聖女の妹、賊に攫われる
私ことアゾレア王国公爵令嬢エリューシア・バンネマン17歳は今、生まれて初めて生命の危機に晒されていた。
今日は朝から姉の代わりに神殿に参内していた。
一つ上の姉アンネローゼは癒しの加護を持つ国に認められた聖女である。
癒しの加護は稀有な力だ。
当然、国が保護という名の囲い込みをして国外への流出を阻止するべく、姉は王太子の婚約者となった。
幼い頃から王太子に夢中だった姉18歳は、2つ上の王太子と過ごす時間を大切にしたいと、以前にも増して王宮に入り浸っている。
その為、今や聖女の職務も疎かとなり、神殿の神官さま達から眉を顰められているのだった。
せめて神殿で祈りだけでもと、体裁を整えるべく聖女でもなければ魔力も持たない妹の私に神殿への定期参内を王から求められたのだった。
国の発展と安寧を祈願することに否やはない。
だが、ホント、それでいいのか、王よ、王家よ、神殿よ、聖女よ、そして神さまよ・・・?
色々突っ込みどころ満載だが、姉のように駄々を捏ねても仕方がない。
今日も今日とて朝から聖女の代わりに神殿に赴き祈りを奉げたわけである。
神殿では祈りの他に座学、写経、讃美歌や楽器の練習などを行い、最後に神殿を掃除してから帰宅する。
普通、神殿務めであれば神殿内で寝食するのだが、私は聖女ではないし神官職でもないので公爵邸から週2回のペースで参内している。
今日のお務めを終え疲れた身体を奮い立たせて馬車に乗り込む。
夜の帳の中、ずり落ちてきた黒縁眼鏡を引き上げる事も忘れて、私はやって来た睡魔に身を任せていた。
いつもなら公爵家の侍女と護衛が付くのだが、神殿と公爵邸は近い事もあり、今日の迎えは御者兼護衛のアントン爺ひとりだけだった。
それが不味かったのだが、後の祭り。
お屋敷への道中、突然馬車が急停車し、身体が前の座席に放り出されて目が覚めた。
神殿を出た直後の森林が生い茂る中、私の乗った馬車は賊に襲われてしまったのだった。
護衛のアントン爺と賊の剣で争う音が響く中、馬車の扉が乱暴に開けられ、黒いフードを眼深に被った賊が目に入った。
けれども、頭から黒い布を巻かれて視界と自由を奪われてしまい、賊の顔を見る事ができなかった。
かなりの体格の男と思われる賊に身体を強く引き寄せられると、布越しに男の声が聞こえた。
「大人しくしていろ。騒げば斬る」
冷たく鋭い声に、思わずヒュッと音を立てて息を飲み込んだ。
黒い布の中で身を縮こませていると勢いよく身体を持ち上げられ、男は私を肩に担いで足早に歩きだした。
歩くたび自分の腹に男の肩が当たり、その衝撃で眼鏡がどんどんずり落ちてくる。
引き上げようにも簀巻きにされて自由を奪われた手は、鼻をかくことすら出来ない。
「シアさま!」
アントンの心配する声がするけれど、次の瞬間、その声は呻き声に変わってしまった。
「お願い!彼を傷つけないで!!大人しくするから!」
視界を塞がれた黒い布の中で、私を担いだ男の背中らしき硬い身体をこれでもかと叩く。
私の攻撃に男は歩を止めて、凄みを利かせた声色で言い放った。
「やめろ」
「貴方が彼を傷つけるのをやめないなら、やめないわっ!!」
恐怖よりも怒りが勝り、手だけでなく両足をばたつかせて男の腹を蹴ってやった。
「その男を離せ」
溜息と共に男が命令すると、周囲の喧騒が止んだ。
どうやら男が攻撃中止を指示してくれたらしい。
「お嬢さまをどうするつもりだ?!」
アントン爺は鋭く怒鳴った。
「アントン爺を屋敷に無傷で帰しなさい!ならば、貴方たちの要件を聞きましょう」
上半身を布で覆われ周囲がどんな状態なのか皆目見当がつかないし、周りからは間抜けに見えそうなものだが致し方ない。
今の私にできる事は、こんな味噌っかすな娘を守ろうと一人奮闘してくれた爺を、とにかく無事に帰宅させることだけだ。
「シア様、儂の事など気にかけんでくだされ!」
「いいだろう」
アントン爺の声を無視した男の低い声が、担がれて身体が密着しているせいでお腹に響いてくる。
「そいつを縛り上げて馬車に詰め込んでおけ」
「ちょっと!彼に酷い事はしないでっ!!」
私は再び足をばたつかせ男の腹を蹴って抗議しようとしたが、私の膝裏をがっしり抑えた男の腕で動きを封じられてしまった。
「喚いていると舌を噛むぞ」
馬の背に布を巻かれたまま無理矢理乗せられると、私の背後に跨った男が腰に腕を強く巻き付けてから馬に拍車をかけた。
こうして、さっぱり理由も分からないまま、私は賊に連れ去られてしまったのだった。