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CONTINUE?

作者: 若槻味蕾

 真暗な部屋のなか、黒い画面の海の中を、ブルーライトの戦闘機が游いでいる。

 Bボタン長押しで出続ける赤い光線で、緑の光線を吐き出す敵機を撃ち落とす。

 しばらくそれを繰り返す間に、思わぬ雪の様な白点が、游ぎ続けていた戦闘機に当たる。

 爆。

 周辺の敵機群を道連れにダイバーは撃沈し、暗転した画面に戦いの終幕(バッドエンド)を告げる文字が浮かび上がった。


「……」


 パイロットの僕は無言で「CONTINUE?」の選択肢のうち、「NO」を選ぶ。安易な蘇生はリアリティがない。今死んだ「僕」は生き返らない。失ったものは二度と、戻らないのだ。


「……」


 また死ぬ。また「NO」を選ぶ。何度もやり直しているのなら同じじゃないか、と誰かが囁く。たとえ「NO」を選んだとて挑み続けるならば、蘇生が死に戻りにランクダウンしたに過ぎない。あるいは、生まれ変わりとでもいうのか。


――今回のことは、忘れましょう。


 誰かの言葉がよぎる。

 忘れられるものか。忘れられるわけがないのだ。一度経験した(トラウマ)は、いつだって頭の奥で存在を主張しつづける。


――忘れましょう。

――忘れましょう。

――忘れましょう。

 その言葉だけが、響いているのだ――


「……あっ」


 また死んだ。思い出す度に死んでいる。かつての死に、殺され続けている。

 ハイスコアは塗り変わらない。ずっとずっと、同じところで、僕は死に続けている。





《二〇一九年 十二月 某日》


「お疲れ様でーす」

「お疲れ様です」


 当たり前の挨拶を済ませ、僕はステンレスのドアを閉める。

 N大学、体育館横、軽音楽部の部室。外のスカッシュの音が響いてくるその片隅で、僕はいつも電子ドラムを叩いている。

 本格的なドラムは、近隣の迷惑に配慮して授業のある時間帯は使えないことになっている。叩けるのは部活の許された時間帯、十八時~二十一時までだけ。しかも、その三時間さえバンドごとに一時間ずつ区切られており、次のイベントに参加するバンドが多い時は週一回叩ければいいほうだ。なので、ドラム担当は部室では、基本的にこの電子ドラムで練習をする。電子……といっても壊れていて音は出ない、ただのゴム板なのだが。

 部室の中央に鎮座するコタツでは、女の先輩がひとり漫画を読んでいる。その奥にある演奏スペースでは、ひとつ年下の後輩がエレキギターの弦をチューニングしていた。


御影(みかげ)さん、お疲れ様です」


 僕はドラムを叩こうと思って来たのだが、一旦ナップザックを投げ出して、コタツに入った。


 女の先輩……御影さんはニヤリと笑って、漫画は開いたまま少しこちらに目を向けた。


「お疲れ。ドラム叩きに来たんと違うの?」

「いや、そう思てたんですけど……何読んではるんですか」


 御影さんの漫画にはカバーがかかっていて、中身が分からない。


「これ? チェンソーマン。最近話題なんよ」

「あ、聞いたことあります。確かファイアパンチと作者一緒で」

「そうなん? そっちは聞いたことないわぁ」

「いや、マジ面白いっすよ。おすすめです。たしか一話無料なんで、リンク送りますわ」

「ええて、自分で調べるよ。ファイアパンチね、メモっとくわ」


 そう言うと御影さんはスマホを取り出して、ポチポチとやってすぐ高そうなハンドバッグにしまった。


「御影さん、打つのむっちゃ早いすね」

「そう? 人並みやて」


 またニヤリと笑う。この不敵な笑みが僕は好きだった。


「お疲れ様でーす」


 荷物をまとめていた後輩が出ていく。僕たちは「お疲れー」と返して、また漫画の話を始めた。





《二〇二〇年 三月 末日》


「え、授業やるの?」


 ノートパソコンを開いた僕は驚いていた。


 先月ごろから蔓延しはじめたあの感染症のせいで、大学はどこも、当面は授業の開始を延期すると聞いていた。それが、なんと当初の学年歴通りに授業が始まるのだという。


 ただし、オンラインで、だが。


(そうか……やっぱりそうなるよな)


