華を咲かせよう
ある国に、一人の少女がいた。
少女は自身の住む屋敷の一室にいつもいる。
その部屋は、異様ともいえるほど多くの華が飾られており、その華々に囲まれて佇む少女。
華はどれも咲いておらず、蕾のままの状態。
何故そんな状態のモノに囲まれているか、それはともかく。
少女の容姿や、その佇まいは一枚の絵画のように可憐だった。
それ故に、少女の容姿は国で一番と称されて、様々な男性に結婚を申しこまれている。
彼らは様々な言葉やモノで少女に求愛するが、少女の心は動かない。
煌びやかな服や装飾品。
口にすればだれもが美味と絶賛するいくつもの料理。
物珍しいとされる、骨董品の数々。
年頃の少女ならば必ずといっていいほど目を輝かせるものや、変わり者と称される人間達が欲しがるものをいくつも目の前に拡げられるが、どれを目にしても、少女は表情動かす事なく静かに首を横にふるのみ。
最初は笑顔で話しかける男性達だったが、終始表情が変わらない少女に次第に笑顔を曇らせ、最後は肩を落とし帰って行く。
そんな日が何日も続いていった。
美しいと称される彼女。
その顔に笑顔が浮かぶことなく、日々は流れていく。
ある日のこと。
少女の前に、一人の男が現れる。
男は、いつもやってくる男達のように金持ちではなく。
又、顔立ちが特別整っているわけでもない。
風貌や服装を見るに、いかにも平民といって差し支えのない男だった。
「笑わせてやってくれ……って言われたから来たけど、どうしたもんかねぇ」
男は困ったように頭をかく。
その男を見ても、少女の表情が変わることはなかったが、今までとはタイプが違う男の事を不思議に思った。
「あなたも私に結婚を申し込みにきたの?」
「いんや、「あんただったら笑わせる事ができる」なんて見知らぬやつに言われて、強引にここに連れてこられた人間だ」
「笑わせる?」
「そうだ、ってか知らないのか? お前さん巷では有名になっているぜ。「笑わない華の姫君」ってな。当初は結婚を了承させることができる人間を花婿に、ってなってたのがあまりにもお前さんが笑わないものだから、見かねた親御さんが「娘を笑わせた者に報酬を」ってなっているんだが――」
少女は別にこの国の姫ではない。貴族ではあるが、王族に縁があるわけでもなく、その美しさから「姫」と称されるようになっただけ。
少女にとっても、又男にとってもそこにあまり意味はなく、話しは少女の両親について進んでいく。
「そう、お父様達にそこまで心配かけていたのね」
「普通、自分の子供が全く笑わないとなれば心配すると思うがね。ここに来る前ちらっと拝見した限りだと、ご両親どちらも良さそうな人達だったしよ」
「そうね、そこを否定するつもりはないわ」
「だったら、あんまり心配かけてやんなよ。結婚の話しにしたって無理やり押し通すってわけじゃなく、あんたの意見を尊重する、って感じだったみたいじゃねーか」
貴族の結婚といえば、家柄同士を繋ぐためのものがほとんどで、子供の意思が介入する事は基本ない。
けれど、少女の両親は自分の子供が望まぬ結婚をしなくていいように、あくまで少女が自分で選択できるように配慮していた。
少女の年齢は12。まだ結婚を考えるには早いともいえなくもないが、そこは貴族。
早いうちから相手を見つけておく事は常識であり、少女も両親もそこについては、疑問に思っていない。
「心配をかけたいわけじゃないの、でもね、私は出来損ないだから」
少女は両親を愛しているし、自分が貴族である事を不満に思っているわけでもない。
問題は、少女自身にあった。
「出来損ないってお前さん……」
「だってそうでしょう?」
男がやんわりと否定しようとすると、少女は男の言葉を遮る。
「私、この部屋から出る事ができないんだもの」
そして、華で囲まれた部屋を見回したあと、俯いてぽつりと言った。
言葉に込められた思いは、あきらめてしまった人間の重く、悲しいもの。
「あなたがどれだけの事を知っているかわらからないけど、でもまったく知らないというわけでもないわよね? 私の病気の事」
「……」
少女の言葉に、返事ができずにいたが、その態度は少女にとって肯定しているのと同じだった。
この国の不治の病の一つとして、【魔欠病】という病がある。
何かしらの疾患により、自身の魔力を留めておく事ができず、垂れ流しの状態になり、枯渇して、最後は死んでしまうという病気だ。
昔からあるもので、様々な人間が研究を行い、症状を緩和させたり、遅らせたり、限定的にではあるが、症状を止めたりする事ができるようになっているが、まだ完治させる方法はない。
