不眠症の王子様
※ヒーローが思春期拗らせ気味の俺様タイプなので、苦手な方はご注意ください。
一体、どうしたらいいのだろうか……。
メイスン家三女の伯爵令嬢でもあるフィアレアは、リグルバード国王城の王族専用の客間で途方に暮れていた。
今年で14歳になったフィアレアは、6歳の頃からこの国の第二王子でもあるロインの婚約者だ。そのロインは、フィアレアよりも一つ年上である。
しかしフィアレアとロインは、彼此5年程顔を会わせていなかった……。
二人が最後に会ったのは、フィアレアが9歳でロインが10歳の頃だ。
そんな二人が初顔合わせをした際のロインは、所謂やんちゃなガキ大将のような俺様王子で、フィアレアに対して蛇やカエルを持って追い回したり、髪を軽く引っ張ったり、ドレスの裾を盛大にめくったりと、完全にいじめっ子という感じだった。
しかし、それらの行為で内気で気が弱かったフィアレアが、すぐに泣いてしまうので、毎回父である国王か、4つ年上の兄である第一王子のクラインに叱られ、最終的にはロインが口を尖らせながら、渋々お詫びのお菓子を渡し、フィアレアに謝罪するというのが、週に一度登城したフィアレアが帰宅するまでに行われる別れの儀式のような感じになっていた。
その為、当時のフィアレアは登城時にロインと面会するのが苦手だった……。
しかし、二人が出会ってから3年後。
10歳になったロインは、リグルバード王家の王族特有の才覚を現し始める。
リグルバードの王族は、10歳前後くらいから治政関係に役立つ能力に目覚める人間が多く、第一王子クラインは元から非の打ち所がない程の優秀な人物ではあったが、特に外交関係での他国との交渉術等で、その才覚を発揮し出した。
ロインの弟でもある第三王子のセインは貿易関係での利益考察や素早い先読み能力等の才能が開花する。
そしてその真ん中である第二王子ロインは、地域復興等の発案で、凡人ではけして思い付かない程の画期的な打開策を閃かせる才能が出始めた。
そんな才能を発揮し始めたロインは、寂れた領地や荒廃した地域等への復興支援に出向く事が多くなり、それ以降は国内各地を周り、廃れ気味な地域の復興活動で城に滞在する期間が、ほぼない状態となった。
その為、フィアレアも5年前からロインとは、一切会っていない……。
この状況にフィアレアは、しばらくロインに意地悪をされないで済むと、かなり安堵した。
しかし、そのロインが現在復興に力を注いでいる出先で体調不良を起こし倒れてしまい、現在はその療養の為に5年ぶりに城に戻って来たのだ。
何でもあまりにも働き詰めで、睡眠を一切取らずに仕事にかまけ過ぎてしまったらしい……。
リグルバードの王族は、覚醒するそれらの才能の力の利便性に自身を顧みず、その能力を発揮する事に夢中になってしまい、体調を崩す者が歴代でも多い。
ロインもその自身が目覚めた才能で、荒廃した地域が見事に復興していく様の達成感に憑りつかれ、つい熱を注ぎ過ぎて体調を崩したようだ。
そんな一時的な療養で城に戻って来たロインだが……。
その後もあまり体調は改善されていないらしい。
何でも働き詰めだった時の興奮状態が未だに抜け切れず、眠りに付こうとすると、新たな領地の復興アイデアがどんどん浮かび上がって来てしまい、眠れなくなるという状態になるらしい。
5年ぶりに城に戻ってきてから早二週間経つが、未だにロインは出先で倒れた時と同じように不眠によっての体調不良を抱え続けている……。
そしてそのロインが目覚めた才能に夢中になり過ぎて不眠症になるのは、今回が初めてではない。
その才能が現れ出したばかりの頃、9歳だったフィアレアはその不眠症な状態のロインと一か月間だけ、面会しているのだ。
その際、ロインにはいつもの俺様オーラは一切無く……。
