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不治の病

 ユベルフィニアは大陸南方にある山岳国家ソラニテ・ガレで公爵家の長女として生まれた。

 しかしある時。彼女の心臓に欠陥が見つかり、成人までは生きられない。本人の居ない所で医者は母にそう宣告していた。


 そのせいで一年の大半をベッドの上で過ごしていた少女はある日、実の両親の口から衝撃の言葉を聞くことになる。

 月明かりのない夜。二人は互いに背を向けベッドに腰掛けて居た。


『出来損ないを生んだばかりか、子を成すこと自体を拒むとは。アレの欠陥はなるほど、母親譲りであったか』


 悪罵(あくば)を吐かれた母は涙を流して反論する。


『貴方と結婚なんて、するんじゃなかったっ そうすれば、こんな思いをしなくて済んだのに……っ わたくしだって、好きで産んだんじゃありません!』


 泣き叫ぶ母の後悔が胸を締め付け、父の罵倒が押さない彼女の心を(むしば)んだ。


『生まれて来てごめんなさい』

『こんなダメな子でごめんなさい』


 どうかこれ以上、二人に迷惑が掛かりませんように。罪の意識を抱え、けれどもそれを誰にも悟らせず。相手に気を遣わせないよう、息を殺すようにひっそりと過ごしていると、程なくして二人の離婚が決まった。


 家を追い出されたユベルフィニアは、病身に鞭を打って母と一緒に再婚相手の元へ向かった。

 母の新しい夫は少女の叔父(おじ)。厳格で寡黙な父とは違い、彼はとても社交的でよく笑っていた。同じ兄弟でも、ここまで違うとは。幼い彼女は事あるごとに感心したものだった。


 再婚から二年後。ユベルフィニアの八歳の誕生日。

 その日の出会いは衝撃的だった。それこそ、人生が一変してしまう程の。

 いつものように体調が安定しなかったので部屋に閉じこもっていると、童話に出て来る黒い魔女の姿で彼女は姿を現した。


 叔父に連れられベッドの正面に立ち、膝を折って自己紹介を始める。彼女の名前はサリシェ。そして次にこう告げた。


「君の病を治してあげよう」


 一瞬、言ってる意味が分からなかった。 少女の病には主治医も(さじ)を投げていることは知っていた。だからこそ容易には信じられない。そもそもサリシェが着ているのは白衣ではなく黒いローブ。医者というより魔女だった。

 だが、魔女の説明を聞いているうちに、彼女の言葉が信じられるようになった。嬉しかった。


「ああ、神よ。わたくしにこのような幸運をお与えくださり、この上なく感謝いたします……っ」


 湧き上がる幸福感から、自然と祈りの言葉を口にしていた。だが、それは違うとサリシェは否定する。


「天上神だろうと常世神(アヴァター)現人神(エイリアス)だろうと。たかが小娘一人にピンポイントで幸福を与えることなんて、ある訳ないだろう? 君に私と会う機会が訪れたのはひとえに君の父君の努力の結果でもあるし、単純に運が良かっただけとも言える」

「運?」


 少女は神を否定する人間を目の前にしてびっくりした。それと、運。ただの偶然で全てを片付けてしまう彼女の傲慢(ごうまん)さに、幼いながらも反感を抱いた。


「そう。運だ。神なんて人間の想定をはるかに超えた存在は、人生に一々干渉なんかしない。君が病気なのも、私が君を治療する術を持っているのも、全ては偶然の産物だ」


 悪魔の呪いでもなければ、神に与えられし試練でもない。全てはただの偶然、ただの結果。そこに意味なんてない。

 しかしだから面白い。彼女は力強く笑みを浮かべた。


「その偶然に価値と意味を見出し、自らの意志で選択する。それが、生きるという事だ」

「いきる……」


 少女の全身に電流が走り、途端に視界が開けたように感じる。意識がベッドの端から端ではなく部屋全体、いや、窓の向こうにまで拡張した。


「そこで、だ。もし、心臓の病気が治ってお外を元気いっぱいに駆け回れるようになったら、君は何がしたい? 何をしたい?」

「わたくしが、何をしたいか……」


 少女は今まで、苦しみの中自分の死にばかり気を取られていた。

 生きることが辛く苦し過ぎて、自分の未来に思いを()せることなど自ら諦めていた。

 病の治った自分が何をしたいか。そんな事は、とうに決まっている。


「わたくしは、みんなと、お外で遊びたい……」


 病が治ってダメな子で無くなるなら、それがどんなに良い事か。


「どうして君は、下を向いているんだい?」

「え――――」


 ユベルフィニアははっとして顔を上げた。

 サリシェが少女の枕元に腰を掛け、不思議そうに首を捻って顔を覗き込む。何か言わなければ。それなのに、言うべき言葉が見つからない。


「えっと――」

「見たところ、あまり嬉しそうにしてないが。君は病が治って欲しくないのかい?」

「ちがいますっ 直して欲しい! ちゃんと――――ごほっ ごほっ は……っ」


 興奮して大きな声を上げたせいで咳が止まらなくなる。


(やっぱり、わたくしはダメな子です……)


