君の醜いあれに騎乗する
赤い青春、赤春とでも言いましょうか。ふと、そういったものを書きたいと思い、最初にこれを投稿しました。
一月の下旬、まだ寒さ厳しいこの季節、俺は急いで家を出る。
白い吐息を吐きながら駆ける。時折乱れたマフラーを手早く正して、自分の通う学校を目指す。
早朝のこの時間、部活で来ているやつ以外はきっとまだ布団でぬくぬくと暖を取っていることだろう。帰宅部の俺も出来ればそうしたいことこの上ないが、そうはいかない。
何故って? それはね俺の愛しの彼女、水野志保ちゃん。いや、志保ちゃんが俺を待っているから。
淑やかで大和撫子な彼女は、演劇部の練習を朝早く教室に来て行っている。そしてそれを一番いい席で観賞したのち、志保ちゃんとのイチャイチャラブラブお喋りタイムが待っている。
そんな彼女とのイチャイチャラブラブお喋りタイムで何を話そうか考えているうちに、学校の通用門を抜けて階段を駆け、廊下でフードを被った体格の良い運動部の人とすれ違いながら教室の前に到着した。
身嗜みを整え、息を整え、寒さで悴んだ手を自分の息で暖め、いざこの扉の奥で待つ愛しの志保ちゃんとのご対面……と、扉に手を掛けた時、そこでふと微かな違和感を感じた。
演劇部の練習で朝早くに来て声出しをしているはずだよな……なのに声どころか物音一つして来ない。
おかしくないか? おかしいよな? それとも今日はまだ登校してないとか?
でも、今まで志保ちゃんが練習に遅れて来るなんて一度もなかったし……。
いや、考えすぎか。志保ちゃんも人の子、遅刻の一つや二つたまにはあるだろ。
ここは彼氏として、寛容な心で志保ちゃんの到着を待っていればいいのだ。そして志保ちゃんを待ったご褒美に、えへへへへへへへっ……おっといけない。朝から教室の前で破廉恥な妄想をしてしまった。
気を取りなし、教室の扉をゆっくりと開く。
「えっ?」
そこは、いつもの見慣れた教室の景色とは程遠く、不気味に教室中央に並べられた机の上には、俺の彼女が横たわっていた。
「志保、ちゃん?」
これは一体何のドッキリなんだ? ただそこで寝ているだけだよな?
教室に足を踏み入れる。暖房が入っているのか、暖かい空気が顔を撫でる。
どこか重たい空気の中、ゆっくりと志保ちゃんに近寄る。しかし、俺が近寄っても反応する気配は無く、志保ちゃんの側に着いた時には、俺の表情は酷く歪んだものになっていた。
……無惨な姿でそこに志保ちゃんが横たわっていた。
首には絞められた痛々しい痕と掻き毟ったような痕があり、そこには学校指定の女性徒のリボンが巻かれていた。砂埃で少し汚れている彼女を俺は見ていられなくなる。
その場に座り込み、俺は現実を受け止める事が出来ず、慌てふためくことしか出来なかった。
徐々に呼吸も乱れ、自分の置かれた立場を理解していく…………志保ちゃんはもういない。
「おはよう……って何してるの三汰?」
芯の通ったはっきりとした声で名を呼ばれる。けれど、今の俺はそれにすぐ返答することは出来なかった。
ゆっくりと振り向き、声の主に懸命に言葉を返す。
「……ハァ、ハァ、ハァ、桜井」
桜井は異変に気付いたのか。無言のまま俺の側に近付くと、綺麗な膝を汚さないよう中腰になって俺の手を握り、背中を擦って気を落ち着かせようとしてくれてるみたいだ。
桜井の優しさに甘え、少しの間この状態で居た。気持ちも少し落ち着きを取り戻し、桜井に原因となった机の上の志保ちゃんを指差した。
「もう大丈夫なの?」
「大分マシにはなったよ。ありがとう桜井。それよりも……」
そうだ。今は俺のことよりも、早く志保ちゃんを人目の付かないところに……でないと志保ちゃんが可哀想だ。
俺の言葉を受けて、桜井は机の上の志保ちゃんに視線を向ける。少しの間見つめた後、ゆっくりと俺から身体を離して、変わり果てた親友の側に佇む。
桜井綾女、彼女はしっかり者で面倒見がよく友人思い、いつも俺が他の女の子にデレデレしていたら叱って注意してくれる。少しきつい所もあったりするけど、それは桜井がその人のことを想ってのことだと理解している。志保ちゃんの方を向いているから顔は見えないけど、どこかその姿に哀愁を感じてならない。
桜井は静かにスマホを取り出し、セミロングの茶色い髪を耳に掛けて百当番通報する。
◇
志保ちゃんが亡くなって二日が経った。その間、警察の人の捜査が入り一時教室が封鎖され、授業が行われることはなかった。そして第一発見者である俺は事情聴取を受け、仲のいい友人達からの質問攻めに遭うなど目まぐるしい二日間を過ごした。
翌日、俺は判然としない心境のまま通常通りの授業を受ける。
後ろの席から斜め前の志保ちゃんの席を見ても、そこはやはり空席だった。
放課後、桜井から話があると言われ、自席でその時が来るのを待っていた。私用で今は教室を後にしているみたいだけど、まだかな。
この教室から少しでも早く出て行きたい気持ちが、貧乏揺すりとなって表に出る。
徐々にイライラが募る中、周りを見渡すとクラスの人はほとんど出払っていた。ただ一人、教壇近くの前の席に幼馴染みの大目井子だけが静かに読書をしていた。
井子とは家が隣同士で仲もまぁいいのかな……眼鏡を正して小説を読み耽る黒髪の幼馴染みだが、あいつ家に帰らないのか?