青白い顔をしながら、目の下に酷いクマを貼り付けて、フラフラな状態でフィアレアの前に姿を現した。
当時、同じ子供という立場の10歳の少年が過労を蓄積している様子は、フィアレアから見ると違和感しかなかった。
同時にそこまで疲れているのならば、わざわざ自分との面会時間を作らなくてもいいのに……とも思っていた。
その事を控えめに進言すると「婚約者への対応も出来ない無能な王族と周りに思われたくない!」と言い張り、その当時のロインはフラフラな寝不足状態であっても意地でも婚約者のフィアレアとの面会に何故か時間を割いていた。
そんな状態が続く中、ついにロインが復興支援先の現地に赴き、現場で指示を出す動きをする事になる。
それを聞いたフィアレアは、毎回面会する際に不眠で辛そうなロインに同情するようになっていた。
ただでさえ眠れないのに今度は、家族と離れて色々な地を周る事になれば、ますますロインの不眠症が酷くなるだろうと。
いくら自分に意地悪ばかりしてきたロインでも現状の眠れずに辛そうにしている状態を目の当たりにすると、何か力になってあげたいと思ったフィアレア。
そこでロインが本格的に復興支援に携る前の最後の面会時にフィアレアは、自分が不安で眠れない時に傍らに置いて抱きしめていた祖父から貰ったクマのぬいぐるみをロインに差し出した。
「あ、あの……このクマはブラウンと言って、祖父から頂いた物なのですが……この子は凄くフワフワしていて、わたくしは眠れない時にこの子と一緒に眠ると、すぐに寝付く事が出来るのです。なので、もしよろしければロイン様にもお試し頂ければと思いまして……」
ビクビクしながら俯き気味で、そっとぬいぐるみのブラウンをロインの前に差し出すと、目の下を黒くさせ瞼の重そうなロインが、あからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「お前は男の俺にぬいぐるみと一緒に添い寝しろと言っているのか……? いくら眠れないからと言って、そんな恥ずかしい事が出来るわけないだろう!?」
苛立ちながら、そう返答して来たロインにフィアレアは余計な事をしてしまったと後悔して、ギュッと瞳を閉じ、そっとクマのブラウンを自分の胸元に引き寄せ、抱きしめようとした。
しかしそれよりも早く、ブラウンの右手がグイっとロインに引っ張られ、ブラウンはフィアレアの両手からするりと引き抜かれた。
「使うかどうかは別として、一応は受け取ってやる……」
そう言ってロインは、やや乱暴にクマのブラウンをフィアレアから、ひったくっていった。
その様子にブラウンは、添い寝ではなくストレス解消などの別な用途で使われてしまうのでは……とフィアレアは想像してしまい、ロインにぬいぐるみを差し出した事を後悔し始めた。
そんなやや涙目になっているフィアレアに対して、ロインは……。
「一度差し出した物を返せなんて言うなよ? このクマはお前の意志で俺に差し出して来た物なのだから、お前がそう決めた以上、これはもうお前の物ではなくなったのだからな」
そう言って、さっさと側近に手渡し、自分の部屋へ運ぶように指示を出した。
その様子を涙目になりながら見つめ、フィアレアは心の中でクマのブラウンにこの後の悲惨な未来への謝罪と、別れの言葉を呟いた。
そうしてこの5年間、ロインは活性化の伸び代がある自国の領地に赴き、数々の画期的な提案をしては、その地域を盛り上げる事に貢献した。
しかしこの間、旅立つ前に酷かったロインの不眠症の話は一切耳には入っては来なかった。
その事を不思議に思ったフィアレアは、自分の父親にロインの不眠症のその後の事を聞いてみたのだが、父はキョトンとした表情を返してきた。
「不眠症? ロイン殿下はそのような不調があったのかい?」