 治ると聞いても、満足に笑顔すら浮かべられない。少女の気持ちが再び暗く沈む。

 主治医が来て症状が安定した後。再びべ枕元に腰掛けたサリシェがおもむろに口を開く。


「君は以前、公爵様に何か言われたのかい?」


 いきなり核心を突いて来た。思わず胸が詰まり、咳き込みそうになる。

 魔女は優しく微笑みながら声を潜めて囁いた。


「今から話すことは、二人だけの秘密にしよう。大丈夫、誰にも言わない」


 確かに、これだけ小さい声なら二人にしか聞こえない。ユベルフィニアは魔女に「約束ですからね」と念を押してから胸の内を(さら)け出す。


「できぞこないって、言われたんです……」


 乳母(うば)や両親にどういう言葉か聞いてみたが、未だに教えてもらっていない。少女はたとえ意味が分からなくても、病のせいで自分が責められている事だけは解っていた。

 話を聞き終えたサリシェは虚空を(にら)んで沈黙した後。靴を脱ぎ出してベッドに入り込み、ユベルフィニアを包み込むように優しく抱き締めた。


 母親にすらしてもらった事のない抱擁。何故だかひどく落ち着く。少女の心に火が灯り、身体が軽くなるのを感じた。


「その言葉を聞いて、君は自分を責めたのかもしれないが。同じように、それを口にした公爵もまた、自分のことを責めていたのかもしれないよ?」

「どうして?」


 そうなのだろうか。少女には分からない。そもそも、ユベルフィニアは父親のことを余り知らない。仕事が忙しいのかあまり顔を合わせた事も無くそれこそ、年に数えるほどしか会えない。


「大丈夫。君は優しく、賢い子だ。決して出来損ないなんかじゃない」

「ほんとう?」


 果たして、そうなのだろうか。不安に駆られた少女はサリシェを見上げる。三角帽子の下に優しい笑みが見えた。


「いいかい? ユベルフィニア。君はこれから心臓の病を治して、自由を手にするんだ」

「じゆう?」


 そう、自由。優しい笑みの魔女はゆっくりと頷く。


「自由というのは、自分の意志を貫く強さだ。一度それを手に入れたならば、誰の言葉にも縛られず、過去にも囚われず。心軽やかに思うがまま、生きられるようになる」

「こころ、かろやか……」


 心が軽いというのは、今みたいな状態のことを言うのだろうか。病の事を考えずに生きられたら、どんなに素晴らしいだろう。おとぎ話の世界みたいに、世界の果てまで冒険したりできるのだろうか。


(できたら、いいな……)


 祈らずには居られない。少女はいつになく高揚し、期待に胸が膨らんでいた。


「ふむ。良い顔だ。腕の振るい甲斐がある」

「わたしのびょうき、なおりますか?」


 頬を上気させながら、真っ直ぐな眼差しで真摯(しんし)に問い掛ける。


「治るかどうかではない。治したいかどうか。君が決めるんだ」


 そう言われたら、答えは最初から決まっている。


「なおし、ます。ぜったいに……」

「良い返事だ♪ ユベルフィニア」

「はいっ」


 生気に満ちた顔で少女は頷く。

 後日。ユベルフィニアは治療の直前、サリシェと一つの約束を交わす。


「君が完治したら一つ、やってもらいたいことがある。約束できるかな?」

「できます」


 即答。今の彼女に病魔の暗い影は殆ど見えない。病は気からとは、よくいったもの。


「私が君にして欲しいことは一つ――」


 それは、今までの少女では思いもよらなかった提案。

 だが何故かこの時。是非ともその約束を実現したいと強く願った。


 〇                              〇


 五年後。心臓の治療が終わったユベルフィニアは公爵の元を訪れた。

 この家を出てから七年。数年ぶりに見る父の顔は皺が深く刻まれ、時の流れを感じさせた。


「本来なら、こうして時間を取ることすら惜しい。用があるなら手短に話せ」


 相変わらずの厳格さだった。かつての少女であればこの時点で委縮し、尻尾を撒いて逃げていたことだろう。

 だが、今のユベルフィニアは違う。大恩ある黒き魔女との約束を果たすため、拳を握り締める。


「その顔を殴らせてください」


 ケンカをしてきて欲しい。それがサリシェとの約束。


『親子喧嘩を仕掛けられるのは子供の特権だからね。しっかりやって来てくれ』


 とりあえず互いに一発だけ。ユベルフィニアは固めた拳で父の頬を殴った。

 痛かった。顔は骨ばって硬いというのは本当だった。

 そして父から殴られた。腹ではなく、頬を。自分が殴った場所と同じ。やはり痛い。事前に「歯を食い縛れ」と忠告された意味が理解できた。


 次第に腫れて熱を持ったが、不思議と心は軽かった。気が済んだことを伝えたその去り際。父から声が掛かる。


「強く、なったな」


 背を向けながら、愛おしそうに自分の拳を()でる。その時、父の指が頬に触れた気がした。

 それはただの気のせいかもしれない。それでも、泣きたくなるくらい嬉しかった。

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