野良たちのブルース
視点:ナディア
窓際の温かな日差し、微かに頬を撫でる風。
心は微睡みに沈んで、ぼんやりとした頭が明るい光を捉えた。
いつも通りの朝、いつも通りの目覚め。仕事のない日には安心して熟睡ができる。たまに、依頼をすっぽかしたと思って飛び起きるんだけど。それでも、そのくらい平穏なのには変わりない。
朝食は適当にパンに挟んだサラダだけ。料理って柄じゃないし、いちいち皿を洗うのもめんどくさい。そもそも、もう自分で自分の餌を探し回らなくて済むのなら、お金を使って出してもらうほうがいい。
サラダのみずみずしいといえばいいのか、少しの苦味と掛けたドレッシングの酸味が口に広がる。少し味気なさを感じたら、食べ残りのジャーキーでも挟めばいい。
歯に詰まった欠片を喉に押し込んで、さっさと外に出た。
「おはよう♪ 今日は私が早かったわね」
ミュリアは外で出待ちしていたらしい。手にあるバスケットにはサンドイッチらしき物が見える。
「ふうん、それシグルドのとこに持ってくの?」
「そのつもりよ。あなたもどう?」
ミュリアが手に持って見せたサンドイッチは割と凝っていて、潰した卵やソースを絡めた肉とそのソースを浴びた野菜。彩りはとても豊かに見える。
「一個あげる。代わりに、今度あなたの作った料理でも食べさせてもらうわね」
「勘弁してよ。あたし、別に得意な方じゃないんだからさ。どうせなら、そこでリンゴでも買っておくからそれで見逃してくんない?」
あたしが笑って答えると、ミュリアはむっとした素振りをして詰め寄った。
「それは少しずるいんじゃない? シグルドも故郷の料理を用意してくれたのに、あなただけ逃げるだなんて。大丈夫、私も手伝うから」
故郷、少しだけ引っかかった言葉をすぐに頭の隅に追いやった。ミュリアはずっと期待の視線を向けてくる。その目から逃れるようにさっさとこの場から逃げ始めた。
「どこで何を食べようと変わんないじゃん。これありがと、貰っとくね」
「どこに行っても、か」
あたしに故郷と呼べる場所はないし、留まる場所もない。そうやって一人で生きてきたし、これからもそうやって生きるつもりだ。
生臭さや汚濁に塗れたって、生きていれば何とかなってきた。誰に何を言われようが、生きてるやつが最後に言い負かすことができる。
あたしはあたしの力で今も生き延びているって。
スラファトという大きな国でさえも、少し外れたところには貧しさにあえぐ人がいる。視界の端で、誰にも見られないようにしながらごそごそと日々の糧を集めるのだ。捨てられたものでも、何でも拾って。
いつの間にか、一人で生計を立てられるまでに成長した。
最初はあたしも路上で財布を盗んだり、食料をいろんなところから掻き集めて日々を凌いでいた。そんな生活で、未来に希望なんて抱かないし、絶望もしない。ただ目の前の日々が重く伸し掛かっていた。
私はどこにも属さないで、人々の流れの中にいながら人々が落とす金貨を拾い続ける。だから、しがらみのないあたしに追いつけない。あの王城という大きな鳥かごですらあたしを閉じ込められなかった。
“漂客”の刻印はそんな思いが認められたのかもしれない。
お陰で、あたしはどこに行っても流れ者だ。
ただ人々の流れにまぎれるだけでいい。
そんな事を考えていると、背後から何かがぶつかって背中を蹴り上げた。驚いてそちらを見ると、野良猫が貰ったサンドイッチを抱えて凄い勢いで逃げていく。
あ、と言葉が短く出た間にどっかへと姿を消した。俊敏で、狡猾な手練れの手口だ。きっとこれまでもそうやって生き延びてきたのだろう。この力ばかり称賛する都市で生き延びるために。
「油断してたかなぁ。最近緊張感がないからかもね」
別に貰いものだ。あたしのもとから何かが減ったわけじゃない。けど、少しだけ足取りは重くなった。軽くなったはずなのに。
「はぁ、最近調子が悪いかも。王城でも、隠れてたらいいのについ動いちゃったし……こんなのあたしらしくない」
フィオルナに指摘されたこともある。
『お前の強さは人に頼らない身軽さだ』と。
でも、最近は少し違ってきた。
「あたしとあいつらは金で結ばれた関係だ。それ以上でも、以下でもない。うん、ただそれだけ」
けれど、戸惑っている自分もいる。けれど、この関係は契約で、ミュリアたちには言えない秘密もある。それは“王”の刻印によって刻まれた絶対遵守の命令。あたし程度が逆らえるものでもない。
そしてその内容は彼らがこれから続く旅で引き起こしたことを素早く伝達させること。良い情報であっても、そうでなくても。
少し頭が痛くなってきた。先ほどからやたら眩しい太陽が鬱陶しい。
「あたし、どうしたらいいのかな」
契約してからずっと考えてる。フィオルナの言うことは最もだと思う。この契約に反対はない。そもそも、あたしは日々を生活できればそれでいいはずだ。そのために売れるものは売ってきたのだから。
あたしはお金さえもらえれば、たいていのことは請け負う。ミュリアたちを騙して。こんな拗れそうなことを正直に話そうとも思えないけど。そうすれば報奨もパアだし、あたしに何一つ良いことがない。
「なんか、まるでスパイみたい……あたしはもっと気楽に生きたいのに」
その時は何故か悪くないと思ってしまった。そうでなければ、もっと請求しても良かったかもしれない。そのせいできっと物足りないのだ。
「あー、もう少しお腹を満たして置くべきだったなぁ」
物足りなさそうにお腹が鳴る。渡されたサンドイッチがあれば、満たされていたかもしれない。さっき、ミュリアについていくべきだっただろうか。今頃、お腹を満たしていつも通り日々を楽しんでいるのだろうか。そう思うと余計に失ったものが大きく思えてくる。そうすれば、少なくとも今はこんなに暗いことを考えなかったはずだ。
仕方ない。少し早めに昼食を食べればいい。既に匂いにつられて足がふらふらとそちらへと向かっていく。
どんなものだって、腹を満たせれば変わらない。
けれど、あのサンドイッチの味はどんなものかを確かめるすべはない。




