救出
執務室を後にし階段を降りると、受付に併設しされている酒場が視界の先に広がる。
そこで二人を出迎えたのは、ツェーニャとミュリン。
「それで? 何がどうなったの?」
「女の人が衛兵に連行されていったけど。もしかして、あの人がメルティナなの?」
開口一番、事の顛末を尋ねたのはツェーニャ。二人はメルティナが衛兵に連行されるのを目撃したらしい。
マイラに促され道すがら、シャルが説明した。その後で他の仲間の動向を聞けば、陣頭指揮に当たったバランが贔屓にしている商会に掛け合って既に宿を手配してもらい騎乗生物も預かってもらえたらしい。宿の部屋割りが決まると、各人に自由行動を許可し二人の迎えにはツェーニャとミュリンが立候補した。
「綺麗な見た目してたんだけどねぇ。エウリュアレと同じでビッチだったのかしら?」
エウリュアレはヤリマンビッチ。聞けば、今回旅に同行しているバランを始めとした殆どの男性冒険者と肉体関係を持ったらしい。
しかも、神殿に居候している彼女は他の守護職や事務員の男性、成人間近の孤児まで。奔放な貞操観念で片っ端から食い散らかしているとか。性に大らかなのは典型的な淫魔族の性分。
「だとしたら最悪だな。いっそ、死んでくれた方が清々する」
普段は冷静なマイラが眉根を寄せて吐き棄てる。彼女は同族のエウリュアレと違って貞淑を尊び、貞操観念の緩い同族やそれに類する輩を心底軽蔑していた。
彼女と付き合いが長く、同僚のテレーゼは語る。
『間違っても、マイラにビッチとか淫売って言っちゃダメだから。それで首を刎ねられた奴を何人も知ってる』
淫乱な売女で淫売。性に奔放な淫魔族への蔑称にして最大の不名誉。
そんな彼女だから、エウリュアレとの仲はもちろん最悪。二人が出会った当初は価値観の違いで衝突して互いに激高し、一触即発の状態になることも多々あった。現在は当人同士が不干渉の立場を取り冷戦を保っている。
「それで、その双剣。シャルはどうするつもりなの?」
これ見よがしに両肩で担いでいたメルティナの双剣をミュリンが指を差す。
長さはないが反り返った片刃の刀身はかなり肉厚で、重心が鍔元にあるとはいえ確かな質量を感じさせる。
「みんなに見せびらかす予定」
「なんで?」
発言の意図が判らず疑問を呈する少女。気付いたのはツェーニャ。顔を近付けてつぶさに観察する。
「それってもしかして、飛竜か何かの鋼殻使ってるんじゃない?」
「恐らくね」
鱗から発達した生体金属の鋼殻。それを鍛造し武器と化すことで、脆弱な人類は鋼の如き鎧を持つ頑強な竜種に対抗して来た。
そして、鋼殻製の武器を携行できるのは飛竜級以上の冒険者だけ。つまり、この双剣はメルティナを実力を雄弁に語る代物。
「まさかシャルディム。貴様――」
「うん。メルティナを仲間にするつもり」
『えええええええええええええええええええええええええええっっ⁉』
驚愕して素っ頓狂な声を上げる二人。図らずも往来の人々から注目を集めてしまう。
「正気か? まさかアレに絆された訳でもあるまい?」
たしなめるマイラ。違う。自分の口から否定の言葉が出てシャルは安堵した。どうやら、自分はメルティナに情が移った訳ではないらしい。
「だったらどうして……」
犯罪者なのに。少女の言葉の裏にシャルへの反発が滲む。
「もしかして、色目を使われちゃった?」
腰を折ったツェーニャが声をひそめてマイラに問い掛ける。
「そういえば、助けたシャルに思いっ切り胸を推し当てていたな……」
「聞こえてるよ」
事実に対し、偏向的な切り取り方をしているのが耳に入った。
「全然違うから。この『真実の聖印』に誓っても良い」
突き出した右の掌には精緻な紋章が蒼く描かれていた。魔力を通すと光り出し、清冽な魔力が溢れて来る。
聖印とは、鎮守のため現世に降り立った常世神との誓約の証。
常世神から魔力を借り受ける代わりに、制約を自らに課すのが絶対条件。
誓約によってシャルは噓が吐けない。偽りを口にしようものなら本心が衝いて出る。そのお陰で人々からの信頼も厚い。
「メルティナの言葉には、一つも嘘がなかったよ」
