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打撃投手

作者: たま

野球場が歓声に包まれる。

審判が試合開始のコールをすると訪れる

一瞬の静寂。

ピッチャーが脚をあげ、腕が弧を描くように伸びて指先からボールが離れる。

ピッチャーは打たれないように。

バッターは快音を響かせる為に。

何処までも遠くにボールを飛ばすように。

球場に響くのは快音か、それとも小気味良い音を立ててキャッチャーミットに収まる音か。

一つのボールの行方を固唾を飲んで見守る。


ずっと、ずっとエースだった。

小さい時から野球が好きで、得意で、周囲からも才能があると言われて。

面白い位に結果もついてきた。

勿論その為に努力した。

努力する事なんて苦にならない。

だって試合でマウンドに立つのだから、当然だと思っていた。


リトルリーグ、中学時代。

そう、ずっとずっとエースだった。


将来の夢は野球選手。

恥ずかしげも無く、声を大にして言っていた。

望めば夢は叶うと思っていた。


エースだったのだ。

俺の、この、小さな世界では。


まっさらな、誰も足を踏み入れてないマウンド。

そこに一番最初に足を踏み入れ。

投げない限り、試合が始まらない。

あのゾクゾクする様な瞬間。

マウンドに立って投げる。

それが、全て。


「コントロールは良いけど、いかんせんスピードがない」


スタミナの問題か身体の問題か。

スピードがどうしても出なかったスピード重視だとコントロールはめちゃくちゃになる。

だから、コントロールの精度を上げた。

緩急つけて投げる事によって、ずっとエースだった。

打たれないように。

三振を取るために。

打ち上げさせる様に。


投げる。

投げる。

投げる。


それは今も変わらず。

だけど、それは。

意味合いが違っていて。


だって、それは。

相手が気分良く打てるように。

バッターが打ちやすいように。

苦手なコースを克服する為に、そのコースより少し打ちやすい場所に投げる。打てるようになったら、どんどん苦手なコースに近付けて。

打たせる為に、投げる。


今の俺は、エースじゃなくバッピ。

バッティングピッチャーだ。


県外の甲子園常連校から誘われて、嬉しくて迷わずに進学を決意した。

両親もリトルリーグの頃の監督も、中学恩師もそこへの進学には否定的な意見だった。

県外で家から通える距離でも、気軽に帰れる距離でもなかったからか、寮暮らしになる事に母親は強固に反対した。

地元の、何度か甲子園に出場した強豪校の方が機会があると勧められた。

仲間の何人かは、そこに進学予定だと。

それを振り切って、進学を決めた。


入学した俺を待っていたのは、俺よりも遥かに才能のある化け物達ばかりで。

小さな頃からエースだった奴等の集まり。

俺レベルなんてゴロゴロいた。

先輩の身体つきが、一年坊主の俺らとは違っていた。

勿論才能がずば抜けていた奴等は1年でも準レギュラーの地位を掴んだりしたが、それもほんの数人。

片手で足りる位だ。

当然自分が入れる筈もなく。

彼らは、特別だった。

努力とか才能とか、そんな言葉で言い表せない。

自分とは違う別の場所にいる、彼等との違いを敢えて言葉にするなら、それだけだった。

その違いを、誰かに分かって貰おうとして言葉を探しても、それ以上の言葉は出てこなかった。


1年目の新人戦で、先発にはなれなかったが3イニングで38球、被安打、無死球という成績を残して自分の中では手応えを感じたものの、監督が下した決断は自分の希望とは違っていた。