モヤモヤとした心境で幼馴染みの後ろ姿を見ていると、前の扉が突然開かれた。
「待たせて悪いね」
悠々とした態度で入室するそいつのデカイ胸がゆさゆさと揺れる………桜井おせーよ。
「ごめん誠二、遅くなって」
申し訳ないと言った表情で爽やかに俺の名を口にするその男、黒髪マッシュのモテ男、井川健志郎あだ名は健くん。悠然と現れた桜井とは対照的に、健くんは両手を合わせ悪びれた様子で俺の隣の席に着く。恐らく、また女の子に呼ばれて相談なり告白でもされていたのだろう。
「健くんも呼ばれていたの?」
「いきなりね。誠二は大丈夫か?」
「平気と言えば嘘になるかな……」
「そうか。あまり考えるなよ」
「ありがとう」
健くんの心遣いに浸っていると、教壇の方から数回手を叩く音が教室内に響き渡る。その音に引き寄せられ、前に視線を向けると、桜井が黒板に何かを書き記していた。
『水野志保殺害事件』
桜井は手に持っていたチョークを元に戻して話し始める。
「皆に集まってもらったのは、ここに書いてある通り水野志保殺害事件について話があります」
桜井の言葉に俺と健くんは呆然としていた。いや待て。今更何を話しあうって言うんだ。後の事は専門家である警察に任せて俺達子供はただ報せを待っていればいいだろ。
無力で無才で無知な俺にはもう何も無いのだからそっとしてくれないか。他人に誇れるものは彼女の存在だけだったのだから。
自分の存在価値を軽視していると、隣に居た健くんは静かに挙手をしていた。
「桜井さん、少しいいかな」
「何かな、井川君」
桜井は何か見定めるような鋭い視線で健くんを見据え、健くんもまた真剣な顔つきで桜井を見据えていた。
桜井が発言を許可したことを確認したのち、健くんはゆっくりと立ち上がる。
「君が一体何を考えているか知らないけど、誠二はまだ心の傷が癒えていないんだ。どうしてもその話がしたいなら、次の機会に話すか、誠二だけ席を外すかしてくれないかな」
「健くん……」
いつも人当たりが良くて穏やかで明るい人柄の健くんが、真剣に怒りとも見て取れる表情で……健くん、そこまで俺の事を考えてくれていたのか。健くんの言葉に感涙を禁じ得ない。
健くんとは対照的に、桜井はどこか冷めた表情で嘆息する。まるで俺と健くんの友情を一蹴するかのように。
「そんな悠長なことを言っている場合じゃないのよ。私は、警察が犯人を捕まえる前に犯人を突き止めたいの。三汰、アンタはどうなの。志保の仇を取りたくないの?」
「お、俺は…………」
さっきまでの冷めた表情とは打って変わって、桜井の表情はとても気迫あるものになっており、俺はそれについ気圧されて視線を逸らしてしまった。
情けない。クラスの同級生の女の子に臆するなんて、男として、志保ちゃんの彼氏として俺は……失格だ。
こんな時、力あるものはなんて答えるのだろう。志保ちゃんが居てくれたら……いや、もう彼女はいないのだ。
ネガティブになっている俺に、横から肩に優しく手を乗せられる。
振り向くと、健くんが俺の肩に手を乗せ、そのまま桜井を見据えていた。
俺は一人じゃないと暗に伝えてくれているように感じて少し安心してしまう。こういうとき、友人と言うのは本当にありがたいな。
その行為に応えるため、俺は健くんの手を優しく解き、立ち上がって桜井に視線合わせる。
「お、俺は……志保ちゃんの彼氏なんだ。俺がやらないで、誰が志保ちゃんの仇を取るんだ!」
「よく言ったぞ、誠二」
身体を震わせ噛みそうになりながらも、俺はなんとか自分の言葉を言い切った。そしてこんな不格好な俺に、健くんは賛辞を贈ってくれた。
桜井は……少しはにかんでいるのかな、上手く表情が読み取れない。
「所で、なんでこのメンバーが集められたのかな?」
健くんは当然の疑問を桜井にぶつける。
「それは、事件現場に奇妙なダイイングメッセージが残っていたからよ」
「奇妙なダイイングメッセージ?」
「ええ。三汰はその時酷く狼狽していて気付いていない様子だったけど、志保の近くにスマホが落ちていたの。所有者は志保本人、そして……そのスマホには検索表示で『井』の文字が表示されていたわ」
話しの途中にチョークを手に持って再度黒板と向かい合う桜井。そこに漢字の『井』を話しながら書き記す。
確かに俺はあの時正気を失っていた。そんな物が合ったなんて全く気が付かなかった……。
『井』、なるほど確かに俺を除くここに居る全員の名前にその文字が入っている。
桜井綾女、井川健志郎、大目井子……でも、一体それに何の意味が?
