第二話 心のままに
明日香に彼氏が出来た。
相手は、明日香が高校に入学してからずっと格好いいと言っていた、バスケ部の降矢先輩。
“絶対に落とす”と言ったその台詞を実現させただけでも驚いたけど、更に驚いたのは、付き合って一ヶ月も経たないうちに先輩と最後までしてしまったという事だった。
「やっぱ、痛かった?」
瑞穂が頬杖を付きながら明日香に聞いた。
久しぶりに来たカラオケボックス。入室してからもう三十分が経過しているけれど、ずっと話をしていてまだ誰も一曲も歌っていない。でもそんな事は気にもせず、私達は明日香の答えをワクワクしながら待った。
「痛かったよー。」
明日香はその時の痛みを思い出したのか、やや眉を寄せてそう言った。
「そうだよね。」
それを聞いて、瑞穂が苦笑いしながら頷く。
「私も凄く痛かったもん。」
どれくらい痛いのか、経験していない私には分からない。だから本当の意味では二人の会話に入っていかれなくて、私はちょっと置いてかれた様な気分になりながら、目の前にあるジュースのストローに口を付けた。
「それにしても意外だったなあ。」
瑞穂がため息混じりに明日香を見た。
「明日香は田中君とより戻すんだと思ってた。」
「そうだよね!」
私はストローから口を離し、瑞穂の言葉に賛同した。
「この前の花火大会の時だって凄く仲良さそうにしてたから、絶対そうだって私も思ってた。」
「止めてよー。」
明日香が再び眉を寄せる。
「田中とはただの友達だよ。もう関係ないって。それに、降矢先輩って田中とは比べものにならないくらい格好いいんだよ。沙和も知ってるでしょ。」
「それは…知ってるけど。」
確かに降矢先輩は格好いい。顔も勿論だけど、背も高いしバスケも上手い。先輩の事を狙ってた女の子もいっぱいいた。
その中から明日香が彼女になるなんて、正直思っていなかった。そりゃあ明日香は友達の私から見ても可愛いけど、先輩の周りには可愛い女の子がいっぱいいたし。
「沙和、お兄ちゃんにちゃんとお礼言ってくれた?沙和のお兄ちゃんが紹介してくれたお陰で彼女になれたんだ様なものなんだから。」
「うん。」
そうなんだ。降矢先輩と明日香が付き合うことになったのは、お兄ちゃんの協力のお陰もある。
バスケ部の先輩であるお兄ちゃんに紹介を頼んでと明日香が言ったのは、確か入学して一ヶ月が経った頃。それから暫くして私はお兄ちゃんにそれを伝え、お兄ちゃんは渋りながらも降矢先輩に明日香の事を話してくれた。
その後二人は電話したりメールしたり、たまに二人で遊びに行ったりしたりして、それで明日香の事を気に入ってくれた先輩から、明日香に“付き合おう”と言ったらしい。
二人が付き合ったのはお兄ちゃんのお陰もあるけど、やっぱり明日香の行動力と明るい性格のお陰かな。
「ねえ明日香、こんな事言いたくないんだけど…本当に大丈夫?」
突然瑞穂が心配そうな顔をして明日香を見た。
「遊ばれてる訳じゃ、ないよね?」
「…大丈夫だよ。」
一瞬不安そうな顔をしたけれど、明日香はすぐに笑顔を見せて話し出した。
「確かに先輩モテるし、女の子の友達も沢山いるし…、彼女も、今まで何人かいたって、聞いた。でも毎日メールしてくれるし、それに…、初めての時も、優しかったもん。」
「大丈夫だよ!降矢先輩、遊びで女の子と付き合う様な人じゃないって、お兄ちゃんも言ってたもん。」
「そう…だよね。」
明るくしていたけれど実は不安だったのか、明日香が私の言葉を聞いてほっとした表情をした。でも瑞穂はまだ不安そうな顔をして、じっと明日香を見ていた。
「…でもさ、初めてのエッチが付き合って一週間って…。明日香にとって初めての事なのに、ちょっと早すぎない?」
「私が言ったの。」