いや、方法自体は見つかっているのだが、あと一歩の所で届いていないというのが正しい。
「私は、この華がないと生きていけない。この華は魔力を多く含んでいて、この華の傍にいれば、私の症状は抑えられるけど、それだけ。ここから出る事はできない。それにこの華だってずっと枯れないわけじゃない。私に魔力を供給し続ければ、いずれ枯れてしまう。だから私が生き続ける限り、定期的に変えないといけないの。この華は魔力を多く含んでいる分、たくさんのお金がかかるのに」
少女は椅子から立ち上がって、ゆっくりと華の一つに近寄り指で触れる。
「だから、そんな自分が嫌でたまらない。両親に迷惑をかける自分が、生きているだけで誰かの枷になるのが……そう考えたら結婚を受けるのも悪い気がして断り続けていたの」
少女の容姿がいくら整っていても、少女の家が名家であったとしても。
自分は常に誰かに頼らなければ生きていけず、そして頼った相手に迷惑を掛け続けることになる。
それが理解出来るようになってから、少女は笑わなくなったのだ。
「なるほど、ねぇ」
ある程度の事情は事前に聞かされていたので、だいたいの事がわかっていたが、少女から改めて聞かされて、こりゃあ難題だと男は思う。
「けど心配ばかりかけるのもよくないし、これ以上両親に迷惑をかけたくないから、後で話すわ。「心配ばかりかけてごめんなさい。でもこれ以上私のために無駄なお金を使わないで」って」
どう声をかけようか悩んでいるとき、少女はそんな事を言い出した。
「おいおい、そんな事言い出したら逆に泣くぞ?」
「でも迷惑をかけてる、心配ばかりさせてる。それは事実でしょう?」
そう言って少女は男を見る。
違う、と断言したいところだが。少女のために行動している様子は決して明るいものではなかった。
「だから、酷い言葉を使う事になっても、私は止めたいの」
それが、両親のためになるのならばと。
そう言って、彼女は口を軽く曲げて笑う。
ここに来て、始めて表情を変えたが。
それは幸せからくるものではなく、諦めからくる儚い笑みだった。
「あなたが何をするつもりだったか、それはわからないけど、でも多分それでも私が笑うことはないだろうから、ごめんなさい」
そう言って頭を軽く下げる。
それを見て、男は思った。
この子は、いい子だと。
笑わないといっても、何も感じていないというわけじゃない。
無感情な人間ではなく、両親の事を大事に思っていて、相手を気遣う事ができる人間だと。
年上とはいえ、貴族に対して言葉遣いがなっていない所を咎める事はなく、きちんと男の言葉に耳を傾けている事。
そしてそんな平民に対して頭を下げるなんてこと、普通貴族はしないのだから。
「私の両親はあなたに何か言う人ではないと思うけど、何かあるといけないから、あなたが帰る前に一言いっておくわ。彼は何も悪くないって」
だから、私が伝えるまでの間待っててくれる?
それを伝え少女は部屋の隅に置かれた鈴を取りにいこうとする。
部屋から出る事ができない少女は、誰かを呼ぶ際、鈴をならして使用人を呼ぶようになっていた。
その鈴を取って、鳴らす直前に。
「まあ、そう慌てんな」
男は少女を止めた。
「えっ?」
「両親に言うにしたって、俺がお前さんを笑わせるかどうか試してからでも遅くないだろう? 別に時間について何も言われなかったしな」
だから、ちょっとの間だけ付き合ってくれよ、と男性は笑う。
「でも」
「別に無理に笑えって言っているわけじゃない、ただ、俺がこれから何をするか、それを見てから判断してくれって言っているだけさ」
そうやって、部屋の隅に移動していた少女を、当初腰掛けた椅子に再度座るように促す。
少女は少しの間考え込み「わかったわ」と頷いて男性の言う通りにする。
その姿を見て、素直だなと思うと同時に「笑わせてやりたい」と思った。
お金のためじゃなく、ただ心の底から彼女が笑えるようにと。
ここに来て、「誰かに言われたから」ではなく、自分の意志で男は行動に移すことにする。
少女から一定の距離を取ってから、目を瞑り意識を集中させる。
すると男性の体から魔力の光が生まれ、それと同時に部屋から幾つも音が生まれて、そしてリズムをとり、音の数々は一つの曲となって流れ出した。
「あなた、魔法が使えるのね」
「おうっ……とはいえ、俺ができるのは自分が出したいと思った音が出せるだけで、それ以外からきしなんだけどな」
少女は男が魔法を使えることに驚く。けれど、大した事でないと苦笑する男。
「……不思議な曲ね、私が知っている音楽とは違うみたい」
「そりゃあそうだろう、俺は貴族の音楽なんて知らないし、それに誰かに教わったわけでもない。ただ思うがまま、やりたいようにやっているだけさ」