監督から言われた台詞。


「お前、バッピになれ」


「わっかりました」


条件反射で帽子を取り、礼をしながら大声を出して了承する。


俯きながら言われた台詞を反芻する。

バッピ。

バッティングピッチャー。

打撃投手。


分かっている。

チームに必要な存在なのは。


分かっている。

縁の下の力持ち、裏方が大事な事くらい。


1年目だから当たり前だ。

即戦力には到底及ばない。

仕方ない。

体作りに的を絞ってトレーニングに励む。

2年目、片手以上の2年が甲子園ベンチ入りした。

そこに自分の名前はなかった。


打撃投手としてはチームには帯同したけど。

当然球場内には入れない。

応援席で、近くて遠い場所から眺めていた。

憧れていた甲子園は、ただ暑かった。

それだけだった。


坊主頭だった自分の髪が長く伸びてくる頃には、ボールを触らない毎日が当たり前になった。

耐えなくて良い練習も、義務のようにこなしていたピッチングも。

心底ホッとしている自分に気がついた。

もう、投げなくていいんだ、と。

もう、ボールを触らなくていいんだ、と。


プライドを持って打撃投手をしていた。

苦手なコースが打てるようになって、喜ぶチームメートの笑顔は嬉しかった。

必要な大切なチームの要だと言われて嬉しかった。

だから、悔いはない。

だけど。

心のどこかにある、妬ましいまでの羨ましい思いはどうしても消えてくれなくて。

自分の高校のチームメイトなら、ライバルでもあるからまだ良かった。


だけど。

昔の仲間が甲子園の土を踏んだ事を聞いた時、おめでとうと言いながらも、心の底から祝えなかった自分がとても嫌で。

野球を楽しんでプレーしていた、自分までもが否定されてしまう気がして。


短くて、長い、3年間が終わった。


将来の夢は、野球選手。


目をキラキラさせて、夢は叶うと信じていた少年は、もういない。


高校を卒業して、大学に行った。

野球は、やめた。

昔の仲間が誘ってくれた、それこそ草野球ですら。


社会人になって4年。

大分会社に慣れた頃。

地方支社に転勤になった。

そこで社の先輩から草野球に誘われた。

見学に無理矢理誘われて観に行くと、仲間は老若男女、三振四球エラーは当たり前のヘッポコぶり。

だけど子供のように目を輝かせて一つのボールの行方を追う表情はとても楽しそうで。

試合を見ているだけで頬が緩みそうになる。


過去の自分を知る人がいない場所。

今なら、素直に野球を楽しめるような気がした。


久々に感じる、グラウンドの息吹。

お世辞にも整備されているとは言えないグラウンドだけど、それでも。


単純に野球が好きだ。

手に馴染むボールの感覚。

ミットに収まる音。

歓声。

全てが愛おしい。


あぁ、そうだ。

俺は、野球が本当に好きだったんだ。

その感情は自分の中でストンと落ちた。


見学に来ただけだ、というのに、無理やりボールを握らされた。


久々のボールは、違和感を感じてしまった。

こんな感触だったか。

こんな硬かったか。

なのに何度か握ると、あの頃にように手に馴染んで。

グルグルと肩を回して振りかぶる。

久々の一投は、ベースに届く前に地面に派手にバウンドした。


「おーい、お前推薦で高校行った実力の持ち主だろうー」


先輩のヤジに、思わず苦笑する。


「私の方がブランクあったのに、届いたわよー」


ソフトボールをやっていた、というクリーニング店のおばちゃんにもからかわれる。


漫画とかなら。

久々だから大暴投でコントロールが、とか言っている場面。

なのに、ベースにすら届かない事実。

苦笑いしながらも、思考は勝手に自分の問題点を探す。


簡単に分かるのは、軸足が狂っている。

すなわち体幹がしっかりしていない。


どれくらい身体が鈍っているんだか。

本格的にトレーニングしないと、本当に「昔、野球をしていました」何て言えないな。


バウンドして転々と転がっていったボールを目で追いながら拾いに行く。

足取りが軽い。

あんな大暴投だったのに、楽しいと思った。

ちゃんと投げたい、と思ったのは、いつぶりなんだろう。


あぁ、俺はまだ投げられるんだ。


知らず口角が上がる。

拾いながら見上げた空は、昔と変わらず高く澄んでいた。











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― 新着の感想 ―
[一言] 誰にでもある、よくある話なんだと思います。 思いますが、リアルで、なんだか胸が苦しかったです。 主人公はまっすぐな頑張り屋さんですね。 私だったら、もっと僻んで、推薦入学でも野球部を辞めてる…
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