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契約結婚と酒盛りの夜は

作者: 文月

「分かっていると思うが、この結婚は契約結婚であり私は君に契約の履行以外を求めるつもりは無い。契約通り3年後には子供が出来ないという理由で離縁手続きを行う。なので、初夜は勿論、今後も君と閨を共にすることは無い」


照明を絞り薄明かりの広い主寝室で、豪華だが品のあるキングサイズのベットに座った本日私の旦那様となったアリオス様は、温度を感じない淡々とした口調で言った。

言ってる事は普通の貴族令嬢なら卒倒するほど酷い内容だ。子が成せず離縁などとんでもない醜聞なのだから。

けれど、了承済みの私にとっては何を今更な話である。


何を隠そう本日、フェリスタ伯爵家の次女であるマーガレット──つまり私は、アリオス・オーヴェルニュ公爵閣下に嫁いだのだ。

これは完全なる契約結婚。

貴族同士の政略結婚ではなく、契約結婚。


オーヴェルニュ公爵家は何代か前の王女様が降嫁された由緒ある家柄で、国の三大公爵家の一つだ。

半年前にアリオス様のお父様である前公爵閣下が事故で身罷られ、23歳という若さでアリオス様が爵位を受け継いだ。

アリオス様は大層優秀な方で、突然の不幸で引き継いだ公爵家の業務も難なくこなし、さらには第二騎士団長という名誉ある役職にまで就いている。

そしてここが一番重要な話。


アリオス様は顔が良すぎる。


見目麗しい方は沢山いるだろうが、アリオス様は神が作った芸術品レベルの顔の良さなのだ。

家柄良し、名誉あり、顔すごく良し。

こんな男性がどうなるか想像に難くないだろう。


そう、めちゃくちゃにモテる。

行く先々で女の子達に黄色い声を上げられ、夜会となればアリオス様とお近付きになろうとするご令嬢が掴み合いの喧嘩に発展することも珍しくない。

求婚状は開けることすら困難なほど山になり、折に触れては贈り物が部屋を埋め尽くす。

中には怪しげな薬を飲まそうとする女性や、密室に連れ込もうとする女性など、なかなかに犯罪レベルの肉食令嬢まで現れるほど。

そんな環境のせいか、アリオス様は女性に良い感情が持てないのか婚約者を作る事もなかった。

ところが運悪く隣国から来ていた王女様の目に止まってしまった事で事態は急変する。


自国の王族には王子しか居なかった為、どの求婚もアリオス様なら難なく断ることが出来たが、隣国のお姫様ともなると話が変わってくる。

国同士の話になれば分が悪いと考えたアリオス様はすぐさま契約結婚に動き始めた。

そして白羽の矢が立ったのが我がフェリスタ伯爵家という訳だ。


ただでさえ風が吹けば吹き飛びそうな貧乏貴族のフェリスタ伯爵家は、昨年の大雨で領地の作物が大打撃を受けこのままでは爵位返上も有り得ると没落に片足を突っ込んだ状態だった。

伯爵家とは思えないほど小さな屋敷に父母と兄妹4人、使用人なんて雇えず、近所のおばちゃん達が通いで手伝いに来る程度。

そんなウチに公爵家から、ましてやオーヴェルニュ公爵家から求婚状が届いた時は、みすぼらしい木製のテーブルの真ん中に書状を置き皆で首を傾げたものだ。


長女は既に嫁いでいるので次女である私に求婚状が来るのはわかる。

これでも伯爵家なので爵位的にもわかる、が...力関係からすると天と地ほどの開きがある。

これは何かの詐欺なのでは?と思ったが、後日ボロボロの我が家に場違いな、キラキラしたアリオス様がいらっしゃり契約結婚の話を聞いて納得した。

3年間の契約結婚をするだけで風前の灯である我が家を援助してくれ、しかも公爵夫人としての仕事は無し。

女性避けの役割だけこなせばいいという好条件。

醜聞になっても元より貧乏すぎて良いご縁など縁のない私だ。別に美人でもないしブスでもないレベルの容姿では金持ちの商人にも嫁げない。

これを好条件だと思えるからこそフェリスタ伯爵家の私に話が来たのだろう。


その提案に飛びついたのは言うまでもない。


そしてわずか1ヶ月。

有り得ない速度で式を挙げた私達は、現在初夜、をするつもりはないので改めて契約の確認をしている状況だ。

私はチラリとアリオス様に目をやる。


乾ききっていない艶やかな黒髪と澄んだ湖のようなブルーの瞳が美しく、鍛えられたしなやかな体にシャツを羽織っただけのラフな格好だというのに色気が凄い。

というより色気がひどい。

私はすぐに目を逸らして天を仰いだ。

こりゃ目の毒だわ、近づきたくないわー、歩くセクハラじゃない?と心の中で思った事などおくびににも出さず、アリオス様から3人分ほど離れた場所に腰掛けた私は殊勝な顔で頷いた。