「桜井さんは、この中に水野志保を殺害した犯人がいると言いたいようですね」
「えっ?」
頭を悩ませていると、突然前の方から声がした。それは、さっきまで小説を読んでいた井子が唐突に口を開いて話しの中に入ったんだけど、この中に犯人がいる……その言葉に俺はつい素っ頓狂な声を出してしまった。
確かにダイイングメッセージは、被害者が加害者を特定させる為に残すメッセージだけど、そんなこと信じられるわけがない。志保ちゃんと同じ部活で親友の桜井。俺の友人で志保ちゃん達とも仲がいい健くん。家が隣同士で幼馴染みの井子。この中に犯人がいるなんて思いたくない。
「この学校には他に『井』の文字が入る人は居ると思いますが、ちゃんと調べた上での発言でしょうか」
井子の声にどこか怒りを感じる。前の方に居るから顔色は分からないけど。
「その必要は無いわ。何故なら、『井』の文字が入る人だけでなく、志保が学校に朝早く登校して声出しをする習慣を知っている人、という条件も追加すると一気に容疑者は絞られるわ。まぁ、念のため他の『井』が入っている人と、演劇部の人にも声を掛けたけど、やっぱり無関係だったわ」
「私、水野志保がそんなことをしているなんて知りませんけど」
俺は井子の言葉に疑問を感じ咄嗟に立ち上がる。
「いや、ちょっと待て井子! 俺はお前に話したことがあるぞ。付き合って間もない頃『志保ちゃんが朝早く登校して声出しをしているから、俺も最近朝早くに登校するんだよ』って」
俺の言葉を受けて、井子はこちらに顔を向けるも、どこか罰が悪いといった様子だった。
「そんな話ししたかな?」
「何しらばくれてんだよ! 井子、お前まさか……」
「違う! 水野志保の事は嫌いだったけどそんなことはしてない!」
井子は少し声を荒げ、勢いよく立ち上がる。座っていた椅子は後ろの席にぶつかりその大きい音が、井子がどれ程勢いよく立ち上がったのか伝わってくる。
「え!? き、嫌い?」
「――!」
きっと本心なのだろう。井子は焦りから口を滑らせ、言うはずのないことをつい口に出してしまった様子だ。口元を押さえて『しまった!』そんな表情で硬直していた。
小さい時から一緒で仲もそれなりに良かったけど、井子が今までそんなことを思っていたなんて知らなかった……。
そんな知らなくて良かったことを聞いて少し気まずくなってしまう。眼鏡を傾け光が反射してその顔を隠す井子、きっと相手も同じ気持ちなのかと想像するしかなかった。
井子は再び前に居る桜井に向き直る。さっきとは違い、井子も席から立ち上がっているため、見えない威圧感が二人を包んでいるように思う。
いつの間にかこの教室内に居る俺を含めた四人は立ち上がっていた。
「桜井さんの言い分は理解しました。ですが、こうも考えられませんか。校外、外部犯の犯行と」
井子は仕切り直して桜井に詰め寄る。けれど、桜井はその問いにフッと少し微笑んで返す。
「大目さん、悪いけどその線は皆無よ。そんな人が居れば、すぐに来た三汰か他の生徒が目撃しているだろうから」
確かに、あの時そんな怪しい人物は見かけなかった。廊下には運動部らしき人が居たけどそれだけだし、俺が志保ちゃんを見つけてほんの数分で桜井は現れた。健くんは陸上部の朝練で、それが終わってから遅くに教室に来る。井子は他の生徒に紛れて適当な時間に登校している。
現在夕暮れ時――当時の状況を反芻していると、隣の影が動きそれを確認する。健くんは考える人の様なポーズを取って、「なるほど……大目さんは動機ありで外部犯は考えられないか」とボソッと口にしていた。動機……そういえば。
「なぁ桜井、お前俺の事好きだったよな?」
俺の唐突とも言える発言に一同の視線を一気に集める。
三者三様――眼鏡の少女はただ驚愕し、キノコヘアーの少年は頬を引きつらせて笑顔で誤魔化し、推定Gカップの少女は照れくさそうにして視線をすぐに外す。あれ、桜井のやつ、意外に可愛い反応だな。
いや、動機になり得るかと思って言ったんだけど、誰も何も返してくれないから困るんだけど。これじゃあ俺が女子から好意を持たれたことを自慢するただの変な奴じゃないか!
