第三話 誘い
「え、駄目なの…?」
冬休みに入り数日が経った十二月三十日の夜、祥太君から電話があった。話の内容は明後日に迫ったお正月の事。だいぶ前から一緒に初詣に行く事を約束していたのに、それが駄目になったというのだ。
「ごめん…どうしても家族と過ごさないといけなくて。」
「少しでも駄目なの?」
「うん、多分……。」
実家から離れた場所に住んでる祥太君が家族と過ごすのは、きっと久しぶりの事だろう。彼のお父さんやお母さん、そしてお姉さんや妹さんだって、祥太君と一緒に過ごせるこの日を楽しみにしていた筈だ。
頭ではわかっているのに悲しかった。私だって祥太君と会えるのを、凄く楽しみにしていたから。
普段はゆっくり会えないけど、その日は一緒にいられるんだって、ずっと前から思ってた。それを信じてクリスマスだって我慢したのに、まさか会えないなんて…。
「…分かった。」
そんな事を言ってもきっとどうにもならないからと、私は渋々祥太君の申し出を了承した。でもせっかくの休みなのに、ずっと会えないなんて絶対に嫌!
「じゃあ他の日は?祥太君いつ寮に帰るの?それまでに会える?」
私がそう尋ねると、祥太君は少し間を置いた後
「あのさ…。」
と、ちょっと擦れた声を出した。それがあまりにも言いづらそうに聞こえたので、もしかしたら駄目だと言われるのかもしれないと、私は更に悲しくなった。でもその後に続いた祥太君の言葉は私が考えていたものではなく
「二日…しあさってさ、家族みんな親戚の所に行くらしくて…。家に誰もいないんだけど、来ない…?」
という誘いの言葉だった。
「絶対そうだって!」
電話から確信に満ちた瑞穂の声が聞こえる。
祥太君との電話を切った後、私は瑞穂に電話をして、初詣に行かれなくなった事や代わりに家に誘われた事を話した。すると瑞穂は『付き合ってる二人が誰もいない家にいて何も無い筈がない、だから彼はその日初めてのエッチをするつもりなんだ』と興奮ぎみに言った。
「…そうなの?」
「間違いないよ。じゃなきゃわざわざ“誰もいない”なんて言ったりしないって。そう言ったのはきっと、高瀬君なりの沙和への予告なんだよ。」
「で、でも、ただ誰もいないって言われただけでそう決めつけるのは…。もしかしたら私が気を遣わない為に言っただけなのかもしれないし…。」
「じゃあ何で家なの?デートなんてどこでも出来るのに、何でわざわざ誰もいない家に誘ったりするの?」
「それは…。」
理由なんてわからない。さっきの電話で祥太君は何も言わなかったから。確かに瑞穂の言う事も一理ある様な気はする。けれど、本当に彼がそういう事をするつもりでいるのかどうか…。
「明日香には話したの?」
「ううん、電話はしたんだけど出なくて…。多分降矢先輩と一緒にいるんだと思う。」
「そっか。でも明日香も同じ事言うと思うよ。だって沙和達、付き合ってもう半年以上経つんだもん。そうなってもおかしくないって。」
色んな思いが頭の中を巡って何も言えなくなった。それに気付いた瑞穂に
「嫌なの?」
と心配そうな声で訊かれて、私は暫く考えた後、携帯電話を耳に当てたまま小さく首を振った。
嫌…な訳ではない。むしろ祥太君とだったらいつかはって、密かに思っていたのだから。でも………。
「そんな事はないけど…。でも、もし違ってたらどうするの?私だけ期待してたみたいで恥ずかしいじゃん。」
「もし違ってたとしたって、準備は絶対していくべきだよ。逆に何にも準備しないでそうなったら、恥ずかしいのは沙和だよ。」
「…そうだけど。」
「いいから!可愛い格好していきなって。下着とか、可愛いのあるでしょ?」
「う、うん…、前に瑞穂達と一緒に買い物行った時に買ったのが…。」
「じゃあそれ着けて行くんだよ。それと、念の為、生理用品持ってった方がいいよ。」