「承知しております」


「結婚前に伝えた通り、私が求めているの妻という立場が存在するという事だけだ。君に公爵夫人として仕事を任せることは無い。夫婦参加が不可避な催しには同伴してもらうが、それ以外は屋敷で好きに過ごして構わない」


「承知しました」


何度聞いても最高の条件なんだが?

本当に何もしなくていいの?草むしりも洗濯も畑仕事も?


「よっしゃ!」


「は?」


「あ。やば。じゃなくて、申し訳ございません。つい心の声が...」


思わず内なる喜びが口から出てガッツポーズまで決めてしまった私は慌てて居住まいを直す。

いけない、いけない。天国の様な生活に喜びが溢れちゃった。

だって朝日と共に起床して畑の見回り、朝食の準備をしてから洗濯。洗濯が干し終わったら領民に混ざって農作業に勤しむ毎日。

体を動かす事は好きなので別に苦では無かったが、自堕落な生活に憧れがなかったと言えば嘘になる。

訝しげな視線を寄越したアリオス様だが、それ以上何も言われず「そうか」とだけ言い立ち上がる。


「確認事項は以上だ。では」


「あ!あの!」


そう言って部屋を出て行こうとするアリオス様を慌てて呼び止める。

今度こそ明らかに眉を寄せて嫌そうな顔で振り返るアリオス様から殊更に低い声が発せられる。


「まだ何か?まさか一晩だけでもと情けを求めるつもりじゃあるまいな」


「情け...援助ですか?援助は十分頂いたので結構です」


実家の支援だけでなく下の弟妹の学費まで出して貰っているのだ。

これ以上の見返りは身に余るというものだ。

見当違いの返答にアリオス様は一瞬可哀想な子を見る目になったが、相変わらず不機嫌な顔のまま目を細める。


「では何だ」


「いえ、契約とはいえ結婚したわけですし...」


私はゴソゴソと後ろに置いていたものを手に取り掲げて見せる。


「お祝いの酒盛りしませんか?」


「...はぁ?」


間の抜けた顔でもアリオス様の綺麗な顏は男前なので、酒瓶を持った私は心底感心してしまった。



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



「好意があれば何をしても許されるのか!?なぜ迷惑を被った俺が冷たいなどと非難されなければいけないんだ!しかも婦女が男を無理矢理連れ込もうなど、不埒を通り越して阿婆擦れだろ!犯罪だぞ!」


カーンッと乱暴にテーブルに置いたグラスが音を立て、艶やかな黒髪が揺れる。


「ぷふふ。いやぁ、可哀想!男前すぎるの被害甚大すぎて笑える!可哀想!」


私はグラスの酒をぐっと飲み吹き出した。


「可哀想なのに笑えるとか失礼だぞ!他人事か!他人事なんだな!?切り捨てるぞ」


「こっわ!ぶふっ、目の据わった男前こっわ!きゃはは」


腹を捩って笑い転げる私を目に据わったアリオス様がお酒をグラスに注ぎながら睨んでいるが、2人とも赤ら顔の酔っ払いだ。

酔って素が出たのか、アリオス様の一人称も私から俺に変わっていた。


あれから3時間。


始めは変な薬でも盛られるのではと怪しんでいたアリオス様も、手土産にと持参したフェリスタ産のりんご酒がお気に召したようで、今では二人で開けた瓶がそこら中に転がっている。

フェリスタ家ではお祝いごとの時は親族皆で酒盛りをするのが恒例で、皆でアホみたいに飲んでバカ騒ぎをする。その際に飲まれるのが自領の特産品でもあるりんごを使ったりんご酒だ。