それを聞いて少女は驚く。
聞いた事がない曲、美しい旋律を奏でるだけのものとは違う、大きく激しく、圧倒される。
時に、物悲しく、けれど段々と力強くなっていき、まるで励まされるかのような温かさを感じる。
そんな曲を、男は誰に教わったわけでもなく、ただやりたいようにやっているだけだと言うのだ。
きっと、これが才能というものなのね、と少女は思った。
聞いた事がない、けれど聞くものを惹きつける曲。
それを奏でられる男は素晴らしい才能を持っていると。
しかし。
「素晴らしい曲だとは思う。けど、私がこれで笑うと思っているのなら、申し訳ないけどありえないわ」
魔法で奏でられるこの演奏は素晴らしい。
凍てつかせた少女の心に、訴えて揺さぶるような力がある。
でも、それだけ。
何度心を揺さぶられても、笑みを浮かべるような前向きな気持ちはやってこない。
やっぱり、彼には悪いけど……
少女がそう思い立ち上がろうとした所で。
「だから、待てって。曲は前菜、本番はこれからだ」
少女の行動を遮って男は苦笑する。そんな男に何か言おうと口を開き、けれど男が視線を逸らさずにじっと見つめられ、諦めた様に口を閉じて、浮かせた腰を椅子に下ろす。
それを見届けた後に、男は言った。
「さて、場が温まったところで本番だ。別に隠す事でも何でもないから、これからやろうとする事を説明しておくが、俺は歌を歌うのが好きでね。ガキの頃から歌い続けて、気付けば魔法で音楽を奏でられるようになった、歌を盛り上げる事ができるから、こうして使っているが、俺は元々歌う以外大した取り得も無い男だ」
その歌だって、お世辞にも上手いとはいえない、と男は付け足す。
「だから、そんな俺がお前さんにできる事は、歌を聞かせること以外何もない。俺をここに寄越した奴さんは、「お前の歌なら必ずあの子を笑顔にする」なんて抜かしていたが、正直俺には自信が無い。けど、だ。それでもお前さんを目にして、そしてお前さんの話を聞いて。俺はお前さんの笑顔が見たいと思った。だから、俺はその思いを、歌にしようと思う」
お前さんには煩わしいかもしれないが、ほんの一時だけ、俺に付き合ってくれ。
そう言って、男は目をつむり、語るように歌いだす。
それは世の中を呪い、絶えず訪れる不幸に自身の境遇を嘆いていた。
男の歌声は今まで少女が聞いてきた美声とは違い、荒々しい声だった。
思いを一つ一つ吐き出すその歌声は確かに上手いとは言いがたい。
しかし、男の声には力があった。
聞く人間を惹きつける何かがその歌声にはある。
その歌声と、魔法で奏でられる曲が相まって、少女の心を激しく揺さぶる。
冷やして、閉じ込めた思いが歌声を聴いて徐々に溶けて、漏れ出していく。
自身の境遇に諦めを覚えた少女は、歌声を聞いて自分でも気付かぬうちに涙をこぼしていく。
辛い、嫌だ。こんな人に迷惑かけながら生きていたくない。
大好きな人達がいる。そんな人たちと笑いながら生きて生きたい。
自身を愛してくれているのがわかるからこそ、それに応えたい。
そう思っても、蝕む病気がそれを許さない。
大金を使い、華を集めて、その中でしか生きていけない自分。
迷惑をかけたくないのに、何もできない自分が心底恨めしい。
心揺さぶられるたびに、今まで押し殺していた感情が溢れて、どうにかなりそうだった。
少女は笑うどころか、荒れ狂う激情に涙が溢れ、胸をぎりぎりと締め付けられていく。
何で私にこんな歌を聞かせるのっ。
ギュッと目を閉じて、そう叫ぶ直前に。
歌の内容が変わっていく。
世の中を呪いながらも、不幸な境遇を嘆くだけだった言葉が。
それでも、生きているんだ、と。
そんな感情に塗れながらも、自分は生きている。
下を向いても、何も変わらない。
だったら。
嘆くだけの人生なんかごめんだ。
俺達は、そのために生きているんじゃない。
辛さを、悲しさを味合うためだけじゃない。
幸福を、願っている。
自分と、共にいる人達全てが、満足できる人生を。
迷いながら、傷つきながら、それでも。
明日がより良い未来に繋がっていると信じて、生きているんだ。
歌詞は不幸を嘆くものから、不幸に抗うものに変わっていった。
不幸で終わってたまるかと、しきりに訴え続けるものになっていた。
その歌を聞いて、俯いていた顔を上げ、歌う男の姿を見て少女は思う。
病気で一歩も部屋の外へでることが出来ない体に生まれてしまったけれど。
でも、それでも。
私を愛してくれる人達がいる。私が愛した人達がいる。
愛した人達は、懸命に私を生かそうとして、頑張ってくれている。
私の病気に負けまいと、抗い続けている。
私は?
