4. 少女の約束-√B
※√BはIFルートです。
IFルートは一部に、精神的なご負担を感じる可能性のある描写が含まれております。
内容にご不安のある方は、この話は無理せず読み飛ばしていただくようお願い申し上げます。
僕はほんの一瞬だけ、何かを怖いと思った。
つむぎが手を差し出してくれたその瞬間、頭の奥でなにかがざわめいた。
この手を取ったら、なにかが変わってしまうような気がした。
幼い僕には、それが何なのか分からなかった。
ただ、心の奥に小さな不安が生まれて手が動かなかった。
「……行こう、つむぎ」
僕は言葉だけを口にした。
つむぎは少しだけ目を見開いたが、何も言わずに立ち上がる。
その手は、宙に取り残されたまま、ゆっくりと下りていった。
神社の階段を降りると、祭りのざわめきがまた耳に戻ってきた。
提灯の光が遠くに揺れ、屋台の声が重なり合う。
僕らは人の流れの中に戻り、ようやく家族の姿を見つけた。
母が安堵の息を漏らし、父が僕の肩を強く抱いた。
つむぎの母も、彼女を抱きしめて泣いていた。
その輪の中に、僕とつむぎが並んで立っているのになぜか距離があった。
たった数歩分の距離がなぜか埋められなかった。
家に帰るまで、僕たちは一言も話さなかった。
窓の外に流れる夜の風景がやけに静かで、
まるで僕たちの間にできた隙間をそのまま映しているようだった。
――次の日からつむぎと話すことが少しずつ減っていった。
幼稚園の帰り道、いつもは自然とつながっていた手を、
今はどちらからも伸ばすことがなくなった。
顔を合わせても、なんとなく笑って終わる。
その「なんとなく」が幼い僕には重たくて、
けれど何をすればいいのか分からなかった。
やがて卒園の季節が来た。
教室の壁に貼られた絵、歌う声、並んだ小さな椅子。
僕とつむぎは最後の日も、ただ同じ空間にいただけだった。
帰り道、何度も手を伸ばそうとして、
結局、何もできずに「またね」とだけ言った。
それが最後だった。
気づけば、つむぎの家は引っ越していた。
違う小学校に行くと聞いたのは、引っ越しの日のあとだった。
母が寂しそうにその話をしているのを、
僕は「ふーん」とだけ返して、テレビを見ていた。
それがわざとだったのか、本当の無関心だったのか、
今では思い出せない。
時間が過ぎるにつれ、つむぎのことを思い出す時間は減っていった。
最初は意識して思い出していたのに、
いつの間にか、彼女の顔を思い出そうとしても、
輪郭がぼやけていくようになった。
夏の風の匂いを感じても、
祭りの音を聞いても、
胸の奥で何かが引っかかるのに、
何を思い出そうとしているのかが分からなかった。
電車の揺れが、物語の終わりを告げるようにゆるやかになっていた。
少女はそこで言葉を切り、窓の外を見つめる。
水平線の向こうは薄く霞み、白い光が海の表面をやさしく撫でている。
彼女の横顔は静かだった。
ただ、どこか遠くを見つめているような、そんな目をしていた。
唇がわずかに動く。
「――それが、わたしとれんのお話」
と、かすかに笑った。
けれどその笑みはどこか痛々しく、今にも崩れてしまいそうだった。
俺は言葉を探しながら、胸の奥が少し締めつけられるのを感じた。
この電車の中に流れる静けさは、優しさと寂しさの境目のようだった。
「……君はれんにどうして欲しかったの?」
そう口にすると、少女は少しだけ目を伏せた。
まつげが震え、光がその先で小さく揺れる。
「わからない。でもこれはこれで私たちの選んだ道の一つだから」
少女の声はかすれていたが、そこには確かな温度があった。
「人はね、どんなに小さな選択でも、世界を変えてしまうの」
そう言って、少女は座席の端で両手を膝の上に置いた。
「でも……どの世界にも、ちゃんと想いは残るのよ」
言葉が電車の空気に溶けていく。
俺はただ、その言葉の余韻を胸の奥で確かめていた。
この少女が語る物語は、まるで誰かの記憶そのもののようで――
今ここにいることさえ、夢の続きのように感じられた。
窓の外、水平線の彼方で淡い光が瞬いた。
まるで物語の続きを、まだ語りたがっているかのように。




