20. 二人の道-3
春の風が頬を撫でていく。
改札を抜け、観覧車の輪郭が見えたとき、紬がふっと笑った。
「ねえ、蓮。二人で来たの、久しぶりだね。」
「うん。高校生以来だね。」
彼女はいつもより少し気合を入れていた。
淡いベージュのワンピースに白いカーディガン。
陽に透ける髪がきらめいて、頬の白さをより際立たせていた。
薄く色づいた唇が春の花びらのようで、蓮は一瞬、見惚れてしまっていた。
遊園地に足を踏み入れると、子どもたちの笑い声が弾むように響く。
綿あめの甘い匂い、油の焦げる香り。
それらが入り混じる空気の中で、蓮はふと昔の記憶を思い出した。
――まだ二人が小学生だったころ。
家族ぐるみで来た遊園地。
あのときは紬が「早く早く」と言いながら、蓮の手を引いて走っていた。
あれから何年経ったのだろう。
今は蓮の方から手を伸ばしている。
「……手、つなごっか」
恥ずかしそうに発したその言葉が風に混じって消えそうになる。
紬は照れたようにうなずき、そっと手を取った。
指先が触れた瞬間、互いの体温が伝わる。
どちらの手も少し湿っていた。
緊張と照れくささが混ざったような、やさしい汗だった。
「最初、何乗る?」
「うーん……メリーゴーランド!」
少し子どもっぽい。けれど紬らしい。
昔から最初はいつもそれだった。
くるくると回る馬にまたがり、風を切る。
上下に揺れながら、紬の髪がふわりと舞う。
金の飾りが光を跳ね返し、まるで夢の中のようだった。
彼女が振り向いて笑う。
その笑顔は、かつてのあの夏とまったく同じだった。
蓮の胸の奥で、何かが静かに鳴った。
次に向かったのはバイキングだった。
「行こうよ!」と腕を引かれ、渋々列に並ぶ。
蓮は、こういう上下に大きく揺れる系統が苦手だ。
船が最初に小さく揺れはじめたときから、顔が引きつっていた。
角度が増すたびに身体が宙に浮き、重力が裏返る。
最後に跳ね上がったときには、彼の手は完全に力を失い、
降りる頃には膝が笑っていた。
「だ、大丈夫?」
「……産まれたての子鹿って、こんな感じかも…。」
紬は口を押えて笑いをこらえきれない。
その笑顔を見て、蓮も苦笑した。
けれど紬の次の言葉に、彼の顔は再び青ざめる。
「じゃあ、次はジェットコースターね!」
「……いや、無理。あれは本気で死ぬやつだって。」
「だいじょうぶ。死なないよ、ほら、行こ?」
有無を言わせぬ調子で手を引かれる。
それは、かつての紬そのものだった。
結局、いつも彼女の笑顔に抗えない。
安全バーが下りた瞬間、逃げ道はなくなった。
「……紬、頼む。手…離すなよ。」
「うん、離さない。」
カタカタと音を立てて上がっていく。
高くなるにつれて、空が近づく。
街が小さくなり、風が冷たくなった。
頂上で一瞬止まる。
遠くの山の稜線がくっきりと浮かんでいる。
紬が呟く。
「蓮。いつもありがとう。」
次の瞬間、落ちた。
風が裂ける音。
涙が風圧で飛び散る。
紬の笑い声が、歓声と混ざって遠く響く。
地上に戻ったとき、蓮は完全に魂が抜けたようだった。
足元がふらつき、金属の手すりに掴まる。
紬はその様子を見て笑い転げている。
「もう、笑うなよ……」
「だって、すごい顔してたもん。」
ようやく呼吸を整え、二人は近くの売店に腰を下ろした。
焼きそばを買い、紙皿の上から湯気が立ちのぼる。
「絶叫系のアトラクションは、もう終わりだからな。」
蓮は少しむくれた声で言う。
その表情を見て、紬は箸を止めた。
「ほんとは、楽しかったでしょ?」
「……まあ、ちょっとだけ。紬と一緒だったから。」
紬はにこりと笑い、
「でしょ」と言って焼きそばを一口食べた。
二人の間を、春の風が通り抜ける。
紙コップの水面が小さく揺れ、
遠くで観覧車の回転音が聞こえる。
昼下がりの光が、二人の顔をやさしく照らしていた。
その光の中で、紬の横顔は少し儚げで、
それでも確かに“生きている”と感じられた。
蓮はふと、思った。
今日という日が、彼女の心の中の何かを取り戻す一歩であればいい。
それだけで、充分だった。
焼きそばの湯気がゆっくり消えていく。
その様子を眺めながら、蓮は静かに息をついた。
どこかで鐘が鳴り、午後の陽射しが傾きはじめていた。