父親には、初耳だと言わんばかりに逆に質問で返されてしまった……。
何にせよ、ロインの不眠症は改善されたらしい。
もしかしたら環境が変わり、上手く眠気が訪れるようになったのかもしれない。
そう思ったフィアレアは、次第にロインの不眠症ついて、あまり気にしなくなっていった。
しかし5年経った今、ロインは再び不眠による体調不良に見舞われている。
そして最終的には滞在先で倒れてしまい、現在療養の為にこの城に戻って来たと聞いたのだが……。
今目の前にいるロインは、不眠症の『ふ』の字もない状態をフィアレアの前で披露しているのだ。
そしてフィアレアの方は、そのロインのせいで微動だに出来ない状況を強いられ、その状態から20分以上は経ってしまっている。
現在ロインは、腹ばい気味の体勢でフィアレアの腹部辺りに顔を埋めながら、腰に腕を巻き付けて死んだように眠っているのだ……。
何故こんな状況になってしまったのか……。
それはフィアレアにもさっぱり分からない。
5年ぶりに再会した婚約者は、スラリと長身になっており、いたずら小僧のような目を引く大きな瞳は、少年と青年の間の面長な輪郭にバランスよく配置され、やや大人っぽくなっていた。元々整った顔立ちでもあったロインなので、成長後は端整な顔立ちになる事は想像出来たが……。
しかし現在は不眠の為、青白い顔色と酷いクマを目の下に貼り付け、ヨロヨロとフィアレアが待たされていた王城の王族専用の客間に入って来たのだ。
「ロ、ロイン様、お久しゅうございます。あの……お体の方は……」
フィアレアがやや怯えながら丁寧に礼を取ると、ロインは「ああ……」と短い返事をした。だが、何故かフラフラしながらフィアレアの近くまでやって来て、その隣にドサリと座る。
過去の面会でも隣に座られた事のないフィアレアは、一瞬ギョッとした。
だがロインの方は、そんな事にも気付かない様子で、虚ろな瞳でジッとフィアレアの顔を凝視してきた。
ロインは寝不足で酷い顔色なのだが、それでも整った顔立ちではあるので近距離で顔を凝視されてしまうと、フィアレアは緊張からかロインを直視できない。
透き通るようなフワフワな癖毛の金の髪が、真っ青で鮮やかなロインの瞳に掛かっている。その状態が、一層ロインの虚ろな瞳を強調していた。
「あ、あの……ロイン様? 一体どうされ……」
ただ自分の顔を虚ろな瞳で凝視するだけのロインの様子にフィアレアが焦り出し、恐る恐る声を掛けると、ロインがいきなり大きく息を吸い、そして深呼吸するかのように思いっきり吐いた。
そのロインの動きにフィアレアが、一瞬ビクリとする。
しかし次の瞬間、ロインがガバっとフィアレアの腰の辺りに抱き付いてきたのだ。
「ロロロロロ……ロイン様っ!? あ、あのっ!!」
驚きと恐怖と羞恥心が混ざり合った感情でフィアレアは、顔色を赤と青で繰り返し、かなりの狼狽えを見せた。
しかし、ロインの方はそんなフィアレアの様子を気にする事もない。
と言うよりも、意識が全くない状態でフィアレアの膝の上でピクリとも反応も見せずに動かなくなってしまったのだ。
そのロインの様子に今度はフィアレアの顔色が真っ青になる。
「だっ、誰かっ!! ロ、ロイン様がっ……!!」
もしや急に体調異変を起こし、意識がなくなるような倒れ方をしたのではと、焦ったフィアレアは早急に人を呼ぼうとした。
しかし……膝上のロインからは、規則正しい息遣いが聞こえてきたのだ。
「ね、眠っていらっしゃる……?」
通常の寝息よりも息を吐く様な大きな音のそれは、明らかに深い眠りについている様子を物語っていた。
よく父親が仕事で酷く疲れて帰宅した際、ソファーなどで仮眠をしている時に聞こえてきた深い深い眠りの際に起こる……そんな寝息だ。
静かに規則正しく「コー、コー」と寝息を立てている。