私は、病気を呪い、自身を呪い、全て諦めて、後何をしていたのだろう?
私を愛してくれた人に、何かしてあげて……何かしようと思ったことがあっただろうか?
そんな少女の疑問に答えるように男は歌を続けていく。
辛くて、倒れる事もある。逃げ出すことだって、何度でも訪れる。
けど、幸福を願うなら、明日を信じるなら、立ち上がって、前を向いてやる。
願っている場所へ近づくために、一歩ずつでも歩いていく。
一人では進めないかも知れない。
けれど、一人じゃないから。
共に歩んでくれる人が居るから、歩き続ける事ができるはずだ。
止まっていた自分、けど、歩んでくれる人達は確かに居る。
だったら、私も。
何もできないかもしれないけど。
でも。
それでも。
私は、生きていたいんだ。
少女がそう思った所で。
男は少女の疑問に応えるように歌う。
だから、笑おう。
不幸を嘆いて、下を向くんじゃなく。
明日を信じて、幸福を願って、笑ってやるんだ。
そして笑顔の華を咲かせよう。
悲しみに彩られた華ではなく。
誰もが望む笑顔の華を。
自分と、自分が共に生きたいと願っている人のために。
たくさんの笑顔の華を。
これでもかってぐらいに咲かせてやるんだ。
そう言って、歌は終り、曲もそれに合わせて徐々に小さくなり、最後は何も聞こえなくなって曲も終わる。
少しの間、部屋には静寂が訪れた。
男は歌っている間に流れた汗を拭い、息を整えながらじっと少女を見つめている。
少女は何も言わずにいたが、やがてぽつりと。
「不思議ね」
そう呟いた。
「何がだ?」
「だって、愛の歌も希望の歌も、聞いたのは今回が始めてってわけじゃないのに……」
少女は一旦言葉を止めた後に告げる。
「どうして、思わず笑みがこぼれてしまうのか、わからないんだもの」
涙を流しながらも、少女は笑っていた。
多くの人間が望んでいた類とは少し違っているのかもしれないが。
けれど、それは自身の境遇を嘆く類モノではなく。
少女の心を表すかのような優しいものだった。
「さて、な。俺は確かにお前さんの笑顔を望みはしたが、俺の歌でできるとは思っていなかった」
お前ならできる、と言われた理由も未だにわかっていない。
だから、少女の望む答えは返せないが。
「ただ、お前さんはやっぱり笑っていたほうがいいと思うぜ」
「それは何故?」
「笑顔は、力になるからさ」
男は断言する。
「生きるために、幸せになるために、笑っているのはとても大事な事だ。笑うって言うのは、ただそれだけで前向きになれる、大きな力だ」
感情を込めていう姿に、きょとんとした表情を見せた。
「そうかしら?」
「間違いない。横にいる誰かが悲しんでいるより、笑っているほうが元気になれるだろう?」
そう言って男は笑う。
その姿を見て、少しを間を置いた後、その言葉を噛み締めるように「そうね」と少女も微笑を浮かべる。
「私……これから頑張ってみるわ。何ができるかなんてわからないけど、でも、頑張ってみる」
「おう、そうしろそうしろ。そのために俺の歌が必要なら、何度だって歌ってやる」
「それはお願いしたいわ。あなたの歌は素敵だもの」
「そうかい? どっかの美男子のように、綺麗な声をしているわけじゃないんだがね」
「確かに、あなたの声はそういった声じゃない。けど、聞いていてとても元気を貰えるような……あら?」
「どうした?」
「華が……」
「華がどうした? んっ、閉じていた華が咲き始めているな。おっ咲いた。へぇ綺麗なもんだなー。この華普通の市場じゃ出回ってないっていうし、咲いた状態って誰も見た事もないんだろう? じゃあ俺は今珍しい物を見ていることに……」
会話の途中で、少女は視線をずらしたので、男もそれにならって少女と同じモノを見る。
すると、部屋全体に飾られていた華々が少しずつ華開く姿を見ることになり、その華の美しさに男が見惚れていると、突然少女が。
「あなたっ。今すぐ誰か連れてきてっ!」
「へっ?」
「急いでっ!」
男に向かって叫んだ。
何故叫んでいるのかそれがわからずに呆けると、間髪居れずに少女が誰か呼んでくるように言うので、男は理解できないまま慌てて部屋の外へと駆け出した。
