12. 少年の記憶-2
中間テストの返却日。
教室はざわざわとした空気に包まれていた。
答案用紙を手に、みんなが点数を見せ合っている。
いつもは翔と紬が上位争いをしているのに、今回は僕の名前も上位にあった。
「えっ、蓮が上位!?私たちよりも上だし…それ絶対カンニングしたでしょ」
紬が笑いながら僕の答案をひったくる。
「してないって。真面目に勉強したんだよ」
「ふーん、怪しいなぁ。職員室の解答用紙を盗み見たとか?」
いつもの紬の冗談に翔が横から口を挟む。
「いや、普通にすごいじゃん。努力した証拠だよ」
そう言ってくれる翔の顔は、からかうでもなく素直に嬉しそうだった。
なんだかむずがゆくて、僕は曖昧にお礼を笑い返す。
笑い声に包まれる中、僕の心だけが少しだけ静かだった。
――白石さんに、お礼を言わなきゃ。
放課後、図書室。
窓の外では、茜色の陽がゆっくりと沈んでいく。
カーテンの隙間から差し込む光が、埃の粒を金色に染めていた。
静まり返った空間の中で、紙をめくる音だけが一定のリズムで響いている。
白石さんは、いつもの席でノートを広げていた。
髪を耳にかけるたび、淡い光が頬を撫でる。
その横顔を見ていると、胸の奥に安心が広がった。。
「蓮くん、点数どうだった?」
「国語は九十二点。今までで一番良かったよ」
「そっか。教えた甲斐があったね」
微笑んだ唇が、光を受けて淡く光る。
その笑みはどこか安堵と少しの寂しさが混じっているように見えた。
「本当にありがとう。白石さんのおかげだよ」
「ふふっ。じゃあ、なにかご褒美、ほしいな」
軽い冗談のような口調だった。
だから僕も、何も考えずに「いいよ」と答えた。
一瞬、彼女の目が細くなり、何かを決意するような光が宿った。
「じゃあ……目を閉じて?」
促されるままに目を閉じる。
ふわりと、息の混じった香りが近づいてくる。
次の瞬間、唇に柔らかい熱が触れた。
思考が止まった。
目を開けると、白石さんの顔がすぐそこにあった。
頬は赤く染まり、瞳が震えている。
「あ…あれ…今の、忘れて…」
その声は震えていた。
けれど、震えの奥に、何かを押し殺すような強さがあった。
「どうして……?」
言いかけた僕の手を、白石さんがそっと取る。
彼女の手は冷たく、それでいて確かに熱を持っていた。
何が起きたのか、理解が追いつかなかった。
彼女の手が取った僕の手を、自分の胸元に押し当てた。
温もりと柔らかさが指の間に広がる。
「ねえ、蓮くん。」
「……」
「私、蓮くんのこと……」
僕は息を呑んだ。
その言葉が終わるより先に、心臓が暴れた。
これはいけない。
僕は慌てて距離を取った。
白石さんは小さく肩を震わせ、膝上のスカートの裾を握りしめた。
沈黙が流れる。
時間が止まったように、夕陽だけが二人を染めている。
光はだんだんと赤から紫に変わり、図書室の空気ごと冷えていく。
「……ごめん」
白石さんは俯いたまま、小さく呟いた。
チャイムが鳴った。下校の時間。
遠くで部活の掛け声がかすかに聞こえる。
僕は黙って戸締まりを確認し、最後に一度だけ彼女を見た。
白石さんは窓辺に立ち、沈む夕陽を見つめていた。
横顔は静かで、美しかった。
まるで、誰かを見送るように。
図書室の扉を閉めたとき、
指先にまだ、あの温もりが残っている気がした。
手を擦っても消えなくて、どうしようもなく苦しかった。
外はすっかり群青に染まっていた。
風が吹き抜け、校舎の壁を撫でていく。
遠くでカラスの鳴く声が響いた。
ポケットの中でスマホが震えた。
“ごめん、部活長引きそうだから、今日は先に帰ってて”
紬からのメッセージ。
短い文面なのに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
指が勝手に「わかった」と打ち込んでいた。
駅へ向かう道。
街灯がひとつ、またひとつと灯る。
昼と夜の境目の空気が、少し湿っていた。
夕陽の名残が足元に滲んで、影が長く伸びる。
さっきの出来事が現実感を伴わず、夢のように頭の中で反芻された。
――白石さん、どうしてあんなことを。
理由を考えても、答えは出ない。
ただ、彼女の震えた声と、指先の温もりだけが焼きついて離れなかった。