しかしその突飛な展開にフィアレアは、どうしていいか分からなくなる。
とりあえず今は、このままロインに眠りを提供した方がいい。
それだけは間違いないと考えたフィアレアは、腰に抱き付いたまま自分の膝の上で眠るロインが起きないように細心の注意を払って、動きを止める事にした。
そしてそんな状態で今は30分以上経っている……。
正直、膝が痺れて来たし、腰に抱き付いているロインの体温で膝とお腹辺りに熱がこもって来て、やや汗ばんできた。
そして何よりも不味い状況なのが、もうそろそろ侍女達が出されたお茶を取り替える為、この部屋に入ってくるタイミングなのだ……。
もしこの状況を見られてしまえば、フィアレアだけでなく第二王子としてのロインの醜聞が広がってしまうかもしれない。
ならば早々にロインを起こせばいいだけの事なのだが……。
自分の腰に巻き付いて眠っているロインは、あまりにも穏やかな表情を浮かべているのだ。
恐らくやっとありつけた眠りなのだろう。
この状態でロインを起こす事は、かなり憚れる……。
しかし、この状態を誰かに見られてしまっては、いくら婚約者同士と言えども「はしたない!」と白い目で見られる事は確実だ。
その考えからフィアレアは、オロオロし出してしまう。
するとそれがロインにも伝わったのか、ロインが長い金の睫毛をゆっくりと上げて目を覚ましてしまった。
「あ、あの……ロイン様……」
「フィア……? 何で……」
寝ぼけているのか、まだ虚ろな瞳で膝上からフィアレアを見上げてきたロインは、何故か今まで一度も呼んだ事がないフィアレアの愛称を口にした。
その反応にフィアレアが大きく目を見開く。
同時にロインの瞳にもゆっくり光が戻って来たのだが……次の瞬間、ガバっと上半身を起こし、口を一文字にしながら真っ青な顔色でフィアレアを凝視する。
「あ、あの……」
「何も言うな!!」
フィアレアの言葉を遮るように叫んだロインは、そのまま左手で両目を覆い、肩をがっくり落して項垂れてしまった。
「すまない……。その、酷い寝不足で……。お前と面会した直後から、あまり記憶がない……」
絞り出す様にそう謝罪を告げてきたロインだが、己の行動が信じられないらしく、酷く後悔している様子だ。
なんせ5年ぶりに再会した揶揄うだけの対象だった婚約者に対し、酷い寝不足で虚ろ状態だったとはいえ、その膝の上で爆睡してしまっていたのだから……。
そんな後悔の深い底に沈んでしまっているロインの様子から、逆にフィアレアの方が申し訳ない気持ちになる。
ロインにしてみれば、頼りたくない相手に頼ってしまった様な状態だ。
恐らくこの状態はロインにとって、一生の不覚に該当するのだろう。
「あ、あの……。この件に関しては、一切口外しないとお約束致します」
「ああ……」
「で、ですので、そのように落胆なさらずとも……」
「ああ……」
「ええと……。そ、そういえば今回登城する際に不眠改善に良いと聞いた安眠を促すお品をいくつかお持ち致しまして……」
ショックからか、上の空な返事ばかりをするロインの激しい落胆ぶりにフィアレアの方も焦り出し、無理矢理話題を変えようと思って、予め用意していたロインへの贈り物を手渡そうとした。
しかし、そんなフィアレアにロインがポツリと一言こぼす。
「必要ない……」
「えっ……?」
「そんな物では俺の不眠は改善されない……」
「ですが……一度試されてみても」
「試さなくても分かる」
「で、ですが……」
「もう不眠改善の有効手段は分った……。だからそれらは必要ない」
有効手段が分ったと言うわりには、何故か絶望的な様子のロインにフィアレアが不思議そうな表情を向けてしまう。
しかしロインの方は、先程から左手で両目を覆い、前屈みになって項垂れたままの姿勢を貫いている。
「あの、ロインさ……」
