ミュリアのターン!
視点:ミュリア
白湯を飲みながら窓辺から射す光に目を細めた。スラファトに来てから穏やかな日が訪れたのは初日の数日と騒動を乗り越えて暫く経ってから今日まで。本当にいろんなことがあった。そう考えると、本当にすごい冒険を乗り越えたのだと感慨に耽っていた。
「はーい、誰でしょー?」
背後から手で目隠しをされた。もちろん、その正体が誰なのか確認しなくても分かる。
「ナディア、こんなに早くから起きてどうしたの?」
「まるであたしがお寝坊さんみたいに言うのやめてよね。夜更けに少し仕事しに行って戻ってきてるんだから、誰よりも起きるのが遅くたって仕方ないんだから。まあ、あんたの相棒は誰も起きていないような時間から剣を振ってたけどね」
「そう、なら後で朝食を持って行ってあげましょうか」
私がそう言って笑うと、ナディアは少し呆れたような眼をしていた。
「あたしにはあの英雄にそんなに心を砕く理由が分からないんだけど。怖くないの? あんたも大会で見たでしょ、あの普段とは違う戦い高揚された好戦的な顔を。それとも、あんたにはよく分からなかった?」
彼女は窓からおそらくシグルドのいる方向を見つめた。
「あれはいつかどうしようもないほど戦いに巻き込まれていく質の人間だし、それに自ら巻き込まれて行っている。それはあたしらみたいな一般人にとっては狂気だよ。もちろん、あいつがいい奴ってことは知ってる。でも、関わり続ければこっちにも火花が飛んでくる。あいつがいくら強くたって全ては守れないし、あたしらみたいな弱っちい奴らは猶更、そうでしょ?」
これまでのことを思い返してみる。シグルドとの旅はまだそこまで長いものじゃない。けれど、彼のことを知るには十分な時間があったと思う。
「私はね、シグルドにもっと日常を大事にしてほしいの。私は英雄の刻印の運命に関してはまだ分からないけれど、そんなことは関係ない。だって、彼の目には私たちはただ救われるだけの存在かもしれないけれど、英雄が救うから世界は発展するわけじゃない。彼が守ろうとしているものは何か、そして守ろうとしているものだってこれまでの彼を生み出して支えているということを覚えていてほしいの。でないと寂しいでしょ。戦いは孤独なものかもしれない。でも、彼の戦いには何も残らないわけじゃない。守られた者もまだ続く道を進んでいく。それは世界から見ればちっぽけで些細な幸福かもしれないけれど、それは確かに世界を彩るの」
私が語り終えると、ナディアはいつもの気ままな表情ではなく、どこか物思いにふけるように壁に背中を預けていた。
「ふうん、あんたの話を聞くと……。本当に楽観的で、夢ばっか追いかけてる女の子って感じがするよ。でも、期待をしすぎれば裏切られるかもしれないよ。あたしだって、金で雇われてるから傍にいるの。世の中、綺麗ごとばかりじゃないんだよ」
「だとしても、失う必要はないんじゃないかしら。確かに、私は幸運よ。記憶もなく彷徨っていたころからいろんな人に出会ってきたけど、多くの人が優しくしてくれた。今思えば、この世の中でそんな巡り合わせは本当に幸運だった。けれど、大事なのはそんな出会いと優しさがこの世界には確かにあるってこと。いつか、そんな優しさがずっと続く場所を見つけられたらいいなって思ってる」
「あはは、そうだね。あたしも今みたいにずっとだらけられて、昼寝ができるそんな日向みたいなとこにずっといたいって思うよ」
宿屋を出て、まだ静かな様子の道を歩けば、そこには朝日を浴びて咲いた花が飾られている。しゃがんで、その花弁に触れた。ただ触れてみたかっただけ。けれど、不思議なほどに生命力を感じられる。それはまだ夜を乗り越えて本調子ではないかもしれないけれど、確かな重みを持って咲いている。
「いつもそんなことしてるわけ?」
「いつもってわけじゃないわ。ほら、ここも見慣れてきたから新鮮に感じることは少ないの。でも、ふとした瞬間に咲き誇る花に自然と気付いているの。花である必要はなくて、例えばあそこに歩いている猫ちゃんとか大きな竜だってそう。あっ……子供っぽいて笑わないでよね?」