「誠二、俺はちゃんと分かってるよ。それが桜井の動機になるかもと思って言ったんだろ?」
「健くん……そうなんだよ。ありがとう!」
いつか忘れたけど、どこかの休み時間に志保ちゃんが部活の子に呼ばれてどこかに行っている時に、いつもの何気ない会話の中で突然言われたっけ。確か――
「アナタの事が好きよ。異性としてアナタを――けれど、アナタは遙か彼方へ行ってしまったね……ただそれだけよ」
そうそれそれ! それを突然言われたんだよって、桜井のやつ一語一句嘘偽り無く、あの時と同じ文言を口にしていた。反動で余計に照れているけど。
「確かに私は、当時三汰を男として見ていたわ。けれど、想いを抱いていただけで、それを自分のものにしようとは微塵も思っていないわ。誰の物になっても構わないとまで思っていたくらいよ」
桜井は片腕で自分の身体を抱きながら言った。
「にわかには信じられないかな。好意を抱いていたのに、自分はいいから他の人どうぞって普通は思わないけど」
健くんは訝しむような表情で桜井に詰め寄る。それに井子も続く。
「さっきから自分は清廉潔白のように振る舞っていましたけど、桜井さんも十分な動機があるじゃないですか。それに、あなたもダイイングメッセージの『井』が入っていますし、『自分は違う』みたいな態度止めてくれませんか?」
水を得た魚の如く。井子は桜井にもう反撃するも、桜井は一切の反論をする事無く、ただ井子の言葉を受け入れているように見えた。
「そうね。大目さんに反論の余地は無いわ。けれど井川君、アナタの言葉には少し意見させて貰うけど。その普通って何かしら。人に心が備わっている時点で、普通なんてものは千差万別に近いと思うけど。皆、非難されるのが怖くて足並みを揃えているだけで、それは普通ではなく無難な行動の強制に過ぎないと、私は考えているわ。そして少し変わったことをすると、その人は皆から後ろ指を指される。その指した物がその人の普通、そしてそれは誰しもとは言わないけど、大概の人は持っていると私は思うわ」
さっきまで照れくさそうにしていたのが嘘だったのかと思うほど、凜然とした態度で答える桜井。
それにしてもさっぱり分からん。動機は健くん以外合って、今のとこ怪しいのは桜井だし、それじゃあ桜井が犯人なのかと問われると……どうなんだろう。
仮に桜井が犯人だとすると、今までのダイイングメッセージや犯行方法などが出鱈目だったことになる。それが嘘になるなら、ここに皆を集めたのは一体どんなが目的があって――――
「少しいいかな?」
「どうかした健くん?」
「実は俺も少し動機なのかな?あるんだけど……」
「え?」
俺の考えを遮って言いづらそうにそう告げる健くん。まさか健くんも志保ちゃんに対して何かあるなんて……。
「その……誠二が水野さんと付き合い始めてから遊ぶ時間が減った事なんだけどね。ほら、俺陸上部の練習で元々時間が少ないから余計に」
「そんな理由で人を殺めたりしないでしょ……動機とはなり得ないと思うので気にする必要はないと思いますよ」
言いづらそうに告げる健くんに対して井子は突っ込みを入れて否定する。それに健くんは少し安堵の表情を浮かべる。そして俺も安堵する。
どんな理由が出て来ると思いきや、遊ぶ時間が減って寂しいという可愛らしい理由だった。
井子の言う通り、人を殺す動機にはなり得ないし、何より犯人が自ら自分の動機を赤裸々に語るとは思えない。
そうなると、やっぱり一番怪しいのは桜井か。
そういえば、桜井のやつ警察を呼んだ後、志保ちゃんの身体を調べていたのか、何か奇妙な行動を取っていたような。
怪訝な目で桜井を見る。桜井は片腕を組み、その組んだ腕に肘を乗せて人差し指でこめかみを指していた。何か考え事をしているのか、顔つきは真剣なものだった。
「そもそも、三汰君と桜井さんは現場を目撃して色々知っているみたいですけど、私や部活動をしていた井川君は事件のことを詳しく知りませんでした。水野志保が亡くなったこと以外何も……そう考えると、ダイイングメッセージから推測するに犯人は桜井さん、アナタなんじゃないんですか? ここに皆を呼んだのも、誰かに間違った推理をさして偽の犯人をでっち上げるためとかじゃないですか」
黄昏時に推理する井子。その推理を聞いて俺と健くんは桜井を見つめる。
日が暮れ薄暗い教室の前に居る桜井の表情は分からない。
「そうね。そうかも知れないわね」と、桜井はそう告げた。
――――少しの間、教室は静寂に包まれる。
