参列者は口々に似合いの二人だと褒め称えた
「アシュリー、お前との婚約を解消してほしい。俺はただ従順なだけのお前よりもマリアを愛してしまったんだ」
彼はソファーに踏ん反り返りながら足を組んだ。その際に隣に座る見知った少女の腰を抱いて、ただならぬ仲だとでもアピールするかのように見せつける。
彼の言葉は一応お願いの形を取っているが、実質命令に近かった。相手に拒否する権利などないと分かり切っているかのように。
仮にも契約者に向けてあまりにもな言葉と態度だったが、彼の横柄に付き合ってきていたアシュリーにはとうに慣れっこだった。
「それは向こうのご両親もそう思ってらっしゃるので……?」
「そんなもの、父上も母上もマリアと会わせればそっちを気に入るに決まっている」
つまり親の許可も取らずに勝手に事を進めようとしているのだ。向こうの両親がどのような判断を下すのかは知らないが、どちらにせよ彼との縁が切れるのはこちらとしては、寧ろ願ったり叶ったりであった。
「承知いたしました。私は身を引きましょう。私よりもマリア嬢と並んでいる方がお似合いですもの」
目は悲しげに伏せながら、愉悦に釣り上がる唇を広げた扇子で隠し、賛辞というメッキで覆った心からの侮蔑の言葉を贈った。
彼の隣で満足げな顔をしていたマリアはアシュリーの幼馴染みである。しかし良好な仲を築いていたかと問われれば首を横に振るしかない。
彼女はアシュリーの持つ物を何でも欲しがった。アクセサリーやドレス、ぬいぐるみ、絵本。兎に角彼女の持ち物は何でも欲しいと駄々を捏ねたのである。
マリアを溺愛している彼女の両親は駄々を咎めるでもなく、こんなに欲しがっているんだからあげてはどうかとアシュリーにお願いし、拒否をすればなんて冷たい子だろうと非難した。
大人から責められれば小さな子どもが拒否しきれる訳もなく、泣く泣く手放す羽目になったのも一度や二度ではない。
勿論自分の両親がその場に居た時はさり気なく止めてくれたが、ならばと今度は両親が家を留守にしている時などに訪問して同じことを繰り返していった。お陰で沢山の私物を、譲るという名の略奪の憂き目にあってきた。
それだけではなく互いが年頃になると、マリアは次第に人も奪うようになってきていた。アシュリーが気になった人、または良い仲になりそうな少年が居ると、目敏く見つけて自分に夢中にさせるのだ。
マリアは天使のような愛らしい容姿をしている。性悪な中身を知らなければ惚れてしまうのも無理は無い。
そうして夢中にさせて自分のものになったと満足したらあっさりと捨てるのだ。一度自分のものになったら途端に興味を失うのも彼女が性悪たる所以である。
本当は家族全員マリアの生家であるマーティン家とは縁を切りたいと思っていた。しかし簡単に出来ない事情もある。
アシュリーの家の領はワインや織物などの加工業で成り立っている。作った品を売る為には王都に運ばなければならないのだが、マーティン家の領地が通り道の一つなのだ。
先々代からの付き合いという事で通行料を値引きしてもらっている手前、もし疎遠になれば領民はそこを通る度に高い通行料を支払わなければならなくなる。
領民に負担をかけてしまうのは心苦しく、民の為にも我慢するしかないとアシュリー達は耐え続けていた。
だが近頃は事情が変わりつつあった。そのうちの一つがハロルドとの婚約である。
ハロルドは美丈夫で家柄もアシュリーの生家であるフィッツロイ家より上。何も知らなければ諸手を挙げて受け入れていただろう。
しかし社交界で顔の広い叔母により、ハロルドに関するある情報が齎された。条件が良いと思っていたハロルドは困った性格の持ち主であった。
人当たりは良いがそれは見せかけで、以前の婚約者に対し束縛やアドバイスの形をとった批判を長年していたそうだ。
親切を装っていたのが厄介で、女性側は彼に対する悩みを周囲に相談しても誰も本気に捉えてはくれなかった。
そうこうしているうちに自己否定感を植え付けられた彼女はすっかりと洗脳されてしまい、この事態に気付いた彼女側の親により婚約解消されるまで支配は続いていたらしい。
分かりやすい暴言なら噂が広がるのは早いが、表面上の言葉は柔らかいのが余計にタチが悪い。
元婚約者の両親は娘のような被害者が出ないようにと注意喚起しているが、彼の外面の良さの所為で同格の家のみに留まっていて、下位の家にまでは広がっていない。
向こうの親もそれを見越してうちに打診したようだから、本当に叔母がいてくれて助かったとホッとしている。
格上の家からの縁談を断る事は難しいが、身近にちょうど良い人間が居るではないか。アシュリーのものを何でも欲しがる都合の良い人間が。
アシュリーがハロルドに対し愛情持って接している演技をしていればきっと彼女は食いつくだろう。そしてその顔で誑し込んで奪おうとしてくれるに違いない。それで婚約解消に持って行けたら、こちらは何の咎もなくハロルドとの縁が切れるのだ。
その上マーティン家との付き合いも解消に向けて動ける事情が出来た。最近我が国と海の向こうの国であるグラヴテインとの新たな国交が樹立したのである。
今までは陸路で運ばれてきた物品が海路でも運ばれるようになる。これは物流に大きな影響を与えた。現にグラヴテインと近く、新たな海外進出の拠点となりえる港町は最近注目されて大いに活気づいている。