 首肯して、僕はノートパソコンを閉じた。





《二〇二〇年 六月 十六日》


「ほんと、いやな世の中だよねえ」


 焼き鳥屋で久々に会った友人の貝原(かいばら)は、ひどく苛立っているように見えた。


「ボク、今年で一番嫌いになった言葉は『オンライン』だね。前はもっと好きだったんだけどなあ」


 赤く染めたボサボサの長い髪をいじくって、貝原は砂肝をかじった。


「ハハ、間違いないわ」

「だいたいさ、これほど老若男女が横文字でしゃべったことある? いやぁ、必要に迫られるってスゴイよね。年寄りの脳も開発しちゃうんだからさ」

「……ま、そうかな」


 この貝原という男は、ものごとを少し極端にとらえすぎるところがあった。僕はそんな彼のものいいを認めたり認めなかったり、ふんわりと流したりする役だった。

 正直なところ、彼がどんな意見を持っていようが、僕はどうでもよかったのだ。彼のはっきりしたものいいが好きな自分もいた。それでいて、彼が穏やかな人間であれるように、やんわりと軌道修正していけたならば、それが最適だと思っていた。


 貝原は一瞬黙って虚空を見つめ、そして、ふいに笑った。


「……ま、いろいろ大変だけどさ。頑張ろうよ」

「そうやな」


 彼から時々、ほんの時々出てくるこの優しい言葉が、僕は好きだった。

 ビールとレモンチューハイのジョッキで、僕たちは乾杯した。




《二〇二〇年 七月 中旬某日》


「新しく入りました、妹尾(せお)です。よろしくお願いいたします」

 その青年は、同い年の僕に礼儀正しく、75度くらいのお辞儀をした。

「あ、いやいや、僕も入ったところなので。一か月くらいしか変わらないんで」

 僕は恐縮して両手を振った。

「まあその、わからないこととかあったら遠慮なく聞いてください。一か月しか変わらないですけど、ハハ」

「ハハ。ありがとうございます」

 青年はマスク越しにもはっきり整っていると分かる顔立ちで、爽やかに笑った。





《二〇二〇年 九月 一日》


「七か月ぶりの大学……」


 知らぬ間にできていた新校舎の眩しさに僕は唖然としていた。近所の公立高校より年季が入った建物群のなかに、まさかこんな新しい一棟ができるとは。


「――くん、お疲れー」


 僕の名を呼ぶ声が聞こえた。

 同じ軽音楽部の桐野(きりの)くんだ。他大学のテニスサークルにも所属していて、顔もかっこよくて、性格もとても優しい。何度か家に泊めてもらったこともある。


「桐野くん! 久しぶりー! 髪切った? 彼女とはうまくやってる?」

「はは……まあ、ぼちぼち」


 彼は困ったように笑った。僕は少し踏み込み過ぎたか、と申し訳なく思った。


「あいつ、こないだインターン行ってきたみたいでさ。なんかその、自分より年下なのに凄いなって、尊敬しちゃうよね。ハハ」

「あっ……」


 僕は思い出した。そうだ、就活。あと一年だ。


「俺なにもしてへんわー……」

「ハハ、俺もだよ。ま、ぼちぼちやっていこ」

「せやな! じゃ、またあとで!」

 僕はゼミがあったので、彼に笑顔で手を振り、慣れない新校舎を歩き始めた。

 彼の美しい顔は、七か月前とまったく変わらず、穏やかな笑みにほころんでいた。





《二〇二〇年 十月 五日 夕方》


(卒業された軽音部の先輩方、どうしてるんだろうなあ……)


 バイト終わり、僕は制服を片付けつつ、もの思いにふけっていた。

 すると、先に着替えを終えた妹尾が、談笑していた職員さんふたりの方に歩いていった。


「実はその……今月末で、辞めさせていただきたいんです」

「えっ!」


 職員さんたちは驚いたようだったが、続く彼の言葉、


「本業が、再開のめどが立ってきまして……来月あたりから、公演にまわるということで」


 これで納得したようにうなずいた。


「そうですね……もともと、それまでっていうお話でしたし」

「寂しくなります。また遊びにきてくださいね」

「ええ、機会があれば、ぜひまた」


 妹尾は深くお辞儀をした。





 その日、僕と妹尾はたまたま帰るタイミングが重なり、家路を共にすることになった。

 いろんな話をした。高校を卒業して、夢を叶えるために東京に出たことを聞いた。東京での苦労話。自分の話もした。そして、お互いがんばりましょう、と言って、別れた。

 暗い中だったが、彼はおきまりの深いお辞儀をしてくれた。僕も、親愛の情をこめてお辞儀をした。

 彼がいなくなる。明るく、まっすぐで、快活な彼は太陽で、僕は、彼のかげで優しく照らす月のような存在だと勝手に思っていた。その彼がいなくなる。職場には、男性は僕ひとりになる。僕が彼の分まで頑張るのだ、太陽にはなれなくても、太陽のかわりくらいにはなれるように頑張ろう。彼のかわりになれたらと、そう思った。