「誠二、どうやらこれが真実のようだ。女子生徒のリボンで水野さんを絞殺したのは、桜井だ」
「ふっ、なるほど」
微笑んでいるのか? どこか余裕のある声で桜井は微笑んだ後、『なるほど』っと……俺はそこで考える。その意味を、そして気付いてしまった。残酷な真実を……。
気付いた俺は健くんのその言葉につい動揺してしまい、少しずつ後ずさりしながら距離を取る。
健くんは訳が分からないと言った表情でこちらを見ていた。
対照的に、桜井は少しずつ健くんとの距離を詰め、桜井の顔が少しずつ露わになる。
「どうやら三汰は気付いたみたいね。志保を殺めた犯人が誰なのか」
「どういうことですか。ちゃんと説明して下さい」
どうやら井子もまだ分かっていない様子だった。
桜井は健くんにゆっくりと近づきながら、話しを進める。
「先程、大目さんが言った通り、この事件のことは生徒にはあまり詳しく報されていないわ。水野志保が亡くなった事以外何も報されていない。それなのにも関わらず、何故井川君は志保を殺めた凶器が女子生徒のリボンだと知っているのかな? これを知っているのは、目撃した私と三汰……そして犯人のみなのよ。ニュースには紐の様な物としか報道されていない。三汰の様子からしてアナタにそれを教えた線は無い。教えてくれませんか、何故女子生徒のリボンが凶器と知っているのか」
凜然とした様子で桜井は言い終えると同時に健くんの前に立つ。対する健くんは少し俯きがちでただ呆然としていた。
「え、ちょっと待って下さい。その三人だけっておかしくないですか?警察や報道陣の方も知っているんじゃ――――」
「この三人だけなのよ、大目さん。何故なら私が警察を呼んだ後、凶器のリボンを隠蔽したのだから」
井子の発言に桜井はすかさず返すと、桜井はジップロックに入った女子生徒のリボンをブレザーのポケットから取り出し、健くんの前の机に置いた。
井子は驚くことしか出来ないといった様子だった。
そのリボンは力強く使われたのか、酷くヨレヨレになっていた。
「やだなー桜井さん。たまたま適当に言ったことが当たっただけだよ。それに、その凶器を所持している桜井さんこそ、疑わしいと思うけどな」
あくまで自分ではないと主張する健くん。その笑顔が作り物だと理解するのは容易だった。その不気味に見える笑顔を俺は見ていられなくなる。少し視線を外すも、本当に健くんなのか未だ半信半疑だった。けれどこれは、覆りようのない事実なのだと自分の中で懸命に受け止め、健くんの言葉を否定する。
「健くん、それは違うよ。桜井は犯人なんかじゃない。だって、桜井の膝は汚れていなかったから」
「え?」
俺の言っている意味が分からないのか、健くんは素っ頓狂な声を出していた。
あの時の事を思い出すと、いくつか分かった事がある。それと同時に怒りと悲しみが胸を締め付け、感情の高ぶりから涙が溢れ零れそうになる。
震える手で胸を掴み、言葉を続ける。
「桜井は俺に寄り添って落ち着かせようとしてくれていた。その時、視線の中に桜井の膝が目に入ったけど、桜井の膝は綺麗だった」
「ひ、膝?それが一体何の証明に――――」
「井川君、犯人は一体どうやって志保を絞殺したと思う?」
桜井は俺の心労を案じたのか、健くんに代わりに問いかける。その優しさが心に染みて、ついに涙を流してしまった。
「そんなこと俺には分からないよ。だって誠二と桜井さんと犯人しか詳しく知らないでしょ?」
「そう、あくまでも自分は違うと言い切るようね。まぁいいわ。それじゃあ教えてあげるけど、志保の身体は砂埃で汚れていたのよ。見つけた時には机の上に居たのに、変でしょ?」
「うん、それで」
「志保は犯人に襲われた時に教室の床に倒れたのよ。その時に身体が汚れ、犯行後犯人が机を並べてそこに遺体を置いた。つまり、その時犯人は志保に跨がり首を絞めた時に膝が汚れていないとおかしいのよ」
桜井はこちらに視線を送りアイコンタクトで何かを伝えようとしている。恐らく、『後は任せたわよ』って言っていると思う。
そう信じて今度は俺が健くんに詰め寄る。
「だから、ものの数分で教室にやって来た桜井は犯人じゃないんだよ」
「それなら俺の膝も汚れていなかったから犯人とは言えないんじゃないか?」
「よく言うよ。部活の途中で抜け出したのは、汚れた体操着で誤魔化す為、そしてうちの高校の陸上部は走る時に手袋を着けても問題ないから指紋も残らない。先に言っておくけど、井子も犯人じゃない。あいつは登校時間がそもそも遅い、井子の親に聞けばすぐに分かるだろう」
