魔女の胸中
『火竜の魔女』。それがエウリュアレの二つ名。正直、魔女と呼ばれることには何の感慨もない。
残忍な魔女である事に自覚はあるし、恋愛に興味はなく性に奔放で誰とでも寝れる。抱かれた直後に殺した男の数も両手に収まり切らない。
享楽的なその生き方に後悔は無いし、むしろ謳歌している方だ。尻軽だとかの陰口はどうでもいい。所詮は下らない嫉妬、僻みなのだから。
ただそれでも、礼節には則るし他人には誠実でありたいとも思っている。それが理解されないのが、ほんの少しだけ寂しい。
「何がそんなに嬉しいのさ?」
眉間にしわを寄せ訝るラスタード。指先で自身の口元に触れると、口角が上がっていた。どうやら、エウリュアレは自分でも気付かずに笑っていたようだ。それがおかしくて堪らない。思わず声を出して笑ってしまった。
「フフ♪ ごめんなさい。意外とアタシのこと見てたんだなって、思ったから」
やはり分かっていたようだ。年を食っただけのバランとは違う。本当に聡明な子だ。賢さとは、冷静沈着な心に宿るのだと教えてくれる見本のようだ。
「ほら、さっさと答えてくれる? いつまでも女に時間を費やしても居られないんだよ」
腕を組み胡乱な視線を投げ掛けて来る。居心地悪そうにしている様子が新鮮だ。胸を反らして大きく深呼吸。エウリュアレは呼吸を整え落ち着きを取り戻す。
彼になら全てとはいかずとも、ある程度までは教えて良いかもしれない。少なくとも、口が堅くて信頼できるのはさっきの刺客の件で理解できた。
「アタシが躊躇ったのはね、ラスタード。オヴェリアはアレを殺さずに、最大限利用したいからなのよ」
一年半前、オヴェリアに言われた台詞を思い出す。あの時は分からなかったが、今ならあの言葉全てが悍ましかったと痛感する。本当にありえない。あれは、英雄が口にしていい類の台詞ではなかった。
眉間の皺が深くなり、ますます疑念を抱いてるようだった。無理もない。全て話せば、シャルディムは自分たちを殺す可能性だってある。婉曲的な言い回ししかできない現状がもどかしい。
「それは、テロリストであるシェムヘドをダムロトに呼び込むって事?」
本当に、シャルディムはまんまと思考の罠に誘導した。頭の切れるラスタードですらこれなのだから、他の連中は考える間でもない。
人は真実によってこそ騙される。そもそも嘘とは、事実として破綻しているから嘘なのだ。そんなものを誰も信じたりはしない。そこに混ぜた真実にこそ、人は心を惑わされる。
「半分正解ね。正直、オヴェリアはシェムヘドの生死には興味が無いのよ。彼女の目的はあくまで、ダムロトに壊滅的な被害を出させることなんだから」
そのためにはシャルディムを使うのが一番手っ取り早い。アレがシェムヘドを殺すために一番確実なのは、最悪の方法を選択することだから。
「ん? ちょっと待って。つまりシェムヘドはテミアスを殺した張本人で、シャルディムはそいつを殺したいけど直接は無理。だからダムロトに呼び込む必要があるけど、それはオヴェリアの利害と一致してる。じゃあ、何だ? そのために隠し玉が必要? いや、待て。変だぞ…………?」
片手で顔半分を覆い深く考え込む。自力で辿り着こうとしているラスタードに、全てを打ち明けたい衝動がエウリュアレの中で沸き起こる。だが、彼ならそんな事をしなくても、シャルディムが隠した真実を突き止められるかもしれない。必死に推理を展開しようとするラスタードの顔をよく見ようと、身を屈めて覗き込むと薄紅色の髪が揺れた。
「あのー。そろそろ良いっスかね? いい加減、寝たいんスけど。アハ♪」
扉の前にナガルが戻って来ていた。いつの間に。
気まずい。ラスタードから身体を離して顔を逸らし、気の無いように必死で取り繕う。だが、そんな事に興味はないというかのように彼はベッドに直行。シーツも被らずこちらに背を向け、腕を枕にして横になった。
「ダメじゃないスか、二人とも。冒険者たるもの、迂闊な詮索はナシ。もはや言われるまでもない不文律じゃないっスか? ハハッ」
思わずラスタードと顔を見合わせてしまった。何をしていたか、バレてる。どうやら、彼はかなり前から部屋に居たらしい。さすがは暗殺者。気配を殺すのが秀逸だ。
「それじゃあ、そろそろ解散しようか。お帰りはあちらで」
彼が指差すのは、開け放たれた窓の方。余計な詮索をされないためにも、外から部屋に戻った方が良い。そういう判断なのはエウリュアレにも理解できた。
