舞姫の憂鬱
どうしてこんなことに。物憂げなメルティナは純白の大振袖を膝下に降ろし、波打つ琥珀色の長髪をダラリと下げながら項垂れていた。
端麗な顔立ちに大きく円らな紺碧の双眸、スラリと伸びた華奢な手足と曲線美に溢れる肢体は見るものを惹き付けて止まない。
彼女は肩口や背中、腹部を露出した大胆な衣装に身を包む。滑らかな絹地の巫女装束は巡礼者の正装。
華麗な演舞を奉納する彼女たち舞姫は神楽奉納の花形。際どく肌を晒しながらも下品にならないのは、純白の装束は元より彼女自身の優艶さにあった。
気持ちを沈ませたテーブルを挟んで向かいに座るのは、仕立ての良い服を着た中年男性、ナタナエル。
ここは冒険者組合が事務所を構える一室。ナタナエルは組合を総括する長で、メルティナはパーティー内に起こった不和について相談していた。
昨日までは皆が楽しく笑い合って過ごしていたのに。メルティナは悲しみに暮れていた。
「それはそれは。本当に、大変でしたねぇ……」
「はい……」
人のよさそうな笑みを浮かべる彼は突き出た腹をテーブルの下に隠し、メルティナの話に耳を傾ける。
中継都市ダムロトを目指していた道中。一時的に身を寄せていたパーティー内で諍いが起きた。
事の発端は今朝のリーダーの一言。
『よかったらこのまま、一緒のパーティーで活動しないか?』
魅力的な誘いではあった。何度か共に依頼をこなし互いにある程度気心も知れていた。
『ごめんなさい。わたくしにも、この旅には目的がありますので……』
だが、密命を帯びていたメルティナにはその申し出を断る。それがいけなかった。
密命の事を誰にも口外してはならない、それが依頼主の要望。自分も了承したうえで受領したが、まさかしつこく尋ねられるとは思ってもみなかった。
うまい言い訳を考えておけば良かったのだが、嘘が苦手なメルティナは曖昧に言葉を濁すだけ。加えて、申し出をきっぱりと断らなかったせいで何度も勧誘され、見かねた仲間の一人が「いい加減にしろ」と割って入った。
するとあろうことか、二人はケンカをし出した。周囲からすぐに止められるも、今度は別の仲間からメルティナに非難の矛先が向いた。
頑なに密命を秘するあまり方々から心無い言葉で罵倒され、険悪な雰囲気になった所でナタナエルが騒ぎを聞きつけて難を逃れた。そうして現在に至る。
ショックで閉口していたメルティナも執務室で腰を落ち着けてからは不安と緊張が和らぎ、ポツポツと自分の言葉で事のあらましを語っていた。
「それで、事情というのは……?」
「申し訳ございません。それはたとえ、組合長であるナタナエル様にもお話しする訳には……」
居住まいを正したメルティナは頭を下げた。心苦しくて再び項垂れる。
依頼主はさる貴族のお方で、実はナタナエルよりも地位が高い。そのような人物から責任重大な極秘任務を依頼されたとあっては、何人にも密命に触れさせてはならない。メルティナはそう考え、頑として口を割らなかった。
「ああ、いえいえ不躾に尋ねてしまい、申し訳ない。気を悪くされたのであれば、謝ります」
「いえ、そんな……っ」
小さく頭を下げるナタナエルにメルティナは困惑して手を振った。彼の心遣いに救われ、胸が温かくなる。
経歴不問で登録できる冒険者はその身に様々な事情を抱えているため、詮索しないのが暗黙の了解。
冒険者は社会的な地位が低く、浮浪者や物乞いと大差がない。それなのに、貴族でありながら誠実な対応をするこの態度は人間的な魅力に溢れ、メルティナは好印象を抱いた。
「つまり、あなたは円満に今のパーティーを抜けたい。そういうことですね?」
「はい……」
こうなった以上、一緒に活動を続けるのは無理だ。円満に解決するにはもう、彼の仲介なしには実現しない。
「それなら、わたしから妙案がありますよ?」
「本当ですか⁉」
髭を蓄えた口端から穏やかな笑みが漏れる。降って湧いた幸運にメルティナは顔を上げた。思わぬ僥倖に自然と口角が吊り上がる。
ナタナエルは立ち上がるとメルティナの隣に立ち、肩に手を乗せ顔を突き合わせた。
彼の妙案。それは――――
「わたしの妾になってください」
「――――――え?」
妾。妻の他に養う愛人を指す言葉。自分の聴き間違いだろうか。頭が真っ白になったメルティナは状況が上手く呑み込めない。
「なあに、怖がることはない。ちゃんと大切に扱ってやるさ……っ」
「痛っ――――」
肩に乗せられた手は首に回され柔肌に指が食い込み、額がこすれるほどにまで顔が近付いた。臭い息がかかる。
「いいじゃないか。どうせ嘘なんだろう? 事情があるなんて」
メルティナは行額に目を見開く。まさか、そのように誤解されるとは。慮外も甚だしい。
「違いますっ わたくしは、本当に……っ」
唇が塞がれそうになるのを手で遮り、寸での所で回避。首筋に爪が食い込むのにも構わず、腕を伸ばして相手の顎を押しのける。
後ろにバランスを崩し転倒したのを幸いに、脱兎のごとく逃げ出した。入室の際に外した双剣の回収を忘れない。
怖気が身体に冷や水を浴びせる。穏やかな笑みも言葉も、全ては上辺だけの優しさだった。裏切られたショックで目には涙が滲んだ。
最早こんな所には一秒でも居たくない。足に力を入れて階段を駆け下り、メルティナは出口を目指す。しかし、彼女の想いとは裏腹に、今は朝方とあって人が多い。追い込まれた窮状にギリ、と奥歯を強く嚙む。
「メルティナ?」
振り返ると、そこにはリーダーのコウキ。今、足を止めてしまっては柔肌を生理的嫌悪感が毛虫のように這い回ってその場から動けなくなってしまう。構ってる余裕はない。
「くっ……」
やむを得まい。近くのテーブルに足を掛け、卓上を跳ねて出口へと向かう。
「止まりなさいっ メルティナ!」
吹き抜けの天井に組合長の怒声が響き渡った。
「事情聴取の結果、貴様の活動に不正の疑いが出た。大人しくすれば、言い訳くらいは聞いてやろう」
振り返ったメルティナは開いた口が塞がらない。職権乱用も甚だしかった。
濡れ衣だと抗議し、真実を聴衆に訴えても疑惑の視線が周囲から突き刺さる。
藁にも縋る想いでコウキに振り返れば、彼は目を逸らした。他の仲間も顔を背け、目を合わせようとしない。メルティナの視線だけが虚空を彷徨う。冒険者がこれだけ大勢いるのに、彼女は孤独だった。
「鬼ごっこは終わりだ。大人しくしなさい」
勝ち誇り喜悦に目を細める顔は生理的嫌悪感を掻き立て、総毛立ち凍える皮膚が粟立つ。
相手は自分を逃がすつもりなど無い。断った手前、捕まれば最後。妾どころか、もっと酷いことになるのは必至。
暗澹とした想いが、胸の内を塗り潰した。