あまりにも塞ぎ込んでいる状態のロインを心配してフィアレアは、再び声を掛けようとした。
しかし、前屈みで項垂れているロインをよく見ると、耳が真っ赤になっている。
その様子にますますフィアレアが困惑する。
余程、自分の膝の上で熟睡してしまった事への羞恥心が大きいのだろうかと。
ここまで気にしてしまうのであれば、早々に起こすべきだったと、フィアレアは後悔し出した。
すると、やっとその羞恥心から立ち直ったのか、ロインが両目を覆っていた左手で自身の顔を撫でおろしながら、前屈みになっていた上体を起こす。
「悪いが、面会はまた日を改めて貰ってもいいか……?」
「は、はい。構いません」
絶望的な表情を浮かべたまま、ロインが重苦しい口調でそう告げてきたので、慌ててフィアレアはその申し出を受ける。
するとロインがスッと立ち上がり、フィアレアに手を差し出した。
「馬車まで送る」
フィアレアがおっかなびっくりしながら、その差し出された手を取ろうかと戸惑っていると、逆にグイっと手を掴まれて、立ち上がる様に促された。
そのまま手を掴まれ、部屋の出口の方まで誘導させられる。
そしてロインが扉に手を掛け、部屋の外に出た瞬間。
「ロイン? もうフィアとの面会はいいのかい?」
聞き取りやすい穏やかな口調の声が、二人に掛かる。
ロインと同じ透き通るような金の髪をサラリと揺らし、首を傾げながら声を掛けてきたのは、この国の第一王子でもあるロインの兄クラインだった。
ロインと違い、淡い水色の瞳を持つこの第一王子は、穏やかで柔らかい雰囲気をいつもまとっている。フィアレアにとっては、弟の婚約者という事もあって、小さい頃から妹のように自分を可愛がってくれる兄のような存在だ。
「ええ。その……私の不眠による体調不良の為、面会は後日改めてお願いさせて頂きました……」
昔からフィアレアに対しては、かなり粗暴な口調で会話をするが、それ以外の人物にはしっかりと王族としての振る舞いをするロイン。
しかし、兄クラインへの返答をする際は、何故かやや悔しそうな表情を浮かべ、軽く俯く。
そんな弟の様子に兄は、スッと目を細めた。
その兄の反応にますますロインが気まずそうな表情を浮かべる。
「不眠で体調不良ねぇ……。そうそう、ロイン。その不眠なのだけれど、もう心配しなくてもいいと思うよ?」
「それは……どういう事でしょうか?」
「だって、ほら!」
怪訝そうな表情を浮かべて質問してきた弟に向って、兄は大変いい笑顔を浮かべながら、後ろ手に持っていたある物を両手で掴んで差し出して来た。
それは、少し毛羽立ったクマのぬいぐるみだった。
その瞬間、ロインは時が止まったようにビシリと固まり、絶句する……。
そしてロインの後ろにいたフィアレアは、そのぬいぐるみを見て大きく目を見開いた。
「ブラ……ウン?」
「そう! ブラウン! 5年前にロインの不眠を心配してフィアが贈ってくれた安眠を誘うクマのブラウン!」
「あ、兄上!!」
「どうしてクライン様がブラウンを……」
「何故、お前は今それを聞く!? お前には関係ないだろう!!」
珍しくアワアワし出した弟の様子に兄クラインは、ニコニコしながら上機嫌で語りだす。
「実は今回ロインが不眠症を再発したのは、このクマのブラウンが原因でね」
「兄上っ!!」
「この5年間、ロインの不眠はこのブラウンが一緒に寝てくれる事で解消されていたんだよ」
「兄上!! やめてくださいっ!!」
そう言って自分からブラウンを取り返そうとする弟をクラインは華麗に躱す。
いくら身長が伸びたとはいえ、15歳のロインよりも4つ年上の兄の方が長身だ。
「ところが、滞在先の伯爵家で飼っていた猫がロインの部屋に侵入して、このブラウンをどこかに持ち出してしまってね……。それを何も知らないその屋敷のメイドが、ゴミだと判断して捨ててしまったんだ」
