仲裁
「わかった」
もう、躊躇しない。先導する男の前に姿を現すと、再び呪符を取り出す。
「破壊を司る炎神の杖よ。暴虐の戦刃に穢れる我らを聖炎で禊ぎ給え。【焼灼】」
煌めく炎が迸り、ボロボロに負傷したメルティナを包み込む。【焼灼】は癒しの炎。彼女の傷を跡形もなく焼き払った。直後、再び【風迅】を展開。気流を舞い上げ突風となって疾駆しメルティナを抱き上げて屋根の上に昇った。
「大丈夫?」
注意深く観察するため、呆気にとられた彼女の顔を覗き込む。少しの異変も逃すまいとそばだてた耳が震える。
「どこか、痛くない?」
努めて優しい声をかけた。しかし、彼女の言葉を待たずに跳躍。赫灼と燃え盛る炎弾が先程まで居た場所を焼き焦がして飛んでいった。地面に着地して【爆炎】を放った青年、アッシュと対峙する。
「おい、クソガキ。お前いったい、何のつもりさぁ?」
上体を揺らしながら近付いて来る。
「我が名はシャルディム。ネルファ神殿で守護職に就いている」
神殿の名前を出したことで彼の足が止まった。そして腕の中でメルティナが「シャル、ディム……」と、自身の名を口の中で転がす。
「鼻の下伸ばしてんじゃないさぁ。これ以上首を突っ込むなら、火傷どころじゃすまないさぁ」
彼の深紅の瞳が、殺気の炎で燃え盛る。構えた杖に魔力が集中し出す。
「そこまでにしてもらおうか?」
シャルとアッシュ。二人の間に割って入ったのはシャルよりも更に小柄な淫魔族の女性。
波打つ灰桃髪の長髪を揺らし、濃紺のブラウスと同色のマント。墨色のブーツとタイトスカートから覗く太ももはブラウンのタイツ。腰元には無骨な箱状の鞘に太刀が収まっていた。彼女は琥珀色の双眸でアッシュを見据える。
「マイラ、か?」
「久しいな、オクタヴィア。少し、話を聞かせてもらいたい」
燃え盛る豪火球と殺気を意に介さず、涼しい顔でマイラはアッシュの後方に立つ男に声を掛けた。
マイラはシャルに同行する冒険者の一人で、ダムロトの冒険者組合の職員でもあった。オクタヴィアとも顔見知りだったのはそのため。
「いいだろう。アッシュ、杖を降ろせ」
「ダンナ。一体誰なんさぁ? このガキは」
矛を収めたものの、出された指示に納得のできないアッシュは顔を顰めてオクタヴィアの顔を覗き込む。
「ガキではない。彼女はマイラ。ダムロトの組合職員で、お前よりも年上だ」
「は? ウソだろ。冗談キツいさぁ……」
あんぐりと口を開けて小柄な彼女を二度見した。
怒りを滾らせていたアッシュのガス抜きを終えると、オクタヴィアは他の冒険者たちに向き直り状況終了と宣言して解散させた。
落胆する冒険者たちが三々五々に散っていく中、シャルの腕の中に居たメルティナが「あの」と、声を掛ける。
「もう、大丈夫ですから……」
「ん? ああ……」
目線を下に向ければ、雪のような柔肌を赤く染め恥じらいを見せる。
メルティナを解放すると、シャルに背を向けた彼女は手を後ろで結び、どこか所在なさげに明後日の方を見ていた。
「あの、さっきはありがとうございました」
顔を火照らせたメルティナは楚々とした所作の中にも優艶な色気を感じさせ、シャルは不覚にも胸を高鳴らせてしまった。
「別に。感謝されるほどの事はしてないよ」
本心だった。
この場を納めたのはオクタヴィアだったし、マイラの登場が無ければ状況は好転していなかっただろう。
通りにひしめくあの規模だ。最悪、マイラにすら見せた事のない奥の手を使わなくてならなかったかもしれない。
「ボクは、何もしてない」
そう、何もできなかった。ただ状況を混乱させただけ。まさに考えなしの無鉄砲。バランが知ったらまた説教の一つでも喰らう羽目になるだろう。
「いいえ、違います」
メルティナは真っ向から否定した。それから、差し出した手でシャルの手を優しく包み込む。
「アナタ様はわたくしを癒し、更には身体を張って助けてくれました。大勢に囲まれながらも、たった一人で……」
誰もが見捨て、自分の利益のみを考えメルティナを捕まえようとした中で。縁も所縁もなくただ、助けを求める小さな声を聞き届けてくれた。絶望的な孤独に苛まれていたメルティナは、その事が何よりも嬉しかったのだと話してくれた。
