おやつの魔女の日記 2日目
ここは暗い暗い森の奥。陽の光も入らないような鬱蒼とした木々の合間に、ぽつんと開けた土地があるそうで。そこには、煙突のついた小さなおうちが甘い香りを纏って建っていました。
今日は一日中真っ暗な雨の日のお話。
朝から雨が止まない。外は薄暗いし、お洗濯は出来ないし、なんとなく憂鬱になるしっとりした雨。
「今日は何にもやることないね。」
「いつも暇そうじゃない」
ため息混じりにカカオが呟やいた、その時。
―トントントン、トントントン
「ごめんください。」
雨の音にかき消されそうなノックだった。雨が降る日はみんな家から出ないはず。一体誰が来たのだろうと訝しみつつもコムギはドアを開けた。
「あっ、あのっ。こ、あ、いや。おやつの魔女さまの家は、えっと、こちらで合っている…でしょうか。」
おどおどした口調で落ち着きのない様子だ。
「あなたはたしか、ヤミフクロウさん?」
「そっ、そうです。こんな、あっ、雨の日に、すみません。」
ヤミフクロウは真っ黒で闇に溶け込んでしまうからヤミフクロウという名である。そんなヤミフクロウ達は、夜に行動することを好む。いくら暗くても、こんな昼間に訪れることはとでも珍しい。
「えっと、あの、ですね。お願いがあり、まして。少しだけ、少しだけでいいのでっ。お話を聞いて、い、いただきたいのです。」
何か深い訳がありそうだった。コムギはきぃ、とドアを開けヤミフクロウを家へ招いた。
「ヤミフクロウさん、お家へどうぞ。私で良ければ力になります。」
「そんなずぶ濡れになるなんて、さっ、暖炉のそばへ。」
「あ、ありがとうございます。」
ヤミフクロウはクチバシから羽の先まで、滴が止まらないほど濡れていた。コムギに案内され、暖炉の前に置いた椅子に座ると何が合ったのか話し始めた。
「最初は、森の中で、と、友達と遊んでいたんです。それが、夜明けに近くなった、時に、い、いなくなってしまってっ。」
どうやら、遊んでいたはずの友達が気づけばいなくなっていたという。その友達とは毎日遊ぶほど仲が良く、喧嘩した訳でもないらしい。気づいてすぐ、辺りを探したものの見つからなかった。
雨も降ってきて雨宿りしていたところ、ヤマリス達の噂でおやつの魔女について聞いたのだそう。
「なっ、なにか、あ、あったんじゃないかと。気が気でなくて。と、とにかく、誰かに、相談、したくて。」
緊張というより、心配と焦りから時折言葉に詰まっているようだった。
「お話はわかりました。できることなら、その友達を見つけたいんですね?」
「え、ええ。見つけられますか。」
「今から考えますっ。」
「今から……。」
明らかにヤミフクロウは落ち込んだ。
「まずは、ヤミフクロウさんからです! 夜明けまで森中を探し回って、雨に濡れては元気が出ないので。」
そういうと、コムギはいそいそとキッチンへ向かった。小鍋を取り出し、シードミルクの殻を割り、中のミルクをたっぷりと注いだ。溢さないようゆっくりと暖炉の上に置き、木べらで混ぜる。
「あ、あの、何を。」
「ふふっ、見ていて頂戴。きっとおいしいものが出てくるわよ。」
ミルクの匂いにつられてカカオがやってきた。
「おいしいもの……。」
「そう、おいしいもの。あなた、朝食は食べたの。」
「あ、いや、食べてないです。」
「ゆうべのご飯は?」
「……そういえば、昨日のお昼ご飯以来、何も食べていません。」
「だと思ったわ。あの子はね、お腹が空いているかどうかがわかるらしいわ。不思議よね。」
「そう、なんですか。」
そんなカカオとヤミフクロウの会話には耳も貸さないコムギは、鼻歌混じりに手を動かしていた。シードミルクがふつふつと泡を出し始めたタイミングで暖炉から下ろし、小鍋と共にキッチンへ戻った。
棚から出してきたのは真っ黒チョコチップ。墨替わりに使われていたほどの真っ黒なチョコチップで、元々真っ黒なヤミフクロウにはぴったりだった。
暖炉から下ろしたミルクに真っ黒チョコチップをカップ一杯分入れる。銀のスプーンで混ぜると段々ミルクが黒くなっていた。また火にかけ、全部溶けたらマグカップに注ぐ。
カップに注いだら、仕上げに1スクープ分の泡立てたふわふわみるくを添えて完成。
「お待たせっ。真っ黒ココアができました。」
「真っ黒、ココア……。」
ヤミフクロウは聞きなれないのか不思議そうにしている。
「ヤミフクロウさんのためのあったかココアです。どうぞ。」
不安の色を残しながらも、ヤミフクロウは差し出されたカップを受け取った。あちあちとやけどしそうになりながらも、一口、二口と飲んだ。
ほろ苦いのにナッツのような香りがふわっと広がって、くどくない優しい味がした。
「お、美味しい。」
「でしょ。今からもっと美味しくするね!」
コムギは銀のスプーンを取り出し、くるくると回す。スプーンを回したところからキラキラと星屑が浮かび上がり、マグカップへと向かっていった。
「い、今のは、いったい。」
「飲んでみて。ほろ苦かったのが、バニラの香りになっているはず。」
ヤミフクロウが勇気を出せずにいる間に、コムギとカカオは一緒にココアを飲み始めた。
「ん~~、美味しいっ。バニラのココアって不思議~。」
「ええ、美味しいわ。甘いのに、ココアの風味が残っていて、まるでチョコレートアイスクリームみたいだわ。」
コムギとカカオが美味しい美味しいと飲んでいる様子を見て、ヤミフクロウもたまらず一口。
最初は強いココアの香り、甘いのにどこか苦く感じる一口目。二口目に飲むと広がるバニラの香りに。アイスクリームやカスタードのような、強いバニラの香り。
三口目には、最初のココアと次のバニラが混ざり合い、濃厚なチョコレートアイスクリームの味がなめらかに感じる。
「わ、わ、美味しい…美味しいです。」
いつの間にかヤミフクロウはごくごくと飲んでいた。
その様子を見て、コムギとカカオは微笑み合っていた。
気づけば雨は上がり、日が差し込んでいた。
―トントントン、トントントン
「ごめんください。」
ドアを開けると、真っ黒なヤミフクロウが立っていた。
「実は、友達とはぐれてしまったんです。ちょっと、おどおどしている子なんですけど。きっと雨の中で誰かに頼りたがっているんじゃないかって思って。」
コムギの目ではヤミフクロウの違いは見分けられないが、さすがに察した様子。なぜなら、真っ黒チョコチップの香りはヤミフクロウの大好きな香りだからです。
「まあ、あなたはもしかして――」
これは、おやつの魔女と一匹の、なんでもない日常の物語。魔法のおやつを作れることと、おやつに魔法をかけることしかできない魔女の日記。