酔い潰れて死屍累々、次の日にもう二度と飲みすぎないぞ、と二日酔いの頭を抱え後悔するまでが毎度ワンセットなのだ。

もちろん今回結婚に際し、2ダースの木箱を実家から持たされた。


さすがに新婚初夜に親族で飲み明かす事は出来ないので、閨を共にする予定もないしアリオス様と飲めばいっか!ぐらいの気持ちで寝室に運んでもらった。

すでに1箱空いており、2箱目に突入してからはアリオス様は絡み上戸、私は笑い上戸というカオスな酒盛りに変貌していた。

アリオス様はりんご酒をペロっと舐めるように口に含み、赤い目元を目を細めた。

いや、なんかいやらしいから止めてくれ。笑っちゃうから。


「しかし美味いな、このりんご酒。フェリスタ領でこんな美味い酒があるとは知らなかった」


自領の品が褒められ気を良くした私は万遍の笑みでグラスを掲げる。


「そおでしょぉ!すごい美味しいお酒なんですぅ!だからフェリスタ領はみんな酒飲みばっか。トーマスさんとか樽に顔突っ込んで呑んで女将さんにぶっ飛ばされてたし。ぶふ!思い出しても笑える!ぶふふ」


「トーマス殿は知らないが、君の笑い方は令嬢とは思えないほどひどいな。一応貴族令嬢だろ。もっと、こう、口に手を当てお淑やかに笑えないのか」


「ぎゃはは!アリオス様やばい!深窓のご令嬢っぽい!ひーひー!色気ダダ漏れ令嬢うける!ひゃっひゃっひゃ...あわっ!」


アリオス様がご令嬢の笑い方を真似するものだから、ツボに入った私は笑い転げてグラスを落として割ってしまった。


「あーあ。暴れるからだ。危ないからこっちにこい」


「私のお酒ぇ...」


「俺のグラスで一緒に呑めばいいだろ。グラスで怪我をするから拾うな。明日片付けさせる」


「使用人さん達にとんだ迷惑者だといじめられるぅ...お酒もったいないぃ...グラス高そうだし...弁償できないかもぉぉ。ズビ」


高そうなグラスが割れたことで笑い上戸から一転、泣き上戸スイッチが入った私は目にいっぱいの涙を溜めグラスの欠片に手を伸ばす。

その手が欠片に触れる前にフワリと体が持ち上がった。


「だから触るな。怪我をしたらどうする。それに自分の妻に弁償しろと言うほど甲斐性なしじゃない」


私を抱き上げたアリオス様はそのまま元のソファに戻ると、私を膝に乗せて座った。

うん。完全に酔ってるね、アリオス様は。

距離感狂ってる。

そんな私も勿論酔っ払い。人の膝に座るのなんて子供の時以来で、危うくお父様と呼び掛けそうになったことは内緒だ。


「妻には弁償させなくても私には弁償させるかもしれない...」


「いや、君が妻だろう」


「え?誰の?」


「俺の」


「...は!そうだった!」


すっかり結婚した事を忘れていた私は驚いた。

そういえば結婚祝いの酒盛りをしていたんだったな、と言われて思い出す。

そんな私を見て目を丸くした後、アリオス様は笑い出した。

その顔を見て楽しくなった私も一緒に笑う。


「酒盛り楽しいですねぇ、アリオス様」


笑いが落ち着きそう言えば、アリオス様も笑顔で頷く。


「ああ、君とこんなに楽しく酒が呑めるとは思わなかった」


「そうですよねぇ。いけ好かないが金払いのいいボンボンぐらいに思ってました!」


「おい」


「あ。すごいきれい!」


「ん?」


間近で目が合った私は、膝の上で体を捻り、アリオス様の整った顔を両手で掴み瞳を覗き込む。

柔らかい光を写した瞳は、澄んだ湖の底のように淡いのに深い色で、神秘的な美しさがあった。


「アリオス様の瞳、すごく綺麗ですねぇ。綺麗で優しい色」


綺麗なものを見つけた私はうっとりと見つめる。

そんな私を見つめるアリオス様が、コクリと喉を鳴らした。


「...君の瞳も美しいな」


「えぇ?よく見る普通の緑だけどな。褒めるところがないからって、無理に褒めなくていいですよー」


あははと笑えば、アリオス様の頬を掴んでいた手を剥がされ、さらに近くに顔が寄る。


「いや、君らしい綺麗な瞳だ。たっぷりと太陽を浴びた新緑の葉が溶かされたような美しい緑。目の端に溜まった涙が葉についた雫のようだ」


そのまま近づき目元にちゅっとキスをされる。

素面だったなら驚いて飛び退いたかもしれないが、そこはさすが酔っ払い。

私はクスクスと笑い首をすくめるだけだ。


「アリオス様くすぐったい。キザですねぇ。涙は美味しくないですよ」


そんな私を見つめるアリオス様の青い瞳の奥に、ゆらりと熱が揺らめいていたが、それに気が付く事はなかった。

自分の唇をちろりと舐め、おもむろにテーブルのグラスを手に取ったアリオス様は妖艶に微笑む。


「なら甘いりんご酒を飲もうか?」


「そうですね。涙よりお酒のが美味しいですよ。じゃあ一緒のグラス使わせてください」


「いや...俺が呑ませてあげよう」


グラスを受け取ろうと出した私の手に構わず、そのままグイッとグラスを傾け、りんご酒を口に含んだアリオス様の口が私の口に重なる。

舌で口を開かされ流れ込んだお酒と、齧り付くように何度も角度を変えされる口付けは、とても甘かった。



:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


<side アリオス>


部屋の明るさで意識が浮上し、ああもう朝かと頭では思うのに、瞼が重くてまだ寝ていたい欲求に目を開けることが出来ない。

もう少しこのまま...と、腕の中の柔らかい人肌を抱きしめ直せば心地よく、また穏やかな眠りに引き込まれていく。

...............。

.........................。


.................................ん?...............人肌!?