やがて感極まった彼女は、勢い余ってシャルに抱き付いた。甘く華やいだ香りが鼻腔をくすぐる。びっくりして白銀の尻尾が逆立ち、毛先がボワンと膨れ上がる。
「本当に、ありがとうございました……っ」
嗚咽混じりの声に、シャルの胸が締め付けられる。味方も居らず、大勢の冒険者に追い立てられていた彼女はどれだけ不安だったのだろうか。考えただけで悲しくなった。
「うん。無事でよかった……」
感謝されたことで、シャルの気持ちもほぐれた。未だに涙を流す彼女の華奢な身体を大振袖で優しく包み込んだ。
「おい、そこのバカップル。早く事務所に行くぞ?」
「「~~~~っ」」
マイラに冷や水を浴びせられ、シャルとメルティナは慌てて身体を引き離す。羞恥で顔を赤くしていると、忌々しげに顔を歪ませるアッシュの舌打ちが聞こえた。
メルティナの双剣を拾って渡すと、マイラたちの後を追って駆け出した。
結局、彼女が取りなしてくれたお陰で話し合いの場が持たれた。
その事でシャルは、自分がまるで役に立たなかったことに対し地味に凹んだ。
カーテンを閉め切った執務室でテーブルを組合長と囲む中、椅子の上で肩を縮こまらせる事しかできない。
「はぁ……」
シャルの口からため息が漏れる。
あの時は、自分でも不思議なくらい冷静さを欠いていた。マイラの登場が無ければ、どうなっていたか分からない。事態を収拾してくれた彼女に謝辞を送ると、
『采配したバランに感謝するんだな』
頭に血を昇らせて「自分も行く」といきり立つツェーニャとミュリンを、周囲がなだめるのに苦労したらしい。その横でバランが荷車に同乗していたマイラを名指ししたようだ。
笑みの一つも見せず淡々と返す自分より背の低いマイラを、不覚にもカッコいいと思うシャルだった。
さて。マイラが立ち上がってから口火を切る。
「改めて自己紹介をしよう。私はマイラ。ダムロトの冒険者組合の職員で、竜級。現在私は、神殿に出向という形でここにいるシャルディム殿と行動を共にしている」
落ち着きを払ったマイラは、首から下げた竜の意匠が彫り込まれたタグを見せてから一礼し着席する。
「竜、級……っ」
メルティナが驚くのも無理はない。
実力によって等級を付けられる冒険者の中でもかなり珍しく、アルギアナ大陸全土を見渡しても二百人と居ない超一流の実力者たち。それが竜級の冒険者。
「ここにいるシャルディム殿はネルファ神殿の守護職で、現在神殿と冒険者組合は同盟を結び今回、土蜘蛛の生糸を採取する目的でここより北の森林地帯に数日間潜り、その帰り道でここに立ち寄らせてもらった」
隣に座ったシャルも頷き、彼女の主張が正しい事を示す。
その後でオクタヴィアが名乗る。竜級の彼が組合職員の冒険者を総括する立場にあった。
「わたくしは、メルティナと申します。今回、弁明の機会を与えて下さり、感謝しております。等級は、お恥ずかしながら飛竜級でございます」
彼女が立ち上がると、胸の谷間から飛竜の意匠が入ったタグを見せてくれた。シャルは向かい側に座る男二人の視線が谷間に吸い込まれるのを見た。
最後にこの執務室の主で組合長のナタナエルが自己紹介を終えると、マイラが凛とした佇まいで口を開く。
「それで? メルティナに不正の疑いがあるという事だが、ナタナエル殿。どういうことか説明願いたい」
「ええ。ですがその前に。そちらの神職の方の格好が気になりましてね……」
申し訳なさそうに苦笑を浮かべる組合長。矛先を向けられたことでシャルは身構える。
「真実を詳らかにする会合の場で、顔を隠すというのはどうかと思いまして。何か疚しいことがあるのかと、ついつい邪推をしてしまい……」
目線を下げ、言葉の最後を濁す。言葉を切りながらも、伏せた視線をチラリとこちらに向けて来る。瞳の奥に見え隠れする猜疑の色。なるほど、メルティナも逃げ出すわけだ。
「わかりました」
ここは素直に応じておく。シャルは赤鬼の半面に手をかけ、テーブルに乗せた。端正な容貌と灰色の瞳が露わになった。初めて見た横顔にメルティナが目を見開く。