「兄上!! もうふざけるのも大概にしてくださいっ!!」
器用にロインからブラウン奪取を阻止しながら、クラインがおっとりした口調で語りだす。
その間、ロインはかなり焦りながら必死でブラウン奪取を試みていた。
「それからだよ。ロインがまた不眠症を再発してしまって。最終的には城に戻って療養するまで悪化してしまったから、滞在していた伯爵家でも必死にこのブラウンを探してくれてね。それが見つかって、先程城に届けられたから、すぐにロインに返してあげようかと思ったのだけれど……」
兄弟同士でブラウン奪取のもの凄い攻防を繰り広げながら、優雅な口調でそう語る第一王子の話をフィアレアは、ポカンとした表情で聞いていた。
「まさかフィアが一緒だったなんて思わなくて……。ごめんね、ロイン。確かこの事は恥ずかしいからフィアには内緒だったんだよね? だけど、ほら! 5年間も愛用していた安眠アイテムが無事に戻って来て良かったじゃないか」
「兄上ぇぇぇぇー!!」
確実に面白がって不眠再発の経緯を暴露した兄から、ロインがやっとブラウンをひったくる。
その様子をフィアレアは、まだポカンとした表情で見つめていた。
すると、非常に不機嫌な表情をしたロインが乱暴にフィアレアの前にそのクマのブラウンを押し付けてきた。
「返す! もう俺には必要ない!!」
「で、ですが……」
「あれ? いいのかい? その子がいなくなったら、また不眠に悩まされると思うけれど?」
「兄上は、もう黙っていてください!!」
ニコニコしながら会話に入って来た兄をロインが一喝する。
「あ、あの……ロイン様、そちらは差し上げた物なので、もしお役に立てていたのなら、そのように無理にお返しして頂かなくとも……」
「もう必要ないと言っただろ!?」
そう言ってロインは無理矢理フィアレアにクマのブラウンを受け取らせた。
その様子見ていた兄クラインが口元を抑えて、小刻みに震えだす。
「お前の見送りはここまでだ!! 後日また面会日をこちらから指定する!! 兄上もさっさと公務に戻ってください!!」
吐き捨てるように肩を怒らせ、ロインはさっさとその場を去っていった。
だが去り際にチラリと見えたロインの耳は、もの凄く真っ赤になっていた。
「我が弟ながら器用だね……。顔は平常心で耳だけ真っ赤にするなんて」
そう言いながら意地の悪い笑みを浮かべている第一王子を茫然としながらフィアレアは見やる。
すると、クラインがフィアレアににっこりと微笑みかけてきた。
「フィアは、これからが大変だね」
「え?」
何の事を言われているのか分からないフィアレアは、またしてもポカンとした表情を浮かべた。
「だってこれからは、君がブラウンの代わりにロインに安眠を与えるのだろう?」
「代わりって……。わ、わたくしには、そのような特技はないのですが……」
どうやらかなり無理難題を強いられそうな状況にフィアレアが慌てだした。
するとその様子を確認したクラインは、更に笑みを深める。
「大丈夫。そんなに難しい事ではないはずだから。ただちょーっと、ロインと一緒に過ごす時間が増えるだけだと思うよ?」
「一緒に過ごす時間が増える?」
「多分、その事でロインから色々打診があると思うから、出来れば前向きに検討してあげてね?」
「はぁ……。か、かしこまりました……」
二日後、改めて面会日を設けたロインにフィアレアは、何故か父同伴で城に呼び出された。
その為、婚約を解消されるのではと親子共々冷や冷やしていたのだが……実際は、フィアレアに王族向けの淑女教育を受けさせたいという内容だった。
後に臣籍に下り公爵位を賜るロインだが、一応王族ではある為、フィアレアにもしっかりとした王族向けの教育を受けて欲しいらしい。
その関係でフィアレアは淑女教育を受けやすい環境作りの為、リグルバード城に登城後、そのまま滞在する事となった。
