男修行
「つまりはメルティナ様。アナタは巡礼者でありながら魔剣士の術式も限定的ではありますが、有用に使うことができるのです」
「そうだったのですね……」
アフネスは単にこの破廉恥な舞姫の装束を着させたかった訳ではないらしい。それを聞いてメルティナはホッとした。
ふと、剣帯に差した二振りの湾刀に目を向ける。鞘に収まる刀身や鍔、柄頭には淡い金色の宝石が散りばめられた冒険の相棒である双剣。メルティナが必要な素材を自分で集めて作成してもらった逸品。慣れ親しんだ柄はすっかり手に馴染んでいた。
世界を構成する根源――煌の結晶体である魔晶石。煌は火や水といった四代元素に加えた全十二種の属性に分類される。メルティナの宝剣に収まっている魔晶石は光属性。石の透明度が大きい程、煌の純度が高いとされる。
魔晶石を宿した装飾性の高い刀剣は俗に『宝剣』と呼ばれ、白兵戦以外にも使用者へ数種の魔法効果の付与や術式の触媒にもなり得る。
魔剣士とは、そんな宝剣を使いこなす専門家。長年親しんで来た術技を放棄する羽目にならないのはありがたい。
そこへ巡礼者としての術技を加えれば、戦術は広がる。過酷な任務に備え、今は雌伏の時期。アフネスの助言を聞き届け、更なる鍛錬に向けて気持ちを新たにした。
「それでメルティナ様。この他にも個人的に用意して頂きたいものは何か、ありますでしょうか?」
歩きながら侍女は尋ねる。この舞姫の装束は彼女が用意してくれたもので、費用は前払いの報酬によって賄われている。
素材から性能まで考えると下手な鎧よりも高価そうなので、値段はあまり気にしないよう努めている。
不正受注を疑われかねないが、非公式の依頼なので金に糸目は付けないと依頼主は太っ腹だ。
「いえ、特には……」
テントなどの諸々の消耗品は新調してから大分経つが、劣化しているという訳でもなく手に馴染んでいるくらいなので問題ない。
「そうですか? 一世一代の極秘任務なので、メルティナ様には是非、憂いなく万全を期して頂きたいのですが……」
「お心遣い、感謝します。ですがわたくしも、何が必要かは自分で分かっていますから」
申し出はありがたいが、そこまで大きな買い物をする必要はない。メルティナは付き従ってくれるアフネスに謝辞を述べつつ話を打ち切る。侍女は首を縦に振って納得してくれた。
不意に、アフネスが道端の往来の中で立ち止まる。
「任務に当たっての下準備として、メルティナ様には申し上げておかなければなりません……」
「何でしょうか?」
改まって話し出すアフネス。少し緊張した様子から、何か覚悟らしきものを感じた。その態度にメルティナも居住まいを正し、凛と背筋を伸ばして向き直る。
「では、メルティナ様。これより任務終了時まで、その装束は脱がないでください」
「え?」
ただし、入浴時は別とする。理由を尋ねると、侍女は明朗に答える。
「はい、それは勿論、可愛――――――コホン。常に危険と隣り合わせで、襲撃に備えてのことです」
咳払いをし落ち着きを取り戻していつもの調子に戻った。
「今、可愛いと――」
「はい、メルティナ様。よくお似合いですよ♪」
目を細め、人の良さそうな笑みを浮かべる。
「楽しんでませんか?」
メルティナは悪いと思いつつ、訝って疑惑の眼差しを向けた。
「はい、メルティナ様。私はこの仕事に、旦那様の代理を務められるこの役目に誇りをもって取り組んでいます。ならばこそ希望を抱き、笑みも浮かべましょうや♪」
「…………」
多分、何を言っても認めないだろう。楽しそうに口角を上げ頬を上気させるアフネスを前に、そう確信した舞姫は閉口せざるを得ない。
「おふざけはここまでにして。メルティナ様。舞姫の装束も手に入りましたので、これからは私自ら修行を付けたいと思います」
やっぱり。趣味に走っていたようだ。
「修行、ですか?」
聞けば彼女は元冒険者で、飛竜級としての経歴はメルティナよりも長い。任務にしては一日の長があり、適任だという訳だ。
「これから行う修業は潜入任務に必須の技術を習得するもの。言うなれば、男修行」
「男修行……」
「とても過酷な内容です。ついて来れますか?」
挑発的な笑みを見せて試して来ている。ここで怯むくらいなら、最初から受諾していない。メルティナは挑むように力強く微笑み返す。