「待ってくれよ誠二、そもそもさっき桜井の奴は犯行を認めた様な発言をしていたじゃないか。『そうね。そうかも知れないわね』って」
健くんは余裕が無くなってきたのか。どこか言葉遣いが変わって少し荒々しく感じる。目の前の桜井を指さし、自分は違うと懸命に主張する。
「それは犯人を安心させて口を滑らせる為に言ったんじゃないかな。そうなんだろ、桜井」
「ええそうよ。それしか犯人を特定する方法が無かったから、機をうかがっていたのよ。目撃者や証拠も無かったから」
「さっきの発言もそうだけど……スマホのダイイングメッセージでここに集まった三人の内二人にはアリバイがある以上、健くんが――」
「待てよ! 俺には部活が、グラウンドで走っていたんだぞ」
俺が最後まで言い切る前に、健くんは自分の胸に手を当て、台詞を被せて自分の無実を懸命に訴えるが、俺の眼にはとても逼迫して見えた。あの丁寧な口調は完全に無くなってしまった。
今日、この集会を企画して遅れたやつに聞いてみるか。もしかしたら――
「桜井、どうなんだ」
「同じ陸上部の人に話を聞いてみたけど、井川君は一度腹痛でトイレに行ったと証言を貰ったわ。疑うなら、名前とクラスを控えているからもう一度確認してもらっても構わないわ」
やっぱりそうか。最初は気が立って気が付かなかったけど、よく考えてみればしっかり者の桜井が遅れてやって来るなんてあり得ないんだよな。
遅れた理由は色々調べ回っていたからなんだろう。その一つとして陸上部の人の証言、そしてこの証言により、健くんのアリバイは無くなった。
自信満々に答えてくれた桜井に、軽い笑みを向ける。『ありがとう』っと意味を込めて……。
そして天を仰ぐ――終わったよ、志保ちゃん。仇は、取ったから。
決壊して流れる涙が止まることは無かった。
◇
「まさかそんなくだらないミスをしてしまうとはな…………」
感傷に浸る俺を余所に、健くんは力の無い声で自分のミスを悔やんでいた。
でも、分からない事がまだある。
俺は濡れた顔のまま健くんに顔を向けて質問する。
「動機は一体何だったんだ? さっき言った中々遊ぶ時間が無いからが理由じゃないよな」
しかし、健くんは顔を背けて口を閉ざし、答える気配は無かった。何か答えたくない理由があるのか、それともさっき言った事が本当に動機なのか?
いや、もうそんなことどうでもいいか。コイツは犯行を認めたんだ。後は警察に連絡して終わりだ。力ない腕を動かしてポケットのスマホを取り出そうとした時だった。どうしようもない怒りの波が感情の全てを唐突に支配した。
「なんで、なんで、なんでこんなことしたんだよ!」
――――俺の咆哮は空しく響く。
大きい声を出したためか、少し喉に痛みが走ると同時に、口を大きく開けて肩でゆっくりと上下しながら呼吸を繰り返す。気を抜けば、大きく開いた口から吐いて出してしまいそうだ。
日も完全に沈み、現在の空気も相俟って余計に暗く感じ、それに伴い気持ちも更に暗く沈んでいく。
濡れた顔も徐々にそのまま落ちていく。瞳に映る映像も教室の床になっていた。その床を眺めながら俺は思う。この床の上で志保ちゃんはコイツに殺されたんだ。怖くて苦しい思いをしながら頑張ってダイイングメッセージを残して、なら俺も…………っと危ないことを考えるも俺にそんな勇気と度胸があるはずも無かった。
俺に勇気と度胸があれば、何てことを考えていた時だった。唐突にデカイ音が教室内に響き渡る。
顔を上げて音のする方に視線を向けると、桜井が健に馬乗りになっていた。周囲の机や椅子はグチャグチャになり、二人は互いに視線を合わしていた。
桜井は右手で健の身体を押さえ、左手にはハサミが握りしめられていた。その左手は顔の高さまで上がって今にも降りかかりそうな雰囲気だった。
その一触即発な状況に、井子はただ黒板の前で怯え身動きが取れない様子だった。いや違う。井子だけじゃない。俺も目の前の光景にただ呆然と立ち尽くし、一歩間違えれば自分がこうなっていたんじゃないかと…………恐怖する。
「井川、少しでも動けば殺す」
桜井が鋭い声でそう言うと、健はその言葉に従って一切の抵抗を見せないで居る。いや、どうなんだろう。健の顔はどこか全てを受け入れている様にも見えなくも無い。
桜井はハサミを健の喉元に当てる。ツーッと、一筋の血が流れ、そのまま静止する。
「三汰、井川の本当の動機は……アナタに対する恋愛感情よ」
「は?」
れん……あい……って、え?