自分の思考に時間差で驚いた俺は、先程まで開けられなかった瞼をパチッと開いた。

目の前には薄茶色の柔らかな髪が。

抱きしめる手の感覚は布ではなく、明らかに素肌の感触。身にまとっているはずの衣服の感触は自分もない。


...やってしまった。いや、色んな意味でやってしまったのだが。


目の前の現実に固まる俺の腕の中で「んん...」と身じろぎ、顔が上を向く。

まだ目は閉じられたままだが、その顔は間違いなく昨日婚姻を結び妻となったマーガレット嬢のものだった。


呑みすぎて記憶がない、ということは無い。

完全に酔っていたがしっかりと覚えている。


女性とは思えないあけすけな物言いに驚いた。

おかしな笑い方で、まるで淑女らしからぬ大口を開け楽しそうに笑うのを呆れていたはずなのに、いつの間にか向日葵のような笑顔が好ましいと思った。

愛らしい緑の瞳が潤められ、緑を映した美しい涙も。

啄む程に甘い唇も、熱くクラクラするほど甘美なその肌も...。


「っ!」


昨晩の記憶を辿り、かっと熱が集まり顔が熱い。

思わず体に力が入ってしまったからか、気持ち良さそうに眠っていたマーガレットの瞼がピクリと動いた。

ゆっくりと覗いた緑の瞳に心臓がぎゅうっと締め付けられる。


「おあよう...ございます...」


「っ、おはよう...」


少し舌っ足らずな挨拶の威力がすごい。可愛い。

まだ半分夢の中なのだろう。とろんとした顔も可愛らしく、思わず口付けをしたい衝動を理性が抑える。


ああ。

俺はマーガレットに惚れてしまったのか。


自分の気持ちがストンと心に落ちる。

女性を嫌厭していたはずなのに、そんな考えを簡単に飛び越えて懐に入ってきたマーガレット。

愛おしいという感情が自分にもあったのだと、初めて気付かされた。

抱いたから、肌を重ねた事後だから、一時的な感情なのではないかと問われたら、そうでは無いと即答出来るぐらいには彼女が愛おしい。

まじまじとマーガレットの顔を見つめていると、寝ぼけ眼の瞳が突然大きく見開かれた。


あ。完全に起きた。


どう声をかけようか。

溢れんばかりに開いた瞳を見つめながら焦る。

まずは閨を共にするつもりはないと自分から言ったにもかかわらず、舌の根も乾かぬうちに抱いてしまった事を謝るべきか。

それとも、初めての行為に翻弄されるマーガレットが可愛すぎて理性が吹き飛び、何度も何度も求め抱き潰してしまった事を謝るべきか。

どう声をかければいいか思案している俺の前で、固まっていたマーガレットの顔色が見る見るうちに青ざめる。

まずい、何か言わなければ、と思った時には遅かった。


「マーガレット!?」


すごい勢いで起き上がったマーガレットは、寝起きな上に抱き潰された朝だとは思えぬ俊敏さで床に飛び降りた。

そして───。


「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!!」


一糸まとわぬ姿で土下座したのだった。


・・・


<side マーガレット>


「マーガレット!?」


驚いた声を上げるアリオス様の顔を見れず、床に飛び退いた私はその勢いのまま、ズザァと土下座した。

その勢いのまま、すかさず全力で謝罪する。


「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!!」


やばい、やばい、やばい。

やってしまった。うん。色んな意味でやってしまった。

床に額を擦り付け、冷や汗をかきながらぎゅっと目を瞑る。


