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橋を渡れば

 厳しい視線を向けて来る淫魔族(サキュバス)に、幌に振り返ったミュリンは朗らかに答えた。


「ここの公衆浴場は神殿から独立してるんだけど、西部にある方が立派なんだって」

「よしっ」


 彼女の一言で期待を膨らませたエウリュアレは拳を強く握り締める。

 その後もシャルたちは、(にぎ)やかな会話に興じながら町の目抜き通りを歩き、入り口にある橋塔下の関所を抜けて橋を渡る。


「わあ、すごーい♪」


 栗色の長髪を風に(なび)かせるツェーニャが鞍上(あんじょう)から身を乗り出せば、橋梁(きょうりょう)から望む景色に目を奪われていた。

 穏やかで真っ青な河面(かわも)を、(てのひら)大ほどになった貨物船が何(せき)も行き交い、白波を()いている光景はキャンバスに絵筆を走らせる様子に少し似ている。


 橋の上は眺望(ちょうぼう)を遮る建物がない。そのため、運河から水を引いて作った大濠(おおほり)がよく見え、水の郭の威容が視界一杯に広がる。

 すごいすごいとしきりにはしゃぐツェーニャを「はいはい」とたしなめるカナリア。そんな彼女も微笑に目を細め、景勝に見惚(みほ)れているのが分かった。


 こうして江風(かわかぜ)に吹かれ、視界一杯に街の遠望を俯瞰(ふかん)していると浮遊感が胃の()を軽くし空中回廊を歩いている心地がした。


「なんか、天の上を歩いてるみたい」

「そうね。なんか、わかるかも」


 感慨にふけるツェーニャは恍惚(こうこつ)(ほお)を染め、そんな彼女にカナリアが同意する。

 しかし、渡り切った西岸は剣呑(けんのん)な緊張に包まれていた。


(なんだ……?)


 違和感を覚え、鬼面の下で視線を周囲に走らせるシャル。

 雑踏の中、辺りを見渡す冒険者。その数の多さに妙な胸騒ぎを感じた。

 物々しく異様な雰囲気が立ちこめる西岸の橋塔周辺。武器に手を掛ける数人の冒険者が市中だというのに武器を片手に、橋の関所を背にして辺りを警戒していた。


「シャル……」


 振り返ったミュリンが不安げな顔を受かべている。


「ちょっと、事情を聞いて来るわ」


 ツェーニャが雲鳥(モア)の頭を振って隊列を外れると「私も行く」と、カナリアがそれに続いた。

 ひとまず様子見という事でバランが狐竜(ヴリュー)の手綱を引いて道を逸れ、河川敷の方へと針路を取る。


「何があった?」


 隊の後方に控えていた鎧姿の青年が鞍上(あんじょう)から問い掛ける。枝分かれした双角に群青の竜尾を持つ彼は竜人(ドラグナー)、名前はグラキエース。


「分らんから今、聞きに行ってもらっておる」

「帰って来たのじゃ」


 隊を先導していた狩人装束にキャラメルブロンドの獣人(アニムス)、ルプセナ。彼女が呼びかけると程なくして二人が戻って来た。

 この状況の原因はというと、


「なんでも、不正をやらかした冒険者を捕まえようとしてるみたいね」

「不正、だと?」


 ツェーニャの言葉に怪訝な表情を浮かべてグラキエースが聞き返す。

 二人が聞いた話だと、組合長(ギルドマスター)から事情聴取を受けていたメルティナという名の冒険者が途中で逃げ出し現在、組合(ギルド)総出で捕縛(ほばく)作戦を展開中とのこと。


 誰もが辺りを見回し、商人や町人は冒険者の関心を引かないように身を潜め、通りの真ん中を褒賞(ほうしょう)金目当ての冒険者たちが武器を携え血眼になって駆けずり回っていた。


「見つけたぞメルティナ――――!」

「っ⁉」


 高々と跳躍し、戦斧を大上段に構えた有角の偉丈夫が影を落として降って来る。

 狙いはミュリン。シャルは咄嗟(とっさ)に彼女の手綱も一緒に引いて退避。周りにいたルプセナやツェーニャたちも一斉にその場から離れ、落下した斧刃が地面に穿(うが)たれた。


