血煙と鬼面
絶体絶命。
紫紺の鬼面を被った小柄な少年が直面しているのは、まさしくそんな状況だった。
薄汚れた貧民街の一角。四方を家屋に囲まれたそこで、剣や杖を武装した集団に襲撃されていた。
彼らは冒険者。|報酬を約束された依頼とあらば未開の地を踏破し、竜すらも相手取る命知らずの集団。
鬼面の少年もまた彼らと同類だった。
紫紺の水干に黒袴姿。小柄な身の丈以上の瀟洒な飾太刀を手に、背中を壁に預けて三方からの剣戟と斬り結び弓矢を躱してやり過ごす。
鮮烈な花火を散らしていた攻撃が止み、飛び退く彼らと入れ違いに燃え盛る火球が殺到。太刀の切っ先を膝下に向け防御。爆炎が閃き、一瞬で空気が蒸発する。
「やったか…………?」
誰かが呟く。しかし、家屋が崩れ塵埃の幕が下りるとそこには、傷一つない少年が立っていた。
「くっ 【要塞】――結界術式かっ⁉」
結界術式とは少年のような魔道士の専売特許。術式を施した呪符などを媒体に透明な障壁を周囲に展開、攻撃を防ぐ。
「畳み掛けろ!」
「おうさ!」
前衛三人が再び一気呵成に強襲。刃が少年に到達した瞬間、少年が爆ぜた。
余りの光景に、戦慄が走る。十二人からなるパーティーが固唾を飲んで見守る中、煤けた煙が晴れると倒すべき敵が消失し、爆発で瀕死の重傷を負った仲間だけが残された。【似姿】。虚像を映し出し、敵を幻惑する魔道士の術式。
誰か回復を。その場の誰もが後方に控える癒し手を振り返った時、視線の先で青と白の聖衣姿の女性が膝を屈して倒れ伏す。背後から心臓に白刃を突き立て、背中を足蹴に飾太刀を引き抜く鬼面の少年。絶句し動揺が収まらない彼らを他所に、口元に指二本をピンと立て「唵」と唱える。
視界の端で破裂音が響いたかと思えば、同じく聖衣に身を包んだ青年の頭が焼失していた。
回復役潰し。対人戦の常套手段。瀕死の仲間を癒す回復術式を使いこなせる彼らは、いわばパーティーの命綱。真っ先にそれを狙う辺り、対人戦に手慣れていることが窺える。次なる獲物は、杖を片手に先程火球を放った複数名。乱戦に持ち込めば、迂闊に術式が使えない。仲間を巻き込んでしまうから。
ここまで来ると当初の連携はズタズタに引き裂かれ、逃げ惑う彼らを少年の飾太刀は無慈悲に食い散らかす。攻撃の瞬間に展開される障壁ごと相手を斬り伏せていった。少年に向けられる攻撃は全て障壁が防ぐ。
「うわあああああっ」
「ヒィイイイイイイッ!」
恐怖に顔を引き攣らせ逃げ惑う彼らを容赦なく斬殺した。狭い路地に逃げ込もうとするも、透明な壁が行く手を阻む。結界術式。突破を試みようと攻撃してもビクともしない。焦燥と恐慌で胸がグチャグチャにかき回される中、背後から斬られた。
そこはもう、猛獣が放たれた檻。逃げ惑う傍から次々と殺されていった。
「…………」
少年は鬼面の下で口を噤み、淡々と作業のように敵を片付けていく。
やがて悲鳴が止むと、少年の三倍はある体躯の仙狐が白銀の六尾をモフモフと揺らし歩み寄って来た。
口から滴る鮮血は、少年の指示によって屋根の上から狙撃していた弓使いたちを殺して回っていた何よりの証拠。
「うん。ご苦労様」
優しげな声で額を撫でると、仙狐は嬉しそうに喉を鳴らした。満足して頭を離すとその巨躯を霧の如く消失させ、白地の呪符が宙を舞う。少年がそれを袖の下に隠すと冒険者たちの装備品を剥ぎ取って回り、目ぼしい物品を回収し終えれば振り返ることなくその場を後にした。
血道を上げて殺戮の限りを尽くし、行く先々は常に血風が吹き荒ぶ。
血煙と怨念を纏いながら進む先は、目を覆いたくなる程の鮮血に染まった修羅の道。
故に、他人は畏怖と侮蔑を込めてその者を『血霧』と綽名し、蛇蝎の如く忌み嫌った。