しかしこのロインの提案にフィアレアの父であるメイスン伯爵は、少々疑問を抱いていた。
フィアレアは年に4回受けさせられる王家管轄で行う淑女試験を毎回高得点でこなしていた。そんな娘が何故、改めて王族向けの淑女教育を受けさせられるのか、その部分がやけに引っ掛かった。
しかしその疑問は、フィアレアが登城してすぐに判明する。
登城後のフィアレアは、淑女教育よりも午後のロインとのお茶の時間を過ごす事に重視される扱いだったのだ。
その間、決まってロインはフィアレアの膝を大いに利用した。
ようするにロインは、第一王子クラインの言っていた『安眠をもたらすクマのブラウンの代わり』をフィアレアに担わせる事が本当の目的だったのだ……。
正直、何故自分がクマのブラウンの代わりが出来ているのか、フィアレアには全く理解出来ない。
そもそもお茶の時間という二時間弱の短い時間で睡眠を取るよりも、夜ブラウンを傍に置いてグッスリ眠る方が、質の良い睡眠をたくさん取れるのでは……と考えてしまう。
しかしその事をロインに進言すると、もうブラウンでは安眠効果は得られないと言い切られてしまう。
「で、ですが……つい最近までブラウンはお役に立っていたのですよね?」
フィアレアの膝の上を我が物顔で占領している婚約者に控え目にそう問うと、片目だけ開けたロインが面倒そうな表情を浮かべた。
「ああ。だが今はもう効果など得られない」
「そ、そんな事はないのでは? もしよろしければ本日、ブラウンを持参して参りましたので、もう一度お確かめになった方が……」
すると、ロインの表情が面倒そうな顔から、一気に不機嫌な顔へと変化した。
「お前は今の状況がそんなに嫌なのか?」
「い、いえ! そういう訳ではないのですが……。ですが、いくら熟睡出来るとは言え、たった二時間弱しか得られない今の状況よりも夜のご就寝時にブラウンを傍らに置いた方が、良質の眠りがたくさん得られるのではと思いまして……」
「だから! もうブラウンでは熟睡効果は得られないと言っているだろう!?」
「それならば、どのようにしたらロイン様は夜グッスリお眠りになられるのでしょうか……」
困った表情を浮かべながらフィアレアが小さく呟くと、ロインは更にフィアレアの腰に抱き付き、そのままフィアレアの方へと深く顔を埋めてしまった。
そのロインの態度から「もう話しかけるな! 眠らせろ!」と言われているような気がして、フィアレアは今日はもう口を噤んだ方がいいと判断した。
すると……。
「そんなに俺に夜中熟睡して欲しいのであれば、お前がさっさと妻になり、添い寝すればいいだけの事だ……」
聞こえるか聞こえないかの呟くようなそのロインの言葉を聞いたフィアレアが、大きく目を見開く。
「あ、あの……ロイン様……」
「………………」
聞き間違いかと思って、もう一度確認しようとしたが、ロインはそのままピクリとも反応しなくなる。
しかし……よく見ると、耳が真っ赤になっていた。
そんなロインの様子を見たフィアレアは、何故か笑みが零れる。
どうやら自分はクマのブラウン以上にロインに安眠を提供出来る存在らしい。
その理由はよく分からないが、それでもロインの不眠解消に自分が役立っているという事が嬉しかったので、フィアレアはその理由を追求する事をやめた。
それから4年後、夫婦となった二人の住む公爵邸では、毎朝愛妻に抱き付くようにして眠りこけるロインの姿が、朝起こしに来るメイド達に多々目撃されるようになる。
不眠で苦しんでいた元第二王子は、なかなか妻を解放しない非常に寝起きの悪い夫となってしまったそうだ……。
作品をお手に取ってくださり、本当にありがとうございました!
そして誤字報告してくださった方、ありがとうございます!