まるで知らない言葉を初めて耳にしたかの様なリアクションを俺は取っていた。
健に視線を移すと、どこか苦い顔をしていた。それってつまり……
「本当なのか、健……」
「……桜井さんの言った通りだよ。俺は誠二に恋をしている」
「そんなの一度も聞いたこと無いぞ」
「言える訳ないだろ。言ったら全てを失うかも知れない」
「それならなんでこんなことしたんだよ……」
最後に矛盾した発言を残し、それ以上健は口を開くことはなかった。
「これは憶測だけど、井川は色んな女の子からよく相談なり告白をされ、次第に女の汚い部分にも触れてしまうことになってしまい、女性に嫌悪感を抱く様になったんじゃないかしら。そして三汰は仲のいい人にいつも惚気ては自慢げに話していたから、それが募り積もって限界を迎え、志保の殺害を企てた。そしてついでに私も消そうとしていた。私が三汰に好意を抱いていたことを知っていたから」
「ちょっと待てよ。それじゃあ俺が、俺が健を、健くんをこんな風にしてしまったのか……それになんだよ。お前を消そうとしていたって何か根拠があるのか」
こちらを一度も見ることも無く淡々と語る桜井に、俺は力の無い言葉で返す。
さっきまでの憎悪とは別に、自分が友人の思いに気付いてやれず、それが今回の事件を引き起こすきっかけになってしまった罪悪感が、俺の中を徐々に覆っていく。
「根拠は……あのダイイングメッセージよ」
「あれが?」
「ええ。あれは志保の残した物ではなく、井川が私達三人を呼び出す為に用意した偽のダイイングメッセージ。倒れた状態で首を絞められてた人に、犯人の目の前でスマホを取り出し検索表示で『井』に変換するなんてことは出来ないわ」
確かによくよく考えてみれば、『志保の近くにスマホが落ちていたの』って桜井は言っていた。犯行の現場は机の上でなく、教室の、それも地べただ。首を絞められている状態でそんなことをすればすぐにバレるし、完全に首を絞めた後、机の上に乗せられたのちに息を吹き返す訳もない。
待てよ、それじゃああの時の言葉って……
「桜井、お前が言った。『そうね。そうかも知れないわね』、あの言葉は――」
「三汰か、大目さんに間違った推理をさして、私を偽の犯人に仕立て上げる。そう、あの時大目さんが言った『誰かに間違った推理をさして偽の犯人をでっち上げるため』、それが井川の狙いだったのよ。自分で言うのもなんだけど、私もそれなりに男子からの人気があったみたいだから、ついでに始末する算段だったんでしょう。ご丁寧に机の上に志保の遺体を置いて、その姿を三汰に見せつけるなんて、ホント悪趣味だわ」
確認する様に俺は桜井に言葉を投げ掛けるが、桜井は健の首元にハサミを当てたまま表情一つ変えることなくそう言い放つ。
もしかしたら最初から健の事を疑っていたのかも知れない。ダイイングメッセージも偽物だと気付いてないフリをして話したり、凶器の内容を言わないで事件の概要を自分で話したのも、健がどこかで墓穴を掘るのを待っていたから。あらかじめ凶器のリボンを回収してここまでの事を考えていたのか? だとしたらとんでもないやつだな。
この展開も、桜井のシナリオ通りなのだとしたら……それはダメだ。
「桜井……もう分かったよ。分かったから、もうその手を放してやってくれないか」
自然と弱々しくなる声を、なんとか桜井に届ける。
そして、俺の言葉がちゃんと届いたのか、桜井の様子が徐々に変化していく。
「なんでよ……なんで、離さないとダメなのよ。教えてよ、三汰」
まるで今にも泣き出しそうな子供の様に、桜井は懸命に涙を堪えていた。さっきまでの殺意に満ちたものはそこには無く、あったのは震える少女だった。
それを見て思う。この子を、桜井を殺人犯にしてはいけない。
ゆっくりと歩みながら、俺は桜井に優しく問いかける。その今にも崩れだしそうな心を、そっと触れるように。
「ダメだよ桜井。そんなことをしても志保ちゃんは戻ってこない。それに、桜井が健と同じようなことをすれば……俺はきっと今よりも悲しくなる」