 僕は激昂した。





 僕は激昂した。

 怒るのが、この場所での義務なのだと、そう思っていた。

 本来、僕は人前で怒ることなど滅多にない人間だった。だが、この場所においては、そうしなければならなかった。そうしなければならないと、思い込んでいた。

 僕は自分の感情をコントロールしていた。むやみに物に当たるようなことは、たとえ自分の部屋でもしなかった。僕が怒るときは、いつも布団の中だった。あるいは風呂場だった。ただひとり、我に返ったときにふつふつと募ってくるのが僕の怒りだった。そうして貯め込み、貯め込み、貯め込みつづけた怒りを、絵に描いた。B5のコピー用紙に、シャーペン握りしめて、ガリガリと削るように怒りを叩き付けた。あるいはその対象は歌であった。呪うように、つんざくように歌った。

 ゲームにぶつけることもあった。自慰にぶつけることもあった。とかくそうして、僕は自分の感情をコントロールしていた。

 だがこの場では、それを表に出すことが求められている。ならばと、僕は怒りを吐き出し続けた。のどぼとけの位置が下がった。絵を描かなくなった。ゲームもあまりしなくなった。自慰の回数も減った。呪うような、つんざくようなあの歌声は、いつの間にか自分の地声になっていた。いつしか、太陽でも月でもない、黒い炎の塊と化していった。

 そうして僕は――あの場所を、燃やしつくしたのだ。





「そうする必要あったんかい!!」


 彼は僕にこう言った。

 僕は言い返せなかった。


「もっと他にやりようあったんと違うんか!」


 その通りだ。しかし、僕にはそれがわからなかった。いや、わからなかったというより、その選択肢を捨てていたのだ。それは僕には向いていない、と切り捨てていたのだ。話すことが向いていないならば、吐き出すのだ。もはや言葉ではない。ただ喉から空気を振動させるだけだ。効率よく、届くように、効果があるように、振動させる。それだけの機械に僕は成り下がっていたのだ。結果として、その振動は僕に還って来た。それだけだ。

 力で揺り動かした振り子は、同じ力でもとに戻ってくる。それだけの現象だ。

 では、僕はどうすればよかったのだろうか? やはり、選択肢を捨てなければよかったのか? 振り子が振れないように、振れても少しで済むように、たとえ腹のなかにどれだけの熱湯、硫酸が煮えたぎっていても、しかしそれを吐き出してはならなかったのか? きっと、「そうだ」と善い人は答えるのだろう。

 だが、その時点の僕は認識が間違っていた。この場では吐き出すことが正義で、吐き出さなければならないと思っていた。はじめから間違ったままに、ここまで進んできてしまった。ゆえに、勢いの付いた僕のトロッコは止まらず、行き止まりですらない、断崖の下に落ちていくことになったのだ。


 僕は、深くお辞儀をした。何度も、した。





 そんな哀れな僕を、救ってくれた人たちがいた。

 同い年の息子がいると、全力で守ってくれた人がいた。

 優しく言葉をかけてくれ、暖かい飲み物と食べ物をくれた人がいた。

 何度も謝ってくれた人がいた。

「あなたは間違ってない」と、言ってくれた人たちがいた。

「私が動けないときでも、この人が助けてくれた」と、主張してくれる人がいた。

 客観的な立場で判断してくれる人がいた。

 隣で声をかけながら、歩いてくれた人がいた。

 笑顔で、はげましてくれた人がいた。

 いつまでも案じてくれる人がいた。

 ただ、SNSのフォローを許可してくれただけの人がいた。


 本来なら、そこまでしてもらう資格は僕にはないはずなのだが、彼らは、全力で、僕を助けようとしてくれた。いや、助けようというつもりはなかったのかもしれない。だが、この全てが僕にとっての救いとなった――


 と、書きたいところであるが。





 真暗な部屋で、僕はブルーライトの戦闘機を操っている。

 子どもの頃、この類のシューティングゲームは得意だった。一時間近く、死なずにぶっ続けでプレイしたこともある。おかげでその日の全国ランク百位以内に入ったのは自慢だ。


「……あっ」


 油断した。油断をすると、死ぬ。敵は今か今かと待っている時にはやって来ないものだ。本当の強敵は、こちらが油断したときに、かならずやってくる。

 油断していないつもりでも、どこか想定外の部分がある。生きるとは、その想定外を、なるたけ埋めていくことなのかもしれない。それが、『大人になる』ということなのかもしれない。


 僕はまだ死んでいない。


 CONTINUE? YESは選ばない。だが僕は続ける。奇跡に頼ることは、もうしたくないのだ。


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