昨日は結婚祝いの酒盛りとはいえ、実家ではなくオーヴェルニュ公爵家だというのにべろんべろんになるまで吞んでしまった。

結婚式まで一度しかお会いすることがなかったアリオス様。

フェリスタ家に契約の話をしに来訪された時も、結婚式の式中でさえ、私という個人をその目に写すことはなかった。

別にアリオス様に懸想していたわけではない。

確かに麗しすぎる容貌に驚きはしたが、これは噂で聞く女性被害も納得できると他人事に思ったぐらいだった。

フェリスタ伯爵家の危機を救ってくれる恩人であり、女性に悩まされる可哀そうな人、そんな認識。

その程度の気持ちではあったが、契約期間の3年間は夫婦になるのだ。

人生のうち短い期間ではあるけれど、せっかく夫婦になるのだからちょっとは仲良くなりたい。

友人とは言わないが、知人ぐらいの関係が築ければそれなりに楽しい3年間が送れるのではないかと思った。

だからフェリスタ家恒例の酒盛りに誘った。

それが、まさか、こんな事にっ...。


後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

契約妻として大人しくしとけば良かったとか、沢山話してくれるようになったアリオス様に気を良くしてあんなに呑まなきゃ良かったとか。

閨での色気がダダ漏れの切ない顔に、お酒のせいか、はたまた色気に当てられた乙女心のせいか、自分でも自分が止められず、何度もすがりついてしまった浅ましさに。

後悔は次から次へと出てくる。

あああ。出来ることなら昨日に戻りたい。


結婚初日、つまり契約開始初日に決まり事をぶっちぎってしまったのだ。

契約詐欺だと非難され、契約を破棄されても何も言えない。

契約破棄だけならまだしも、既にフェリスタ家へ支援をしてもらっている。支援の返還や違反行為への賠償金など求められたら、せっかく領地の立て直しが出来ると喜んでいたものが水の泡だ。

家族だけでなく領民にも顔向け出来ない。

そんな恐怖に顔を上げられず、床にへばりついたまま許しを乞うことしか出来ない。


「本っっ当に申し訳ございません!決して下心があって酒盛りをした訳ではないのです!お酒呑ませてどうこうしようと思っていた訳じゃなくて!一緒に美味しいお酒呑んでいい関係が築けたらなって...いえ!いい関係ってのは、肉体関係とかじゃなく!3年間仲良く出来たらなって...いや!仲良くってのは、夜の営みの話じゃなくて!」


言葉を重ねれば重ねるほど、どツボに嵌っていく気がするのは何故だろう。

アリオス様の貞操を狙ったわけではないと伝えたいのに、疑念を抱かせるだけの台詞じゃないか。

きっとアリオス様もそう思っているのだろう。

先程から何も言葉が無いのが更に焦燥感を煽る。

こうなれば直球で謝り、反省を述べ、今後の改善策を伝えるしかない。


「アリオス様の貞操を奪ってすみませんでした!!」


まずは直球で謝る!

ガタン、ドスンと何かが落ちる音が聞こえるが今はそれどころでは無い。


「お酒と男前すぎるアリオス様に酔ってしまいました!お酒は呑みすぎたと反省しています!アリオス様の麗しすぎる男前を舐めていたことも大いに後悔しています!」


そして反省!

最後は一番大切な今後の改善策!


「今後3年間はこのような契約違反を起こすことのないよう、お酒を一切のみません!そして徹底的にアリオス様を避け、絶対に近づかない事を誓います!もちろん女避けの役割は果たしますので、必要な時以外は息を殺して気配すら感じさせないよう努力します!なんなら公爵家の下働きでも何でもします!ですから...どうか契約破棄だけは勘弁してください!!」


