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二人だけの基準値  作者: みゆ
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第四話 緊張

 ほとんど人通りのない静かな住宅街。以前一度だけ利用した事がある停留所でバスから降りると、私はドキドキしながらゆっくりと足を進めた。

 家を出る前に掛かってきた電話で、祥太君は

「途中まで迎えに行く。」

と私に言った。でも私は彼に会う前に少しでも気持ちの整理をしておきたくて、その申し出を断り一人で彼の家に向かう事にした。

 でも祥太君の家に近付くにつれ、心臓の鼓動は大きくなり、緊張感が増してくる。とてもじゃないけど気持ちの整理なんてする事が出来ない。そんな事を考えている間にかなりの距離を歩いていたみたいで、気が付くと祥太君の家はすぐ目の前になっていた。


 暫くその場で立ちすくんでいた私は、覚悟を決める様に大きく息を吸って、震える手で玄関のチャイムを鳴らした。すると数秒後にドアが開かれ、中からスウェット姿の祥太君が顔を覗かせた。

「あ…えっと、明けましておめでとう。」

 彼に会った時まず何を言えばいいのかずっと考えていたんだけれど、とりあえず新年の挨拶はしなければいけないと、私は冷静を装ってそう告げた。すると祥太君も

「おめでとう。」

と私に返し、それから

「外、寒かった?顔赤い。」

と言って私を見た。

 きっと顔が赤いのは寒さの所為だけじゃない。だから私は咄嗟に両手でほっぺを隠したけれど、でも正直に言うのは恥ずかしいからそういう事にしておこうと

「うん…。寒かった。」

と言って頷いた。

「早く中入りなよ。」

 祥太君に促されて玄関に入ると、家の中はしん…と静まり返っていた。…家の人、本当に誰も居ないんだ。

「何か温かいもの持ってくから、先に俺の部屋行ってて。」

 祥太君がそう言って私に背中を向けようとした。確かに外が寒くて温かいものを飲みたい気分だったけど、手間を掛けさせるのは悪い気がして

「え、いいよ別に…。」

と一歩彼に近付いた。その瞬間、祥太君からふわりと石鹸のいい香りがしてきて、私は何も言えずそこから動けなくなってしまった。

 …祥太君、もしかしてお風呂に入ってた…?それって…これからするかもしれない事の為に……?

 突然動かなくなった私を不思議に思ったのか、祥太君が

「どうかした?」

と言って私の顔を覗き込んだ。その距離が物凄く近い様な気がして、私はドキリと心臓を高鳴らせ一歩後ろに下がった。そして

「ううん、何でもない…!えっと…じゃあ、私先に祥太君の部屋行ってるね。」

と言うと、慌てて階段を駆け上がった。




 二度目となる祥太君の部屋の中で、私はそわそわしながら辺りを見回していた。前にこの部屋に入ったのは夏の…初めて祥太君と唇を交わした日。そして今日はこの場所で、それ以上の事をしちゃうかもしれないんだ…。

 緊張のあまり大きく息を吐いた瞬間、携帯電話の受信音が鳴った。突然の事に私はビクッと肩を震わせ、ドキドキしながら携帯電話を手に取った。

 メールの送り主は明日香だった。件名に『頑張って』と記されたその中身は『今日するんでしょ?頑張って!もう高瀬君の家着いたの?』というものだった。

 祥太君から家に誘われたあの日から、私は明日香と『明けましておめでとう』メールをしただけで、結局祥太君の事を言わないままだった。なのに今日祥太君の家に来ているのを知っているという事は、きっと瑞穂が明日香に言ったのだろう。

 『するかどうかなんてまだわからないし…。』そうメールを打って、私は明日香に送信した。その直後『絶対するって!でもあんまり緊張しすぎないようにね。』とメールが返って来て、私は画面を見つめたままハアッと息を吐いた。

 緊張するなと言われてもそんなの不可能だ。もう既にこの場に居たたまれない様な気持ちになっているというのに。

 『どうしよう…。どうすればいいのかわからないよ。明日香は初めての時どうしたの?祥太君の言う通りにしておけばいいのかな?』そう打ちかけた時、部屋のドアが開いて祥太君が入って来た。私は慌てて携帯電話をバッグに入れると

「はい。」

と言って渡されたマグカップを受け取り、その中身を一口飲んだ。

 マグカップの中身は、ミルクの入った紅茶だった。その温かさと優しい甘さが、さっきまで寒さに曝されていた私の体をふんわりと暖めてくれる。でも緊張した気持ちは解ける事が無くて、私は祥太君に

「ありがとう。」

とお礼だけ言うと、黙ってマグカップの中を見つめた。

 私の緊張が伝わったのか、祥太君も何も言わない。その静まり返った部屋の空気が、私の緊張を更に高まらせていく。

 沈黙に耐え切れずふと顔を上げた私の目に、本棚に並んだ読みかけのマンガ本が映った。何かしていれば気が紛れるかも…そう思って

「あの、この前途中まで読んだマンガの続き、見てもいい?」

と、その場から立ち上がろうとした。でも、立ち上がる事は出来なかった――祥太君の手が私の腕を掴んだから。

「え……。」

 驚いて振り返ると、祥太君は私から目を逸らして顔を俯けた。でも彼の手は私の腕を掴んだままだった。いつもは温かい彼の手が、何故か妙に冷たい。

「あの……どうしたの…?」

 煩い程の鼓動を聞きながら、私は祥太君にそう尋ねた。黙ってなんていられなかった。だって黙っていたら心臓が壊れちゃいそうだったから。

 私の問い掛けを聞いても、祥太君は何も言わなかった。暫く黙ったままで、何かを考える様な素振りをしていた。でも少ししてから大きく息を吐くと

「気付いてるかもしれないけど…。」

と呟いて、ゆっくりと顔を上げた。そして真っ直ぐに私を見つめると、今度ははっきりと聞こえる様な声で私に告げた。

「俺、沙和としたい。」




 …どうしよう!

 祥太君の声に、私は半分パニックに陥った。

 覚悟して来た筈なのに、冷静ではいられなかった。本当にするんだ…そう思うと、泣きそうな気持ちになった。

 …でも嫌な訳じゃない。もし嫌だったら、今日ここには来ていないだろう。今私がここにいるのは――祥太君とならそうなってもいいと思ったから。

 私はぎゅっと目を瞑った。祥太君の顔がどうしても見れなかった。

「…嫌?」

 少し擦れた祥太君の声が聞こえた。私は黙ったまま、その問い掛けに対して小さく首を振った。

 これでもう後戻りは出来ない。『嫌?』と訊かれて首を振るのは、受け入れたのと同じ事だから。

「本当に…?いいの?」

 それでも彼はそう尋ねた。私は唇を噛みながら目を開けると、上目遣いに祥太君を見つめ、小さくコクリと頷いた。


 祥太君の手が私の腕から離れ、ゆっくりと顔に近付いて来る。でもその手は私の顔に触れる事はなく、代わりにそっと髪の毛に触れた。

「もし…嫌なら言って。」

 その声に、祥太君も本当は不安なのかもしれないと、私は思った。そうじゃなかったらこんなに何回も確認したりしない。

「…大丈夫。」

 私は必死で笑顔を作ると、祥太君に顔を向けた。じっと私を見つめる祥太君の目が私の知らない男の人みたいで、何だか少し怖い。

 でも祥太君となら…。祥太君とだったら…きっと大丈夫。




 ゆっくりと彼の顔が近付いて来た。それに気が付いて、私はぎゅっと瞼を閉じた。



 ――次の瞬間、二人の唇が重なった。





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