結局はナディアに笑われて、そんな会話をしている間に美味しそうな匂いが漂ってきた。
「とりあえず定番の……あれ、もう新作が出てるの? こっちは期間限定……ねえ、ナディア。こっちは私が、そっちはあなた用に買ってもいい?」
「いいけど、そんなんじゃふと─―」
「太くなんてなってないわ。ほら、こんなにも細いでしょ。そんなこと、言っちゃだめだからね」
朝食を買って、シグルドの鍛錬場に着くころにはかなり時間が経ってしまっていた。
シグルドはこちらに近づくと手を振って私たちを迎え入れた。
「ああ、二人とも」
「ほんと、こんな時間に鍛錬だなんて。この国で一応優勝したんだから、そこまで気合入れる必要なくない?」
「日課みたいなものだからね。逆にやらないと不自然な気がしてね」
適当に座ったベンチで朝食を三人で食べることにした。
「うん、美味いね。なんだかミュリアと出会ってから何かと食べ物と巡り会っている気がするよ」
「それ、あなたが食事に執着してないからじゃないの?」
そんな会話をしていると、一足先に白身魚のマリネを挟んだパン……を食べ終えたナディアが私の食べていたパンに手を伸ばした。
「ちょっと……」
「あんたら気を抜きすぎだよ~」
その後は買い物をしたり、昼食を食べたりして優雅な休日を過ごしていた。夜に彼女との約束を迎える時間まで。
私はフィオルナの執務室でお茶を飲んでいた。部屋の中は質実剛健な内装といった感じで、ぎらぎらと目立った装飾はない。かといって、細かな装飾や絨毯の規則的な模様はこの部屋の主の性格を如実に表しているように思えた。
「私の刻印の本質は契約だ。私の配下と認めることで、お前に戦う力を具象化させる。これはいわゆる神が刻印を刻む行為と近い。だが、人と神は違う。本来なら、お前の能力以上の出力は出せないし、主導権は常に私にある」
「けれど、私に分け与えた力は変質してしまった。そうなのよね?」
戦いが終わった後、本来なら返すはずだった力は今も私に残されている。
「その特異体質がお前の出自と何かしら関係があるか知らんが、一度与えたものを返してほしいなどとは言わんさ。代わりに暫くは私の指示を聞いてもらうが」
フィオルナは窓から城下町を眺めながら、きっとこれからの行く末を見つめていた。
「本当はね、もし私に力があれば悲劇や結末に抗えるって思っていたの」
私の言葉にフィオルナは振り返る。
「確かに、実際のところは教団の手のひらで踊らされていたわけだが」
「そう。だから、あの戦いが始まった時から薄々感じてはいたの。刻印のない私には抗う力がないことに。けれど、それと同時に考えもした。もし戦いを収められる力があったとして、それが正しいのかなって。けれど、私は結局のところ刻印を持たない私は傍観者に過ぎなかった」
「あの戦いの因果は複雑に絡み合っていた。前国王とクレイトスの対立、教団の陰謀、建国から続いてきた血で呪われた歴史。それを止める権利があるものなどいるものか。いずれは清算しなければならない。どのような形であっても、他者の許しなど認められるものか。それが神であったとしても、私はそれを許しはしない。でなければ、人はいつまでたっても前進できないからな。血にまみれた覇道であれ、それが人の業であり選択でもある。容易く踏み躙られていいものではない」
「私としてはそこまで過激に動かなくても人は進んでいけると思うの。でも、ただ力に任せて調停するのは教団の神と変わらない。力というものは多分、そういうものであって直接解決策や物事を進められるものじゃない。そこには人の温かみとか、彼らの尊重という心がないの」
世界の運命はまるでリンゴが木から自然と落ちるように無機質で冷たい。どこまでも無常で非情だ。
「だから……きっといつか、あなたや教団の人であってもそんな選択をしないで済むように、私は頑張るわ」
そこに具体的な計画や方法は思い浮かばなかった。けれど、証明したいと思った。ぶつかり合い、傷つけあうことではなく、私たちは未来を歩めるのだと。




