きっとお似合いだよ。」


誰に向けるでもなく、ただそう呟いた。

それはつむぎを思いやる言葉ではなく、自分を守るための言い訳だったと思う。

石段の上にひとり残された僕は、空を見上げた。

花火はもう終わっていた。

黒い煙だけが、空に薄く滲んでいた。




あの日を境に僕とつむぎは話さなくなった。

登下校の道も、昼休みの図書室も、すべてが他人のものになった。


最初はぎこちなく会釈を交わしていたけれど、やがてそれすらなくなった。

話しかけようと思った瞬間、あの夜のつむぎの表情が頭をよぎる。

悲しそうにでもどこか諦めたように笑った顔。

それを思い出すたびに、喉が詰まって何も言えなくなった。


誰かが廊下で囁くのを聞いた。

「つむぎちゃん、翔くんと付き合ってるらしいよ」

その言葉に胸がちくりと痛んだ。

「そうなんだ…。」と心の中で言った。


本当かどうか、確かめようとも思わなかった。

知ったところで、どうにもできない。

ただ、あの夜に投げた言葉が、今も胸の奥で錆びついて残っていた。

つむぎの背中を追いかけなかった自分がいまさら何を言えるだろう。


夏が終わるころ、教室の窓から見えた空はもう青ではなかった。

灰色に霞んだ雲が低く垂れ、海からの風が少し冷たかった。

僕はノートの隅に落書きをした。

“ちはやぶる神代もきかず――”

あの日、つむぎが口にしていた歌の一節。

不思議で、強い恋。

けれど僕のそれは、不思議でも強くもなかった。

ただ、弱くて醜かった。


放課後の廊下で、つむぎと翔が並んで歩いているのが見えた。

彼女は笑っていた。

心から楽しそうに見えた。

翔が何かを言ってつむぎがうなずく。

その横顔を見た瞬間、胸が締めつけられた。

でも、その痛みを“安堵”だと自分に言い聞かせた。


――つむぎは幸せなんだ。

それでいい。

僕じゃなくても誰かが彼女を笑わせてくれるならそれでいい。


そう繰り返しながら、心の奥の空洞を見ないようにした。

気づけば、蝉の声が遠くなっていた。

夕焼けの色が、少しずつ夜の藍に飲み込まれていく。

その光の中で、僕は一度も呼ばれることのなかった“れん”という名前の響きをただ黙って胸の奥で転がしていた。


あの夜、ほんの一言でも違う言葉を選べていたら――。

そんなことを考えても、もう遅い。

夏は終わった。



そして、もう二度と夏が訪れることはなかった。

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