忘却と新生を
アーシャはミュリアの助けを借りながら、鍵に関連するデータを引き寄せた。
そのデータには小さな部屋が現れた。
ぬいぐるみや壁の飾りが可愛らしく置かれており、生活感と温かな雰囲気にあふれていた。
「……」
けれど、今のヴィネにはフレーム越しに見る光景のように見える。
「ねえ、アーシャ。彼女のマスターはどこにいるのかしら?」
不思議に思って、ミュリアが尋ねるとアーシャはしばらく動かして、その手を止めた。
「彼女は生き残りのはずなのに、アムリタに意識をアップロードしなかったみたいだね。このデータは残したみたいだけど……うん、確かに不思議だね。何かないか調べてみよう」
ヴィネは机の上に置かれている手紙に気がついた。
「あれを見ることはできるでしょうか?」
「んー、ちょっと待って。……ふむ、君宛てみたいだけど僕は席を外そうか?」
アーシャが確認を取ると、ヴィネは首を振った。
「いえ、読んだあと二人にも聞きたいので」
その手紙は簡素で、その場で書き留めたものらしい。
『これは、懺悔というか後悔を整理しようと思って、もしかしたら何かを残したいと考えて書き始めた。
結局、人間である私はあの子を置いて先に死んでしまう。最後まで一緒にいようとも考えたけど、やっぱり、そんなの駄目だって思ったんだ。
だって、私がいなくなってもヴィネは私に縛られ続ける。私がそう望んだから。でも、それが作られたニセモノだって思うつもりもない。私だって、ヴィネに誇れるマスターであれるようにって頑張ってきたもん。創造者としても、マスターとしても、恥じないようにね。
だから、私はヴィネに内緒で彼女を送り出した。一つは私のいなくなったあとを考えて、もう一つは、私がまだヴィネの前で誇れる姿で残るように。
少しの間、ヴィネのシステムをオーバーロードさせて、宇宙船に乗せた。といっても、無意味な負荷じゃなくて、私からヴィネへの、新生のプレゼント。
身勝手だけど、行き詰まった世界にいるよりもずっと希望があると思うから。生命力を失った世界では、花が美しく咲くことすらも贅沢で、何かを捨てないと生きていけない。なら、ヴィネに新たな可能性を託そう。それが、彼女を裏切ることだとしても。
そう、これは身勝手な願い。ここに書いたのも、いつの日か彼女が戻ってきたときに、私の思いを伝えたいってわがまま。許してくれなくてもいい、忘れてても、仕方ないなって思うよ。
マスター権限の放棄によって、ヴィネは自身の再定義から始めると思う。再び目覚めたときには、彼女の目に映るものがプログラムで支配されないように、時間経過で思い出せるよう記憶をロックした。
だから、ヴィネの歩む道が生き生きとしたものであるようにって、応援してるから。振り返らず、前に進んでね』
「……」
ヴィネは言葉を出せずにいた。
ミュリアは優しく語りかける。
「ねえ、ヴィネ。私はね、貴方が向き合ったことに意味があると思う。……私だって、ヴィネがここに留まると決めてしまったら、って考えたわ。でも、どちらの重みも知ったこそ、やっと大切だと思えるの。そういう意味では、貴方のマスターは悩んで、選んだ。今の貴方と同じように」
「なんというか……面白いことにこの場には純粋な人間がいないから、正しい心が何かはわからない。一般的に家族だから大事に思いたい、あるいは大切にしたいという思いの中に、僕たちはどうしても空白があるんだ。それは自然とあるはずのもので、僕たちに埋められるものじゃない。……ま、最初から心に定めたものから揺らがないなんて、神と同じになっちゃうからね」
ふぅっと息を吐いて、アーシャはヴィネを見つめた。
「……。君は子供時代とでもいうものが、やっと卒業できたから、余計に戸惑ってるのかもね。これから君は、多くの選択の岐路に立つ。それが、代価を支払うものであるとしてもね。うーんでも、ヴィネの純粋さは僕は好きなんだけど……そういった時のケアは、ミュリアならできるよね……?」
「もう、私はママじゃないのよ。それほど人生の先輩というわけでももないし。なら、アーシャはパパにでもなってくれるの?」
とすっ、と音を立ててアーシャはミュリアに寄りかかる。
「……ははっ、時間が残されてるならそれも悪くないんだけどね。はぁ……時間というものは無慈悲だ。僕も、体の維持が限界みたいだ」
脱力した腕はもう上がらない。幸いにも、死に向かっていく中でもデータの体は思考を奪いはしなかった。
「悲しまないで。どうしようもないんだから。それに、どうせまたアムリタでかつての僕のデータが生成されるだろう。終わらない日常を抜けるために、何度も何度もここを目指して……何も残せないくらいなら、こんな結末のほうが百倍マシだって思うよ」
それだけでも満足しているように呟いた。
その様子を見て、ヴィネはアーシャの手を握った。
「けれど、私と一緒にいたのは貴方です」
「……」
心の底から驚いたように、目を見開く。
「君たちの中に僕も……入れてくれるの?」
アーシャは驚いた表情を少し複雑なものへと変えながらも、悪い気はしなかった。
「……うん、嬉しいなって。無為な中にも結ばれるものがあったと思えるのなら、それも悪くないかもね」
「……僕は、君たちを待っていたんだって今なら思うよ。自分で切り開こうと思ってたのにね……結局は、そういった巡り合わせだった」
それを残念に思いつつも、どこかで期待もしていた。そして、おそらくこの時にしか得られないものだとアーシャは感じていた。
「これが、決められたものだとしても……後悔はしないよ。皮肉なことにデータに過ぎない僕のほうが、本物よりも……この点だけなら、僕のほうが幸福かもしれないね」