それだけは自身を持って言えた。
「色目遣いのビッチじゃないってこと?」
ツェーニャの疑問に首を縦に振る。
「なら、どうして連れていかれたの?」
「そうだね。他人は真実だからという理由だけで、無条件にそれを信じる生き物じゃないってことさ」
大事なのは納得。納得とは感情の落着で、それこそが真実よりも優先される。何故なら人間は感情の動物だから。
「アレは相手が悪かったな。口裏合わせが周到で隙がなく、舌戦ではこちらが不利だった」
遠くを見詰め、先程の一幕を思い返しているようだった。
「でも、どうやって助けに行くの? 今頃は牢屋の中なんでしょう?」
「まさか、脱獄――」
「ちょっと。物騒なこと言わないでくれる?」
それだけは、絶対にない。渋面を浮かべたシャルが物騒なツェーニャに念を押す。
彼女を牢屋から出すのは、冒険者であれば容易い。
誰もその権利を使いたがらないから、そういう発想に至らないだけであって。もし、ナタナエルがその可能性を見落としているなら間抜けな話だ。
「というわけでマイラ。君の力を借りたい」
「断る」
「なんでっ⁉」
知った上で即答する彼女に突っ込まずには居られない。
「もし、アレがビッチだったら。私の気分が最悪になるだからだ」
厳しい視線を向けて来るマイラ。
とっても個人的な理由。だが仕方ない。納得は何よりも優先される。
「いや、そんなの今さらじゃん。仮にビッチだとしても既に一人居るんだから、二人になっても――」
「十分だろう? 一人居れば。ハッキリ言って、キャパオーバーだ」
「えぇ……」
まさか断られるとは。シャルとしても想定外だった。
「いや、そもそもビッチじゃないでしょ? もしそうだったら、事務所に行く前にでもボクに胸を押し付けて来たり首に腕を回したりして色仕掛けしただろうし……」
その一言が二人にあらぬ誤解を生む。
「やっぱりシャル、色仕掛けされてたのっ⁉」
「ひどいっ 不潔よ! 信じて、たのに……っ」
「だ・か・らっ 色目なんか使われてないし、色仕掛けもされてないよバカ――――――――!」
メルティナ救出への道は前途多難を極めた。
〇 〇
鉄格子の向こう。無骨で窮屈な石牢に、メルティナは幽閉されていた。
小窓から差し込む光は中を照らさない。暗く湿った地下牢は鼻を突く異臭と腐臭が充満し、五月蠅る虫が羽音で騒ぐ。
さすがのシンデレラも、ここまでひどい状況から物語は始まらなかった筈だ。絶望で暗く沈んだメルティナは諦観し、ぼんやりとした頭でそんなことを考えた。童話は昔、飽きるほど読んだことがある。自分にはそれしかできなかったから。
この気持ちには覚えがある。あれはまだ、メルティナが病弱で床に伏せっていた幼少の頃。
「はあ…………」
石畳の上に腰を下ろし手を投げ出して壁にもたれながら、何度目になるか分からない溜め息を零す。
禁止行為による契約不履行、それによる斬首刑。それが、メルティナに告げられた裁定だった。
これは登録する際に署名する契約書にも明記されていた。
禁止行為は契約違反とされ、組合への叛逆と見なされる。
具体的には依頼の不正受注および遂行中の犯罪行為全般を指し、それに加えて冒険以外の一般人への加害や組合の施設や職員への恫喝を含む加害。この三つがそれに該当する。
禁止行為と組合への反逆を含む二回以上の契約違反。それが契約不履行の条件。
仮に依頼遂行中の不正が発覚した場合。不正は禁止行為として判じられ、禁止行為は組合への反逆と見なされ、合わせて契約違反が二回確定する。
つまり実質、一回の不正が即処刑に直結してしまう。
冒険者が課せられる契約内容は最悪ではあるが、契約不履行に際し処刑が確約されているからこそ、市井の人々に信任されている側面があるので何とも言えない。
少なくとも、メルティナはそう教えられた。
「…………」
彼女はぼんやりと牢の中の景色を視界に収める。既に時間の感覚が失われつつある。今はもう夕方だろうか。
しかし関係ない。明日の今頃にはもうこの世に居ないのだから。
どちらにせよ死が待っているからこそ、あの時と同じで暗く重い絶望を抱え全てを諦めていた。