言い終わるときには、震える桜井に寄り添い肩を優しく掴んでいた。しゃがんで目線を合わし、桜井の横顔を眺める。
もう十分だ。お前はよくやったよ。
桜井はついに、溜めていた涙をポロポロと零していく。健の服を濡らしその涙は止めどなく――――。
悲しみで怒りが霧散したのか、桜井の押さえていた右手と首元に当てていたハサミが少しずつ離れていく。最後は両腕ともだらんとして、まるで魂が吸い取られて力が抜けているみたいに。
「桜井、帰ろう」
「…………うん」
力無く答える桜井を、ゆっくりと起き上がらせる。
左手にはまだハサミを握りしめていた。早くその危ない物を手放して欲しいな……。
桜井を起き上がらせていると、廊下の方から足音がどんどん大きくなっていく。もしかしてこの教室に一直線に向かってきているんじゃないのか?そういえば、もう下校時間をとっくに過ぎていたっけ。
見回りの先生が向かってきているなら、健の事を報告して警察に連絡をするか。
扉の方に視線を向ける。視界の端で健もゆっくりと立ち上がっていた。
大きくなった足音がピタッと鳴り止み、ガラガラっと扉は開かれ、赤い閃光が目の前に広がる。
………え?
まるで花火の様な赤い閃光の正体は、健の……返り血だった。
「なん……で……」
隣を見ると、桜井の左腕が一直線に伸びて、その手に持っているハサミが健の左胸を刺していた。
ハサミの刃の部分は完全に健を刺していたため、柄を握った左手しか見えず、もうその手は赤く染まっていた。赤い左手首を両手で掴んでいる健……その姿はまるで自分で自分を刺している様に見えた。
「ゲホッゲホッ」っと、血を吐く健はとてもじゃないが見ていられない。教室中は血の臭いで充満して、今にも嘔吐しそうだ。
血生臭い空間の中つい視線を逸らし、桜井の方に視線を移すと、返り血を浴びた驚愕の表情で健を見つめていた。
「おい。まさか……」
違和感に気付き、直ぐさま視線を健に戻す。
口から血を流す健、小さく何かを呟いていた。
「もう、いいや……悪いけど……先に、向こう……に、行かせて、もらうよ」
見回りに来た男の先生はこちらに駆け寄って酷く狼狽したが、急いでスマホを取り出し救急車を呼んでいる様だった。
◇
志保ちゃん殺害事件――正式名称、水野志保殺害事件は犯人の自害によって幕を閉じた。
「――――状況から、危うく桜井は健を殺害した殺人犯にされる所だったけど、最後に健が残した言葉を近くにいた先生も聞いていたのと、健が桜井の手を引いて刺した所を見たらしくて、桜井はなんとか殺人犯として逮捕されることはなかったよ」
「取り調べを受ける中で、あの教室で何をしていたのかを警察の人に事細かく話した。いや、正確に言うなら、俺しかまともに話せる人は居なかったみたい」
「井子は『覚えていない』の一点張りだったみたいで、桜井は口を閉ざして何も話すこと無く、心ここにあらずといった様子だったと、警察の人に教えて貰ったよ」
「無理も無いよ。目の前であんな……自分の手を使って自害するなんて……誰も予想出来なかった。その後、桜井が学校に来ることは無かったよ」
きっと、全てが明るみに出たことでどうすることも出来なかった末の、あの選択なのだろう。それがあの、『もう、いいや』に詰まっている。
俺は白いカーネーションを一輪、手に持って志保ちゃんの席に座っていた。誰も居ない教室の中で、ただその一輪の花を眺めながら、いつも志保ちゃんに話しかけるみたいに優しく語りかける。
勿論、その花が言葉を返すわけもない。それでも俺はその一輪の花に語りかける。
白いカーネーションの花言葉は純粋な愛と、私の愛は生きています。
俺は語りかける。その一輪の花に『俺の愛は生きているよ』と伝えるために――――。
そして、人を信じることが出来なくなった想いを胸に抱きながら……。
最後まで読んで頂きありがとうございます。次回はもっと明るい話しが上がると思います。