「まてまてまて!」


祈るように床に額を擦り付けていた私にふわりと何かがかけられ、すぐ近くで焦ったようなアリオス様の声が聞こえる。

同時に体が起こされ抱き上げられた。

驚き目を見開けばベッドスプレッドが巻き付けられた自分の体と、眉をしかめたアリオス様の顔が目に入る。


「君は本当に嵐のようだな。俺が言えた義理ではないが1回落ち着け。そしてそんなあられもない姿を晒すな!」


「!お、お見苦しいものを見せてすみません...」


そういえばすっぽんぽんだったと今更ながら羞恥で真っ赤になり、かけられたベッドスプレッドをぎゅっと握りしめた。

どれだけ失態を見せればいいのか。

恥ずかしいやら情けないやらで悲しくなってきた。

悲壮感漂う私を抱えたアリオス様が気まずそうに目を逸らす。


「見苦しいというか、目の毒だろ...。そんな姿を見せられていたら話をする前に手が出てしまいそうで...」


「!!そんな...殴りたいほど怒ってらっしゃる...」


「そんな訳あるか!君はどういう思考回路をして...いや、先ずは落ち着いて話をしよう」


「はいぃ...」


やっぱり契約破棄だろうか。

絶望的な気分で抗う気力もなく、アリオス様に抱き抱えられたままベッドに戻される。

昨晩の契約確認をしていた時のように、並んでアリオス様も腰を下ろした。

昨晩と違うのは契約を破ってしまった事後だということと、3人分空いていた距離が0距離になった事だろうか。


「まずは契約に関してだが...契約は破棄したい」


「!」


やっぱり駄目か。

死刑宣告を受けるかのように俯いて膝を見つめる私は、その言葉に絶望した。

契約を破ったのだから自分が悪いのは理解しているが、どこか心の奥底で会えなくても話せなくても限られた期間だけでも一緒にいられたらと、浅ましい私は思ってしまっていた事に気付かされる。

なんてことだ。

私はアリオス様を好きになってしまったのか。

なんと単純でなんと最悪な。

こんな契約妻なら契約を解除されても仕方がない。

絶望の追い打ちでじわっと涙が浮かぶ。

けれど涙が溢れるより前に聞こえてきた言葉は、私が思っているものと違っていた。


「契約を無くして...名実共に俺の妻になって欲しい」


「はい。申し訳ござ...はい??」


予想と違う言葉に声がひっくり返り、顔を上げる。


「昨晩酒の勢いで君を抱いてしまったことは...申し訳なかった。不実な男だと軽蔑されても仕方がないが、決して君を軽く扱ったつもりは無い。酒が抜けた今も俺は君を愛おしいと思っている」


「はえ...?愛おしい??」


言われている事が上手く理解出来ず呆然と見つめる私をアリオス様の視線が捕らえる。


「体から始まったことを責められても罵られても、自業自得だ。いくらでも罵倒してくれていいし、何度でも謝る。だが、君を手放す事はどうしても考えられない。マーガレット、君を愛してる。どうか俺の妻になってくれ」


真剣な眼差しに戸惑いぱちぱちと瞬きを繰り返し、綺麗な青い瞳を見つめ返した。


「アリオス様は...私が好きなんですか?」


「ああ。君が好きだ。心から愛おしいと思っている」


「それは...その、やっちゃったからとかじゃなくて?」


「やっちゃ...そう思われても仕方がないが、抱いたから好意を持った訳じゃない。愛おしい、触れたいと思ったから抱いた。...信じてもらえないかもしれないが、酔っていたとはいえ全て覚えている。君が可愛くて愛おしくて何度も腕の中に閉じ込めた事も」


「私も...」


自分の目からポロリと涙が零れたことが分かった。

だってこんな奇跡があるだろうか。

一夜の過ちみたいな夜を過ごし、絶望しかない朝に、好きになった人が自分を好きだと言ってくれる。

嬉しくて嬉しくて涙が溢れてくる。


「私もアリオス様が好きです...やったからじゃなく、口は悪いし態度も悪いけど、ひっく、怪我をしないように気遣ってくれたり優しい所も。ズビ、お酒飲むと絡み上戸で本音を話してくれる所も。うう、笑うと子犬みたいに可愛い所も...好きになっちゃったんですぅぅ!!うえーん!!」


子供みたいに大泣きした私をアリオス様は驚いた様に目を見開いて見ていたが、その顔が徐々に紅潮していく。

そして嬉しそうに細められた目はどこまでも優しい色をしていた。

アリオス様は私の手を取りそっと引き寄せる。

ぐしゃぐしゃになった私の顔を見て笑う顔は、自惚れでなければ幸せそうに見えた。


「君は口は悪いし酒癖は悪いし、そして泣き虫なんだな。...マーガレット、愛している」


「ずびび...私も愛しています」


そっと落とされた口付けは、今度はしょっぱい味がした。



こうして契約初日に破綻した契約結婚は終わりを告げ、お互い一夜の過ちから始まった恋愛ではあったけれど。

アリオス様の溺愛っぷりに社交界がザワついたり、アリオス様を誑かした悪女だと謗られるのを撃退して一目置かれるようになったり。

私達の始まりでもあるりんご酒が、爆発的な人気商品になったりするのだが。


それはまだ、少し先のお話────。

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