王の刻印を刻む者
暗闇に落下した四人、中でもシグルドとクレイトスが他の二人を抱え、直下の底に叩きつけられる前に勢いを殺した。
一人は湖面に立つように静かに、一人は衝突の直前に火花を爆ぜさせて腕の中にいるミュリアを庇いながら着地した。
「騒々しいな」
「殿下……あれでも戦士の中では上澄みだ」
着地地点から転がり、土埃まみれになったシグルドがミュリアを助け起こす。
「随分と手厳しいな、王女様は。ミュリア、ケガはないかい?」
「……ええ、大丈夫。それにしてもかなり高いところから落ちたのね」
落ちてきた穴は徐々に漏れた光を閉ざしている。しばらくすれば、ここは暗闇になるだろう。
「取り敢えず、僕の炎を灯しておくよ」
温かな光が暗闇を照らした。
「一刻も早く地上に戻るべきだ。クレイトス、出口はあるか?」
「おそらく排水溝があるはずだ、塞がれる前に行くぞ」
フィオルナとクレイトスは暗闇の中を進んでいく。
「ちょっと待ってくれ。状況を教えてほしい」
「立ち止まる暇はない。聞きたくことがあるならまずは生き延びることが先決だ。何故かは知らんが、本来のトラップは機能してみたいだからな」
玉座では忍び込んでいたナディアが目の前の光景に戦慄していた。
(……まじ? 義理とはいえ、娘を……あと忠臣すらも手に掛けようとするなんて。こんな国に店を構えなきゃよかった……真っ黒も黒、どーしようもないね)
周囲を確認すると、殆どが王子の派閥でフィオルナの派閥の人間は少ない。或いはここに来た者は裏切っていたのか……ともかく、この王城の中枢には敵しかいない。
「おい! 何をぼさっとしている」
「うわぁぁあい! なんすか!」
声も姿も本来の姿と違って、正体を知らなければ誰なのかも分からないだろう。
「お前が担当しているトラップ、まだ起動していないのはなぜだ?」
ナディアの目の前にはレバーがある。
(え? 絶対これ、引いたら王女さんも将軍も、あの二人も死ぬやつじゃん……)
どんどん周囲の圧が強くなる。不審なものを見かければ、この場では即処断されそうだ。
(命をかける間柄じゃないんだよねー。別に、お金は無視してさっさととんずらしたいし)
この国にこだわりのないナディアからすれば、もうここまでの時点で見切りをつけている。問題なのは、まだやり遂げてない依頼があることだ。果たして放り投げていいだろうか。けれど、自身の命より大事なものはない。
(今までなんだかんだで百パーセント、いや一部四捨五入かもしれないけど、それでも確かな仕事はやってきた。あたしなら、どさくさに紛れて逃げ込める)
レバーに手をかける。どうして私が助けなければならないのか、とナディアは思った。
(あたしは大層な人間じゃない。だから、こんな場面で何もできなくても。無様でも仕方ない。だって、私はただ転がっていく金貨を追っかけてくだけ。ただ日の当たるところで穏やかに生きたいだけ……)
もう片方の手でレバーをロックする鍵に手をかける。ただ生きるのは胸を張って道を歩むことなのだろうか。その時には今と同じように選択できるのだろうか。
「だから、あたしは何者でもないからこそ誰よりも逃げ切れる!」
彼女の“漂客”の刻印が輝く。誰よりも身軽な彼女は壮絶な鬼ごっこに身を投じた。
シグルドの光を頼りに四人は暗闇を進んでいた。ミュリアはフィオルナの側に近づき尋ねた。
「そういえば、国王はあなたのことを下賤なものとか言ってたけど、どういう意味なの?」
「言葉通りの意味だ。とはいえ、大したことじゃない。何処からともなく王族の血を引く娘を見つけたという話は作り話で、私を王家の血に取り込むという方便というだけだ」
フィオルナは淡々と説明する。
「じゃあ、なぜ貴方は王を目指すの? 刻印があるから?」
「王であればこの国のあらゆる制度、因習を改めることができるだろう。故に、私は彼らの思惑に乗ったというわけだ。今回はクレイトスに全てを制圧してもらうつもりだったが、こちらの方が何かと動きやすそうなのでな」
この状況も想定通りなのかと、シグルドは驚いた。
「全部読んでいたのか?」
「あちらが私を消したいということは想像できた。加えて、お前が決勝で戦った相手はお前の命だけでなく、優勝すれば王城で私の命を狙うという算段だったのだろう。そう考えれば、タイミングはあそこだと察しはつく」
「自分の命すらも餌にして?」
「ふん、己の命すら扱えぬようで何が王だ。私は運命に選ばれたのではない。運命を私が掌握したのだ」
その瞳は堂々と前だけを見据えている。
「あいにくと、お前のように一人で戦うことはできないのでな。多少危険を冒してでも、貴様らを引き入れたほうがいいと思った。あの血に備わる“黄金”の刻印はそれほど面倒なのだ。正面から切り崩すにしても、こちらに正当性が欲しかった。今ならまさに好機というわけだ」
「君が落ちる直前に口にしていた“ヤドリギ”って?」
「ああ……それは全てを黄金に染める儀式陣のことだ。本来ならここは既に黄金で満たされる。だが、お前らの仲間が時間稼ぎをしているみたいだな。とはいえ、ほかにも起動方法はある」
フィオルナは自身の刻印を使って血の紋章を空中に描いた。
「外部から崩すのはやはり無理そうだ。内部から崩すとしよう」
周囲から悍ましい何かを吸い上げて、紋章は輝きを宿す。
「王城には“黄金”による方陣が張り巡らされている。少しずつでも手中に収めればやつの支配力を抑え、力を弱められる」
「直接倒せないのか?」
「あれの執着はただならぬものではない。一度だけでは容易く死ねないほどにな。私たちは反逆者の立場にある。どちらにしろ、生きて帰るには脅威を排除しなければならない」
フィオルナの言葉は冷徹で合理的だ。迷いはなく、全てを覚悟しているのだろう。
「どうしてあなたは王となり、その手を血に汚してでも前に進もうとするの?」
ミュリアの言葉にフィオルナは軽く笑った。
「何かを成すために犠牲はつきものだ。玉座に付く頃には私の選択に多くのものが不満を感じるかもしれない。だが、改革というのはそういうものだ。血を流し、傷を負ってでも追わなければならないものがある。私は後世に何と呼ばれようと構わない。暴君であろうと、何であろうと……それは他者の評価だ。私はこの手で栄光を残したい。私の、ではなくこれからも続く国の栄光を」
その瞳は何処まで遠くを見透しているのか。フィオルナは遠く、自らがそこに到達できなくとも前へと進む足取りを止めない。背後に屍山血河を作ろうとも、その理想は気高く輝く。それこそが、自身の収めるべき運命だというように。
フィオルナが頭上に目をやると、上から何かが蠢くような音が響いた。
「時間はないぞ、黄金の奔流が流れてきた。一度触れれば全て黄金に変えられる」
黄金はくぼみに流れ込み、まだ足元につかるほどではない。しかし、個々の空間をのみ込むのにそれほど時間は掛からないだろう。
「ここからどちらが先に王を取るかの戦争だ」