少女が驚愕した理由。
それは華が咲いた事が関係している。
この華は【魔欠病】に効くとされ、事実症状の緩和や、一時的に症状を止める効果がわかっている。
大量に魔力を有している事や、又人の魔力に馴染みやすい事も証明されている。
けれど、治すまでには華の力はなかった。
だが、この華一つ大きな謎があり。
咲いた姿を見たものは誰もいないということ。
咲かすために色々な試行錯誤が行われてきたが、どうやったら咲くのか誰にもわからなかった。
しかし、華が咲けば、この病気の薬なる。
それは研究の末に判明していたので、今日の今日までこの花を咲かす術を多くの人間が懸命にその手段を模索して。
そして、今。
少女の目の前で蕾の状態だった華々が、確かに咲いているのだ。
そんな時に。
「おーいっ。言われたとおり、人を連れて……」
男がやってきた。
言われたとおり、少女の両親や少女が屋敷で働く何人かの使用人を連れて。
そこで、男含む人間は目にする事になる。
今まで咲かなかった大量の華が咲き誇り。
その中で、幸せそうに微笑む、美しい少女の姿を――
これは、後になってわかったこと。
咲かない華が咲いた理由は、人の幸福を感じ取り咲くのだという事実。
華に関わる全ての人間は、「華を咲かす」その事に心血を注ぎ込み、結果「幸福を感じている人間は誰一人いなかった」
だから、今まで華は咲かなかった。
しかし、今回男の歌で前向きになり、病気による不幸を嘆くのではなく、周りに愛されているという事実を認識して、幸福を噛み締めた結果。少女の思いを受け取って華は咲いた。
結果、その華を元に【魔欠病】の治療薬は作られた。
男は少女を笑わせることが出来た事、華を咲かせることに貢献した事。
少女の両親や、国から報奨金を与えられる事になったが。
『別に金が欲しくてやったわけじゃねーし、それに咲かせたって言ったって、別に俺はただ歌いたいように歌った、ただそれだけだ』
そう言って、お金を受け取ろうとはしなかった。
ただ。
『どうしても金を渡すって言うなら、その金【魔欠病】に苦しむ人間のために使ってやってくれ。貴族様は兎も角として、平民が病気を治そうとしたら大金が必要になる。だからその金はそいつらのために出してやってくれよ』
そう言って男は笑った。
そんな男の姿を見て、国は男の言うとおり、【魔欠病】に苦しむ人間のために使い。
【魔欠病】は不治の病ではなくなった。
そして。
男はそれからも様々な場所で歌い続ける。
酒場でも、聖堂でも、王宮でも。民家でも、貴族の家でも。
請われればどこにだって訪れ、男は歌った。
その歌声は不幸に嘆く人間や、生きる活力をなくした人間の心を奮い立たせ、又懸命に生きる者に笑顔をもたらす。
男の魔法は【音楽を奏でられる】だけではなく、【歌声を媒介に自身の思いを他者に届ける】というモノがあった。
男自身が懸命に生きて、笑う事を良しとする人間であり、その思いが歌声となって相手に伝わる。
そんな男の姿を、酒場で仲間達と騒いでいる時、その場に居合わせ魔道士がたまたま聞いて、男の魔法と、彼と一緒に笑う陽気な人々の姿を見て、少女の下へ強引に連れて行ったのが真相である。
自身の魔法の事を、男は知らない。
だが、それでも彼のやる事は変わらないだろう。
何故なら男が自分と、周りにいる人間が笑顔でいられるように歌い続けているのは、魔法のあるなしではないのだから。
あと語る事があるとすれば。
それは男の歌う姿の横にはいつも一人の少女がいた。
貴族と平民の組み合わせは、普通可笑しなものではあるが、誰もその事について触れない。
みんな男のした事を知っているためだ。
だから、大勢の人間と同じように、彼の歌を隣で聞く。
隣にいて、男の歌を心地よさげに聞いて、時に口ずさんだりして。
その姿は常に楽しげで、幸福に満ちていた。
最後に、その少女の呼び名について。
嘗て「笑わない華の姫君」と称された今の彼女の呼び名。
咲かない華と言われた華が、幸せの華と呼ばれるようになった事。
それにちなんで。
美しく、可憐な笑みを浮かべる少女の新しい呼び名は――
――幸福の華の姫君。
最後まで読んで頂きありがとうございました。