「元より覚悟の上です。一生分の修業は、ロイヤル・ローズガーデンで終わらせてきましたから」
「よろしい。では、メルティナ様。夜にまたお会い致しましょう」
恭しく一礼すると、踵を返して屋敷に戻っていくアフネス。
「さてと……」
夜の七時まではまだ、かなり時間がある。それならば実戦をこなし、少しでもこの衣装と巡礼者の戦い方に慣れておこう。
メルティナは駅逓に向かい、村の外れの木立で魔物を相手取ることにした。
〇 〇
メルティナが駆け出すその様子を、ソニアと侍女が屋根の上から眺めていた。侍女は柔和に微笑み、ソニアは呆れ顔を舞姫の背中に向けていた。
「何と言うか、人は変わるものじゃな。あんな破廉恥な格好、我が薔薇園では絶対にしなかったじゃろうに……」
まったく嘆かわしい。ため息が出た。
「どうやらアレは、あちらのメイドの趣味のようですね♪ 完全に言いくるめられて遊ばれているご様子」
嘆息する主と違い、侍女は嬉しそうに語る。それを聞いて、ソニアは益々暗澹とした気分になった。
頭と要領が悪過ぎる。もう少し賢いと思っていたのだが。
「それにしても、読唇術か。相変わらずデタラメじゃな、セリアは」
「恐縮の至りではありますが、耳でもですよ。我が君」
スカートを摘まんで恭しく一礼するセリア。常識外れの身体能力も、ここまで来ると末恐ろしい。
だが、これくらいでなければ従えるに値はしない。比肩しうる者が居ないなら、せめて見所のある人間を。そう思って彼女を秘書として仕えさせている。
「それで? 極秘任務について、何か判ったことは?」
「まだ、決定的な証拠は何も。ですが見立て通り、『血霧』への密偵の公算が高いものと思われます」
そうか。雑踏の中に消えていくメルティナを見届けながら呟く。周囲の目を惹き付けながら歩くその様は純真過ぎるあまり、健康的を通り越して蠱惑的ですらあった。色仕掛けが効く相手だとは、全く思わないが。
詰まる所、オーギュストは藪から蛇を出したいのだろう。そして大惨事の責任を現職の議長に被せて排除し、自分がその地位に。評議員会で最大派閥を擁する古狸の考えそうなことだ。
「そのことに、さっさと気付けば良いのじゃが……」
「今のところは無理そうですね」
憮然とした顔で見守る主と、冷ややかな視線を送る侍女。
前途多難。そんな言葉が頭に過ぎった。
〇 〇
ほの暗い中を、煌びやかな照明が照らす夜の世界。
歓楽街に軒を連ねる中の一つにアフネスとメルティナは居た。
「本日は皆様。我らがメルティナ様のためにお集まり頂き、誠にありがとうございます。」
『イエ―――――――イ♪』
「それでは皆様には、メルティナ様に手取り足取り、厳しく教えてあげて頂きたいと思っております」
『何を~~?』
「それは勿論、男を悦ばせるための術技です。本日よりご指導、ご鞭撻の程。どうかよろしくお願い致します」
『は―――――――――いっ』
「ちょっと待ってくださいッ!!」
ソファに腰掛けていたメルティナが立ち上がって声を張り上げる。
「どうかしましたか? まさか、今さら怖気づいたとでも?」
「違いますっ そもそも、この状況は何ですかっ⁉」
メルティナには意味が分からない。ここで一体、自分は何をさせられるのだろうか。
居並ぶ女性たちを見れば、胸元やスリットの大きく空いたドレスで着飾り、化粧で顔も飾り立てていた。
歓楽街。知識として知ってはいたが、まさか自分がそこに足を踏み入れるなんて。ここは男女の営みをする場所。ハッキリ言って不安しかない。
「では、説明します。ここはキャバレークラブ、いわゆるキャバクラです。ホステスと呼ばれる従業員が来店する殿方を接待する場です」
「思いっ切り詐欺じゃないですかっ⁉」
修行の話がどこかへ行っていた。顔を真っ赤にして抗議するメルティナは憤懣やるかたない。
「詐欺? とんでもございません。こういう場所であればこそ、男を悦ばせる術が学べるのではないですか?」
「なっ わたくしに、何をさせようというのですかっ⁉」
予想される未来に危険を感じ、自分を守ろうと胸を隠して身を捩る。
「何を今さら。世界の危機と個人の貞操の危機。どちらが大事かなど、語るまでもないでしょう?」
「そんな……」
鋭い目付きと真剣な顔で語る侍女に対し、青ざめたメルティナは愕然として震え上がった。