「そうね。じゃあ、お暇しましょうか?」
微笑を浮かべて立ち上がり、エウリュアレは露わになった背中を外に出し、幻獣の竜翼を夜空に広げる。
「もう来ないでよ?」
「寂しいこと言うのね……」
窓の前に立つ彼に再びつれなくされて哀情の念を抱き、思わず本音が漏れた。ギクリと肩を震わせ、バツが悪そうにしているのが微笑ましい。
「あ、そういえば。さっきはアタシの本心を言い忘れていたわね」
顔を上げ、今思い出したかのように。それだけは言っておきたかったので、エウリュアレはさりげなさを装う。
「は?」
怪訝に眉を寄せるラスタード。よく分かっていないようだ。
先程エウリュアレが口にしたのは、あくまでオヴェリアの都合。殺すのを躊躇った理由は他にもある。
「あのクソガキは普段、部屋に引きこもってるから、殺しても子供たちには関係ない。けど、アニスたち女官のみんなは悲しむでしょ?」
そうなると孤児たちも悲しみに暮れることになる。それが嫌で殺せなかった。
「え? それだけ?」
「? 他に何があるのよ?」
街の経済とか、仲間が悲しむとかはエウリュアレにとって心の底からどうでもいい。そんなものは最終的に替えが利く。子供たちの方が問題だ。
自分が悲惨な過去を経験している分、貧しかったせいで今まで我慢して来た分も含め、子供たちは伸びやかにすくすく育って欲しい。それが今のエウリュアレの願いだ。そのためになら自分は、何だってできる。そんな確信があった。
「それと、今日は本当にありがとう。おやすみなさい♪」
「……お休み」
微笑みかけると、恥じらいを隠すように背を向けるのがいじらしい。微笑まずには居られない。
年相応の幼さを見届け、エウリュアレは夜空に舞う。気持ちの良い風を感じながら、自分の部屋に戻った。開けたままの窓に足をかける。
「ようやっと帰って来たようじゃな?」
「おかえりなさいませ。エウリュアレ様」
エウリュアレは、何故メルティナが自分のベッドに腰掛けているのかが分からない。部屋を飛び出した経緯を失念していた。
「ん?」
「え?」
怪訝な顔と不思議そうな顔でお見合いする。互いにすれ違い、固まったまま時間だけが過ぎていく。
「隠し玉がどうとか。話す予定じゃったのはどうした?」
シーツを被りながら二人を見比べるルプセナ。それで漸く思い出す。
「あー……」
「お願いしますっ」
拳を握り、気合十分に鼻息を鳴らすメルティナ。だが、余計な詮索はするな。目を泳がせるエウリュアレはそう警告されたばかりなのを思い出す。
「――よし。今度にしましょ。今日はもう遅いから♪」
「ええっ ちょっと、約束が違うではないですかっ⁉」
翻意した魔女に舞姫は愕然とした。話が違う、と。
「はいはい、うるさくしないの。周りに迷惑掛けちゃダメ♪」
笑みを浮かべたエウリュアレは嬉々として舞姫の背中を押して部屋から追い出しにかかる。必死に抵抗するメルティナ。
「気になって夜寝れないじゃないですかっ⁉」
「諦めるのじゃな」
「そんな……っ」
絶句するメルティナ。しかし決意の固さを悟ったのか、諦めて部屋の外に押し出される。扉を閉じる直前、ガックリと肩を落とすのが見えた。
「ごめんね……」
シャルディムは誰であろうと容赦しない。下手に情報を垂れ流し殺されるなんて、真っ平ごめんだ。声に寂寥を滲ませ、ドア越しにそれだけ言い残して背を向ける。
「フンフ~ン♪」
エウリュアレはすぐに気分を一転させ、鼻歌混じりで光沢を放つ艶やかな黒のベビードールに着替えるとクッションへと倒れ込む。心地よい反発を全身に感じながら、いそいそとシーツを被った。
「随分と楽しそうじゃな? ラスタードとなんぞあったのか?」
「え~? 別にぃ~? 早く寝ましょ♪」
嬉々として瞼を閉じる。五感が鋭く察しの良いルプセナだ。たとえ何か知っていたとしても、藪から蛇を出すことはしないだろう。もっとも、エウリュアレの幻獣は火竜だが。
とりあえず分かったのは、ちゃんと誠実に向き合おうとすればラスタードも無下にしないという事。色仕掛けで劣情を催させるような真似をしなければ、彼のプライドも傷付かない。それが知れただけでも収穫だ。
殺人鬼のクソガキはともかく、性的興味が尽きない年齢であそこまで劣情に靡かないのは恐らく、色々と経験があるのだろう。恐怖心や強迫観念の類は感じなかったから、多分そうだ。
これで少しは彼の態度も軟化するだろう、あくまで自分にだけ。それが嬉しかった。