10. 少女の想い-4
僕は口を開いた。
胸の奥で渦巻いていたものがどうしようもなく溢れそうになっていた。
「……つむぎ」
名前を呼ぶと彼女は静かにうなずいた。
夜風が吹き抜け、遠くの花火の音が一拍遅れて響く。
僕の喉は乾いて、声が掠れていた。
「僕さ……最近、変なんだ」
言葉を選びながら、視線を落とした。
「つむぎといると楽しいのに、翔と話してるのを見ると……なんか、胸が痛くなる。
別に怒ってるとかじゃないんだけど、どうしようもなく苦しくて。
そんな自分が嫌で、情けなくて……」
石段の下で、夏の虫が鳴いている。
その声に包まれながら、僕は吐き出すように言葉を紡いだ。
「みんなと笑ってるつむぎを見ると嬉しいのに、
同時に僕だけ置いていかれる気がして。
そんなこと思うのは間違ってるってわかってるのに……」
つむぎは黙っていた。
ただ、僕の言葉のひとつひとつを拾うようにゆっくりと頷いていた。
「僕、つむぎといたい。ずっと一緒にいたい。
でも、こんな気持ちを抱いてる自分が怖くて……最低だって思う」
声が震えた。
夜の空気が胸の奥に刺さるように冷たかった。
「……ごめん、こんなこと言っても困るよな」
自嘲気味に笑うと、つむぎは首を振った。
その目は優しくて、真っ直ぐだった。
そして、彼女はそっと僕の肩に手を置き、何も言わずに腰を下ろした。
そのまま僕の頭を引き寄せ、自分の膝の上に乗せた。
「え……?」
驚く僕につむぎは小さく笑った。
「疲れたでしょ。少し、こうしてて。」
柔らかな声。
花火の音が遠ざかって、夜の世界が静けさに包まれた。
彼女の膝は温かくて胸のざわめきが少しずつ溶けていくようだった。
髪に触れる指先がやさしくて、息をするのも忘れそうになる。
どれくらいそうしていたのかわからない。
時間の感覚が遠くなって、ただ、風の音と鼓動だけが残った。
「れん」
つむぎが僕の名前を呼んだ。
見上げると、彼女の瞳が夜の灯に照らされてきらめいていた。
「れんのそういうところ、好きだよ」
「……え?」
「自分の気持ちをちゃんと見ようとするところ。
誰かを想って悩むところ。
優しいけど、ちょっと不器用で、真面目すぎるところ」
彼女はひとつひとつ、指折り数えるように言葉を重ねた。
「いつも人のことを考えて、自分のことは後回しにするよね。
でも、そういうれんが私は好きなの。」
夜空の下で、世界が一瞬止まった気がした。
花火の光が遠くで咲いて、消えていく。
「れんが誰かを大切に思えるってこと、それはすごく素敵なことだよ。
嫉妬したり、苦しくなったりするのも、それだけ本気だからだと思う」
その声は、僕の心の奥まで届いた。
自分の気持ちの正体が嫉妬だと知りずっと押し込めていた感情が溶けて流れ出すようだった。
つむぎは少しだけ笑って、僕の頬に手を伸ばした。
そして、静かに告げた。
「れん、私……れんのことが好き。」
言葉が空気の中で揺れた。
信じられないほどまっすぐで、優しくて、どこまでも温かい音だった。
僕の頭の中が真っ白になった。
思考が止まり、ただ心臓だけが暴れるように打っていた。
「……僕?」
「うん。れんがいいの」
夜風が吹き抜けて、つむぎの髪が頬に触れた。
その瞬間、何かが胸の奥で弾けた。
「僕も……僕も、つむぎのことが好きだ」
声が震えていたけれど、もう迷いはなかった。
つむぎの目がやわらかく細められて、頬に小さな笑みが咲いた。
「ありがとう」
つむぎの目から涙が溢れていた。
短いその言葉に、彼女のその顔に、涙が滲みそうになった。
僕達は"恋人"になった。
落ち着きを取り戻した二人はそっと立ち上がり、自然に手を取った。
指先が触れ合うと心の奥が温かく満たされていく。
夜空では、最後の花火が大きく広がっていた。
「戻ろっか、みんなのところに」
つむぎの声に頷いて、ふたりで歩き出す。
手の中の温もりが、まるで夢みたいだった。
屋台の明かりが見えてくる。
翔がこちらに気づいて手を振った。
「おーい、どこ行ってたんだよ!」
「ちょっと、散歩してた」
僕がそう言うと翔は笑って肩を叩いてきた。
その笑顔を見て、不思議と心が軽くなった。
──翔は、いいやつだ。
それだけのことが、今なら素直に思えた。
最初からそうだったはずだが自分が勝手に疑って、勝手に苦しんでいただけだったんだ。
僕は少しだけ笑って、隣のつむぎを見た。
彼女は僕の手をそっと握り返した。
その指先の温もりが、夏の夜に確かに残っていた。
「はい。おしまい」
少女は物語を締めくくるように、ぱんっと両手を叩いた。
「いい話でしょ」と得意げに笑う。
「れんくんと一緒にいれて、幸せ?」と俺が聞くと、
少女は「もちろん」とうなずいた。
その笑顔があまりにもまぶしくて、思わず俺も微笑んでしまった。
そのとき、電車が減速を始めた。
次の駅に着くようだ。
扉が開き、立ち上がった少女は一度だけ振り返る。
「お兄さん、ちゃんと想いは相手に伝えるんだよ。
人と人は、言葉を交わすことが大事なんだから」
そう言って軽く手を振り、ホームへと消えていった。
再び、静かな時間が戻る。
変わらない窓の外の眺めを見ながら、ふと思った。
──まだ俺が誰かはわからない。
けれど、きっと俺を大切に思ってくれる誰かがいる。
そう信じられる気がした。




