1話
これは、偉大な小説家「小野寺小町」の観察日記である。
小野寺小町。小説家。恋愛、ミステリー、ファンタジー、純文学から大衆文学までジャンルに囚われない作風で老若男女問わず大人気。デビュー作からヒットを叩き出し、七作目の「祈りの花」が累計二百万部を超えるベストセラーに。デビューからわずか一年の出来事だった。
一般的には三ヶ月に一度のペースで新作を発表する作家が多いが、小野寺小町は一ヶ月に二冊は新作を発表している。とにかく執筆スピードが早いで有名だ。世間では、小野寺小町にはゴーストライターがいるのではないかと噂されているくらいである。
今までに様々な文学賞を受賞しているが、表彰式や取材などに姿を見せたことがない。一切メディアに顔を出さないのもゴーストライターがいるのでは、と噂される所以だ。「小野寺小町」という名前から女性だろうと言われているが、本当のところは分からない。性別、年齢、外見など全て謎に包まれている。
林空。大手出版社勤務。現在二十六歳。入社当時から編集部を希望していたが、希望は通らず営業部へ配属となった。しかし、この四月から晴れて編集部へ移動となった。しかも、いきなりあの小野寺小町の担当編集に抜擢された。移動して一年目の若手がまさかの大抜擢だ。
幼い頃から本が大好きで、小学生のときには本を作る仕事をしたいと思うようになった。具体的に出版社の編集部に勤めたいと思ったのは高校三年生の夏だった。
小野寺小町のデビュー作。ありきたりな恋愛小説かと思ったが、ストーリー展開や登場人物の奥深さ、純粋ながらも生々しく、たった一冊で今までの恋愛観が全て変わってしまうほど素晴らしい作品だった。何より、主人公である男の子の名前が「ソラ」で親近感を感じてしまった。
それまでは適当な大学に進もうと考えていたが、一転して出版社に就職するのに有利だと言われている有名大学への進学を決めた。周囲には今更無理だと諦めるよう説得されたが、反対を押し切って受験し、奇跡の合格。小野寺小町がいる出版社に勤めることのみを目標とし、大学生活に勤しんだ。
そして再び奇跡が起こり、憧れの出版社に就職が決まった。希望していた編集部には進めなかったが、しっかりと経験を積んで小野寺小町の担当編集を努められるくらいまで大きくなろうと毎日営業に走り回っていた。
ここで起こったのが、三度目の奇跡だ。夢だった編集部へ移動が決まり、いきなり作家の担当編集に。
「デビュー当時から担当してた人が定年退職してしまってね。代わりのベテラン編集者を担当させても変えてくれってうるさいんだ。先生の希望にあった社員を探すのに苦労したよ」
「本当に、僕でいいんでしょうか。僕は営業としての経験しかないですし、先生のお力になれるのか分からないです」
「いいんだよ、とりあえず先生のお家へ挨拶に行って。林くんが行くことは先生に伝えてあるから。住所はここね」
住所が書かれた一枚のメモを渡された。住所は東京。しかし中心地ではない。小野寺小町とは違う名前が書かれている。恐らく本名だろう。
タクシーに乗り込んで運転手にメモを渡す。今後何度も足を運ぶことになるだろうから景色を覚えておかないと。