「何で?」
「何でって、多分初めての時って、血が出ると思うから。」
「え…?!」
そういえば瑞穂も明日香も言ってたし、既に経験を済ませたクラスの子も言っていた。…やっぱり血が出る程の事なんだし、その時ってきっと――。
「痛い、んだよね…?」
不安になって尋ねた私の言葉に
「それは個人差のある事だから、沙和がそうかは分からないけど。」
と瑞穂が妙に冷静に答えた。
「…そう、だよね。」
「まあ私は痛かったし、明日香もそうだって言ってたけど。」
「……そっか…。」
「大丈夫、例え痛くても何とかなるって。だって好きな人となんだから。そんなに怖がる事ないよ。」
「…うん。」
いつかはそういう日が来るんだって、ずっと思ってた。瑞穂も明日香もしてるんだし…って。
でもそれが現実になるかと思うと、やっぱりちょっと怖い。痛いっていうのもそうだけど、それをしたら私はどうなっちゃうんだろうって…。
「何とかなるよ。」
瑞穂が明るい声で私に言った。それは既に経験したという余裕からくるものなのかもしれない。
「でも、嫌な事はちゃんと嫌って言いなよ。…まあ、言葉は選んだ方がいいとは思うけど。」
「うん…。」
「とにかく、私達には何もしてあげられないんだから、あとは沙和次第だよ。覚悟決めて頑張りなって!あ、でも、初めての事なんだし、後悔だけはしないようにね。」
「うん…。」
「じゃあ、報告待ってるね。」
「え…?!」
「楽しみにしてるから。」
瑞穂はそう言うと、本当に楽しそうな声で
「じゃあね。」
と告げて、電話を切った。
明け方のまだ薄暗い部屋。家族の誰もがまだ寝ているに違いない。
私はベッドから起き上がりバスタオルを持つと、みんなを起こさない様に静かに歩きバスルームへと向かった。
昨夜は良く寝れなかった。そして早く起きてしまった。どうしてなのか…その理由はわかってる。それは今日が一月二日――誰もいない祥太君の家に行くと約束した日だから。
どんなに熱いシャワーを浴びても、念入りに体を洗っても、気持ちは全然すっきりしない。今日起こるであろう事を考えて不安になったりドキドキしたり…その繰り返し。
シャワーを止めてため息を吐くと、ふと鏡に映った自分の姿が目に入った。私は真冬の寒さも忘れ、その姿をじっと見つめた。
決して大きいとは言えない胸、縊れのないウエスト――お世辞にもスタイルがいいとは言えない私の体。
こんな体でもちゃんと“女性”に見えるだろうか。祥太君はそれでもいいと思ってくれるのだろうか…。
不安になりながら服を着て部屋に戻ろうと扉を開けると、ちょうどお兄ちゃんが階段から降りて来て、私はどくんと心臓を跳ね上がらせた。
どうしてバスルームに居たのか、そう訊かれたらどうしようとドキドキした。しかもみんなに気付かれない様なこんな早い時間に。
でもお兄ちゃんは大して気にする風でもなく、眠そうな目でちらっと私を見ると
「もう起きてんのか…。」
とだけ言って、トイレに向かって足を進めた。それを見た私はほっと胸を撫で下ろして部屋に向かおうとしたけれど、ふとある事に気が付いてお兄ちゃんに視線を向けた。
そういえばお兄ちゃんって、結構女の子に人気があったな。あれだけモテていれば、付き合った人も一人や二人いただろう。もうすぐ大学生になるんだし、きっとエッチな事も経験してて…女の子の裸だって見た事があるだろう。その人達ってどんな体してたのかな?やっぱりスタイル良かったのかな?それと比べて…私の体ってどうなのかな…?
「…なんだよ。」
私の視線に気が付いて、お兄ちゃんが不機嫌そうに振り向いた。それに驚いて思わず考えていた事を口にしそうになったけれど、でも流石に“私の体どう?”なんて聞く事は出来なくて、私は
「何でもない!」
と慌てて首を振ると、階段を駆け上がり自分の部屋に向かった。