人が集まれば物も集まる。物も集まればそれを求めて人が集まり、その人を相手にしようと様々な職業の人が集まって来る。それが自分達にどう関わってくるのかというと、例の港町への重要な通り道が我が領内にあるのだ。
今までは生産物を売って金銭を得ていたのが、通行料による利益も加わる。収入源が増えれば領内は潤い、自分達はより安定した税収が見込める。
副次的に通り道たるこの領も宿場などが建設され、今よりも沢山の人で溢れるだろう。
更には我が領のワインや織物は国内でも高い評価を受けている。今まで国内向けに生産していた物品を輸出に回してしまえば、わざわざマーティン家の領内を通る必要は無い。
それに王都に運ぶにしても陸路を使わずに済む方法が近いうちに確立されそうなのだ。
実は王都の一部は海に面している。わざわざ陸路を使うよりは港町経由で船で運んだ方が都合が良いのは前々から分かっていた。
しかし海での最短ルートは諸島に住み着いている海賊達の縄張りであり、今まではその対応を近隣の領主に負わせていた。縄張りを避けるには大きく迂回するか陸路を使うしかなく、少しでも安上がりな方法として陸路を選んでいたに過ぎない。
船を荒らす海賊達はこの辺りの領主の長年の悩みの種だったのだが、代替わりした国王がグラヴテインと合同で海賊の駆逐に踏み切る声明を発表した。これが彼女達にとっての追い風となった。
海賊が駆逐されて安全な海路でのルートが確立されればマーティン家と縁を切っても何ら問題は無い。寧ろ他領に渡る回数が少なくて済む分通行料も安く済むのだ。
ハロルドをマリアに押し付けた上でマーティン家とも縁を切る。一家総出の芝居はこうして開始された。
アシュリーはハロルドの言う事を聞く従順な婚約者として接し、両親や兄はアシュリーがいかにハロルドを愛しているか、マリアとその家族に吹き込んだ。怪しまれないよう大袈裟にせず、あくまでさり気なく微笑まし気に。
そうしていればマリアは直ぐにハロルドを次のターゲットに定め、誑し込み始めた。
ハロルドもマリアの愛らしい外見と、良く言えば天真爛漫、悪く言えば子供っぽく我儘な一面にメロメロになったのか、割と早く言動に現れ出した。
何かとマリアと比較するのである。話し方や話題の振り方、表情までも。やれマリアの方が可愛らしいだの、マリアの方が面白い話題を提供出来るだの。何でもマリアのように出来ないとと、やんわりと批評するのだ。
確かに彼の洗脳の手口は巧妙で、何も知らなければまんまと彼にとって都合の良い婚約者に仕立て上げられていただろう。アシュリーは洗脳を防ぐ為に、彼と会った後は必ず彼との会話を家族に報告し、第三者からの意見をもらっていた。
そうした努力の末に漸く彼から婚約の解消を言い渡されたのだ。解消を申し出たのは格上のハロルドからなので、格下である自分には拒否する権利は無かったと言い訳が立つ。
もし向こうの両親から何かの間違いだという話が来ても、うちの両親が何とかしてくれるだろう。
それに彼の本性を今の時点では知らないマリアにも、婚約をすれば彼の本性が牙を剥くだろう。今までは正式な婚約者たる自分に向けられていたからこそ、マリアも甘い恋愛ごっこに浸れていただけなのだ。
出来ればこの二人が本当に婚約してくれればとアシュリーは願う。そうすればこれ以上の被害者は出なくなるし、一度自分のものになれば興味を無くすマリアと、洗脳上手なハロルド。これ以上ない似合いのカップルだ。果たしてどちらに軍配が上がるのかある意味見物でもある。
私のものだったものを手に入れて優越感を抱いている彼女は気付いているだろうか。彼女の家とハロルドの家では後者の方が格上だ。
ハロルドがボロを出してくれたお陰で、彼の両親は我が家に再度婚約を打診する際は恥を忍んで頼み込まなければならないし、そうするよりはホイホイとやって来たカモであるマリアと婚約させた方がプライドは保たれる。
マリアも今までのお遊びと違い、一旦婚約が成立すれば過去の男のように興味が無くなったからといって捨てる事は叶わなくなる。
今後ハロルドの本性を知る機会があったとして、その頃にはいくら嫌だと叫んでも、彼女の両親が可哀想だと喚いても、ハロルドの両親は決して彼女を離そうとはしないだろう。二度も婚約が解消されたらもう後は無いと焦る筈だからだ。
もしかしたら何かしらのフォローくらいはしてくれるかもしれない。
ハロルドには婚約解消の旨を伝えたと記した念書を書いてもらったし、これで向こうの両親が介入して来ても言った言わないは避けられるだろう。
因みに念書は、けじめと文字だけでも記憶に留めておきたいと憐れっぽく頼んだら何の疑問も抱かずに書いてくれた。もしかしたら女優になれるんじゃなかろうか。
二人が帰った後は晴れ晴れとした顔で、彼からの念書を両親に渡した。後は両親に任せよう。
後日、婚約を飛ばしていきなり結婚式の招待状が来た時は思わず笑ってしまった。二度も婚約解消されて相当焦ったのだろう。
「あらやだ、急いでお祝いの準備をしなくちゃ」
慌てたように、それでいて嬉しそうに驚く母に、アシュリーは「そうね」と彼には決して見せなかった満面の笑みで頷いた。