「チッ 運のいいヤツめ……」


 土煙を上げながらユラリと男が立ち上がる。


「誤解だ。この子はミュリン、間違ってもメルティナなんかじゃない!」


 間違いに気付かせるため、(くら)を降りたシャルはミュリンにも下羽(げば)を促し顔をよく見せる。


「おいおいおい。そんなこと言って、報奨(ほうしょう)金を一人でせしめようってんだな? しゃらくせえ……」

「――っ 馬鹿が……ッ」


 戦斧を構え、間違いを認めない男に苦虫を噛み潰したシャルは毒づく。


「こンの、バカヤロウがッ!」

「? アニキ?」


 慌てて駆け寄って来たのは軽装な鎧に身を包む中年。(ひざ)に手を着き、息を切らしながら人違いだと説得した。


「確かに服は白いが、あっちはもっとボンキュッボンでブルンブルンなんだよっ こんなちんちくりんなワケあるかっ!」

「ちっ――――」


 ちんちくりん。その言葉にミュリンは顔を引き()らせ、二の句が継げない。


「そうだったのか。さすがアニキ、スゲェ!」

「いいから行くぞ! ったく……」

「まぎらわしいナリしてんなよ、ガキ!」


 男は戦斧を肩に担ぎ、捨て台詞を残して去って行った。


「もうっ なんなの、一体⁉」


 とばっちりを受けたミュリンは顔を真っ赤にして憤慨(ふんがい)した。無理もない。カナリアが「よしよし」と頭を()でて(なぐさ)める。


「屋根の上じゃな」

「ん?」


 ルプセナの言葉に視線を建物の屋上へと向けた。すると、様子を窺うように身を乗り出している琥珀(こはく)色の長髪を持つ女性が見えた。

 それに気付いたツェーニャが声を上げると、慌てた様子で屋根の向こうに姿を消した。


「あの子が、メルティナ?」

「十中八九、そうじゃろうな」


 カナリアの問いに頷くルプセナ。でなければ、焦って逃げたりはしない筈だ。


(なんだ、これは……)


 彼女の姿を見た途端。シャルの胸中がざわざわと騒ぎ、鉛のような不安が(はら)底に重く()し掛かる。

 自分はどうしてしまったというのか。


(一体、何があるっていうんだ…………?)


 縁も所縁(ゆかり)もない赤の他人。それなのに。手を当てた胸の中で焦燥(しょうそう)(くす)ぶり、急き立てるようにうなじがチリチリ焦げ付く。


「どうかしたの? シャル」


 ミュリンは不思議そうな顔を浮かべて(のぞ)き込む。しかし、それはシャル自身も知りたいことだった。

 自分の変化に困惑し、居ても立っても居られなくなったシャルは説明の時間すら惜しかった。


「ゴメン、ちょっと様子を見て来る」

「え?」


 困惑する少女を無視してシャルは腰元の倉庫鞄(ストレージ)から呪符を一枚、取り出した。


天翔(あまか)ける風神の羽根よ。()く、()く、(はや)りて飛べ。【風迅(ブリーズ)】」


 シャルの足元から風が舞い上がる。結界術式の一種で、気流を(まと)う。

 異変を察知した周囲の仲間が驚いてこちらに視線を集中させた。


「ちょっ シャルっ⁉」

「すぐ戻る!」


 言うが早いか、【風迅(ブリーズ)】の気流を爆発させて跳躍。高く舞い上がり、着地の際は空気の層をクッション代わりに西岸へと降り立った。


「待たんか! 将たる者、自らの軽挙妄動――」


 バランの諫言(かんげん)は無視した。

 確かめるしかない。屋根に降り立ったシャルはメルティナを探すため、周囲を見渡す。

 そして、居た。暗殺者(アサシン)二人に追い立てられるように東北東の方に向かっていた。どうやら、彼らは大濠(おおほり)を背に包囲するつもりだ。


 作戦は冒険者組合(ギルド)が主導している以上、迂闊(うかつ)に手は出せない。神殿と組合(ギルド)、両者の関係に波風を立てないためにも、まずは静観。【風迅(ブリーズ)】を解除し、次に倉庫鞄(ストレージ)から出したのは灰色のマント。


倉庫鞄(ストレージ)。まるで倉庫みたいに様々な物品が大きさと質量に関係なく収納できる魔法の(カバン)強靭(きょうじん)で伸縮性に優れる飛竜(ワイバーン)の皮膜をふんだんに使った魔法具。


 マントには【隠蔽(カムフラージュ)】の術式が施されており、一度被れば隠蔽(いんぺい)結界が発動。術者の気配が遮断され、他人から認識されなくなる。

 体内に魔力を(みなぎ)らせて身体能力を強化。結界に影響が及ばない範囲で速度を上げ追い(すが)る。


(え――――?)


 逃げるメルティナ。彼女の姿が一瞬、薄紅色の巫女装束を来た少女の影と重なる。


(テミ、アス…………?)


 いや、違う。頭の中で即座に否定するも、焦燥感は募るばかり。まるで引き寄せられるように徐々に速度を上げていく。それに気付いて自身に制動を掛け、一旦距離を取った。

 やがて大濠(おおほり)に追い詰められた彼女が声を張り上げる。


「信じてください。わたくしは、何らやましいことなどしておりません。ただ、あの人が。組合長(ギルドマスター)が、円満にパーティーを脱退したいなら愛妾(あいしょう)になれと命令されて。わたくしは、その申し出が気持ち悪くて逃げて来ただけなんです。不正なんて、全く心当たりのないこと。本当ですッ!」


 悲痛な叫びが空に響く。しかし、それを信じる者は誰一人としていなかった。彼女の言葉に耳を傾けるものなどおらず、戦端が開かれる。結界を展開しての健闘も虚しく、腹部に蹴りを喰らったメルティナは地面に転げ落ち組み伏せられる。


 その姿がまた、()()()()()()った()()()()姿()()()()()


「…………ッ」


 テミアスは死んだ。もう、居ない。頭では分かっている。それでも焦燥が胸を焦がし、今すぐ声を上げて駆け出したい衝動が込み上げるのを歯を食いしばって必死に耐える。五体を支配する不快感に総毛立ち、屹立(きつりつ)した白銀の尻尾が膨れ上がった。


 彼女の元へ近付く度に呼吸が乱れ、肩が上下する。喉を引き絞って息をひそめ、握りしめたマントの繊維に爪が食い込む。長く大きな尻尾が不快に身を(よじ)った。


「たすけて」


 救済を願う彼女の声を聴いた瞬間、シャルの中で何かが弾けた。

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