弔鐘者とレクイエムを その1
霧から冷たい空気が漂う。
視界の端で何かが蠢き、何かが通り過ぎる。
そんな不気味な廊下を、二人はいつ襲われるともしれない警戒をしながら、慎重に進んでいた。
視界の悪い中でジェイスは手探りで鍵を差し込んで開けた。
ミュリアたちは部屋の一つ一つを確認して、あの避難所にとって何か役立ちそうなものを探す。あの部屋にいるだけではか細いだろうと考えて。
「水に、食料…できれば毛布も必要ね」
台車の代わりにミュリアは浮遊する結晶を生み出してその上に物資を積むことにした。
ジェイスはそれを見て物資を積むのを手伝い、乗り切らないものを袋に詰めて背負った。それを見て、ジェイスは感心した様子を見せた。
「便利だな」
「ええ、私もとっても気に入ってるの」
ミュリアは笑って答えた。
突然、壁を破壊して黒い靄のような怪物が現れる。それらはミュリアたちに一直線で向かってきた。
その怪物の目には憎悪なのか、執着なのか。逃すつもりはないようだ。
「それを持って逃げろ!」
ジェイスが背負っていた荷物をミュリアに投げ渡す。
拳を振り上げる怪物に自身の刻印の力が刻まれた布で捕縛するが、万全ではないようで繋ぎ止めている布が揺れている。
ミュリアは急いで避難所への扉に向かって走った。
この物資が失われれば、避難所の人々を手当てする余裕もない。
そんな切迫とした状況で、一体どれほど正気を保てるだろうか。
ジェイスの網を潜り抜け、一つの大きな影がミュリアに迫る。
「ちっ……」
ジェイスの布が追いかけるが間に合わない。
ミュリアも咄嗟に結晶を使って身を庇うには残された力では足りなかった。
薄く張られた結晶は簡単に砕け、怪物の腕と物資の間にミュリアはいる。
もし、一歩を踏み出せば物資には当たらずにミュリアは直撃を受けるだろう。どれほど痛いのか、どれほど苦しいのかは想像できない。
けれど、ミュリアは物資を押しのけてその腕が振り下ろされる直線上に立った。
目を瞑った瞬間、背後から激しい熱が伝わった。
轟音を立てて怪物が火によって貫かれた。それは廊下を微かに燃やしながら、それを放った彼の方向を示す。
「……はぁ、間に合った」
シグルドは身体で剣を支えながら立っていた。
避難所まで戻って、震えている人に毛布や水を渡して一段落したあと、シグルドはミュリアの下に来た。
「今度は僕もついて行くよ。敵なら蹴散らせる」
「本当に大丈夫なの?」
「なんとかするさ。それよりも……」
複雑な表情でミュリアを見つめる。
「君なら分かっていたはずだ。外に出れば危険に遭うかもしれないって。君は鍛えてきた戦士じゃない。戦う力があるとはいえ、その生身は戦いに耐えられるものじゃないんだ」
その言葉に責める意思はないように見える。ただ、腕が微かに震えていた。
「それでも、君は危険を冒してでも選ぶんだね?」
「ええ、私はきっとその先に進もうとする」
躊躇いはない。
「結局のところ、私は選ぶことになるの」
部屋の周囲を見渡せば、まだ悪夢にうなされる人や恐怖から立ち直れない人たちがいる。
「これは正義感とかじゃないわ。多分、ただ痛みや苦しみが少しでも和らげばいいって思うからよ」
大層な理由じゃない。きっと、目の前にいる彼が抱えているような使命というほど重いものでもない。
「自分をすり減らすことになってもかい?」
「うん。だって、この手で愛とは何か触れたいから」
手のひらには熱があるけれど、何かに触れなければ伝わらない。
「一方的に与えられるのは幻想でしかない。ちゃんと、触れて、実感して、確かめたい」
はぁ、とシグルドはため息をついた。
「……それだけで?」
「きっと、それだけのことに多くの価値があるんじゃないかしら」
ふふっ、とミュリアは笑う。
「まあ、今度も命を張れるかって言われても自信はないんだけどね」
ミュリアは胸に手を置いた。
「だって、私にはこの世に愛されて迎えられた記憶もない。なら、これから人々の輪の中に入っていくしかないの。外からただ眺めるだけなんて、そんなの残酷過ぎるでしょ?」