「え…?」
「私が先輩に“しよう”って言ったの。」
「何で?!」
明日香の告白に、私達はただ驚いて明日香を凝視した。そんな私達を見て明日香は笑って、それからちょっと俯いて話し始めた。
「先輩の元カノって、凄く綺麗な人でさ。…付き合ってたんだからしょうがないけど、エッチもしてたみたいなんだ。それ聞いたら悔しくて、何か勝てないような気がしちゃって。それで、どうすればいいんだろうって考えてて、私も先輩とすればいいんじゃないかって思ったの。だから私から言ったんだ。先輩となら、そういう事になってもいいって。先輩ちょっと驚いて、それから“本当にいいの?”って私の事心配してたけど、私が“いい”って言ったら……優しく、してくれた。」
明日香がそんな事を考えていたなんて知らなかった。いつも楽しそうにしていたから全然気付かなかった。
そういえば中学の時にも同じ様な事があった。確かあれは田中君と別れる前。恐らく明日香は物凄く悩んでいただろうに、いつも明るくしてて、私達に悲しい顔を見せる事はしなかった。そして一人だけで考えて、田中君と別れる事を決めたんだった。きっと明日香は今回も同じ様に、一人で考えて決めたんだろうな。
でもそれにしても自分から“しよう”って言うなんて…。明日香の行動力は知ってたけど、やっぱり凄い。
「…後悔、してない?」
瑞穂はまだ心配そうに明日香を見ている。でも
「する訳ないよ!だって、凄く好きな人だよ?」
と明日香が言うのを聞いて
「そっか。ならいい。」
と、安心した様に微笑んだ。
「あとは、沙和だけだね。」
明日香が悪戯っぽい目をして、私を見た。
「沙和もそろそろなんじゃない?」
瑞穂も笑って私を見る。
「な、何言ってるの?!そんなこと無いよっ!」
二人の言葉に、私は顔を赤くした。
「何で無いっていえるの?この間キスしたって、沙和、言ってたじゃん。」
「…た、確かにキスはしたけど、でも……。」
キスだけでもあんなにドキドキしたのに、それ以上の事なんて考えられなかった。
興味が無い訳じゃない。祥太君とならいつかは…って思いもある。でも、まだ早いというか…。
「沙和、これあげるよ。」
赤くなって俯いていた私に、明日香が何かを差し出した。なんだろうと思いながら受け取ってそれを見た私の顔は、更に赤くなった。
「…これって…!」
「うん。そう。」
明日香がにっこりと笑う。
「何でこんなの持ってるの?!」
「いざという時の為にね。沙和も一つ位持ってなよ。」
「い、いらないよ!!!」
慌ててそれを返す私に、明日香は
「何で?避妊は大事だよ?」
と真面目な顔をして言った。そんな私達を見て、瑞穂が可笑しそうに笑った。
家に帰って、宿題をやろうと鞄を開けた私は、赤い顔をして固まった。
明日香に返したはずの“アレ”が、何故か鞄の中に入っていた。しかも二つも。
一体いつの間に入れたの?!私は焦って辺りを見回した。
どうしよう…。こんなの持ってるのバレたら、お母さんに何て言われるか。
ゴミ箱に捨てたら、絶対見つかる。かといって机の中にいれても、たまにハサミやペンを勝手に持っていくお兄ちゃんに見つかってしまうかもしれない。
その時私の目の端に、クローゼットの前に置かれたお気に入りのバッグが映った。私はそれを手に取ると、ファスナーが付いている内ポケットに明日香から渡されたものを入れて、誰にも見られないうちにと急いでクローゼットの奥に押し込んだ。
流石に誰もクローゼットは開けないだろう。もし開けたとしても私のバッグを使う人は誰もいないから、きっと気付かれない。
そうして奥に押し込まれた、お気に入りのバッグとその中に入っているモノ。
一ヶ月も経つと、私はその存在をすっかり忘れてしまっていた。