第三話 協会との戦闘
「存在性の操作の方法は対流と放射の二種類ある。貴様が学んでるのは対流を用いた改変法だ。これは比較的簡単に操作できるが原始的な現象しか起こせない。放射は存在性が粒子になり別空間に飛んでいくことで発生し、逆二乗法則に従って拡散する。対流に比べて精密な操作と集中力、精神力が必要になるが、その分緻密な改変も可能になる。また、操作可能な存在性の総量が少ないので改変は小規模になる」
そこまで言った姫は俺の顔を覗き込んで聞く。
「ちゃんと聞いているか?」
「あ、ああ、もちろんだ」
そうは返答したが、実際のところは完全に上の空だった。姫の話を全く理解していないどころか理解しようとさえ思っていない。
あれから何日間か姫の世界で姫と一緒に騎士としての訓練をする日々が続いた。最初の頃はまだ学校よりはまだましだと思っていたが、何日か繰り返していくうちに少しずつ辛くなっていった。
訓練と講義の繰り返し。もはや学校よりきついとさえ言える。そのため日に日に俺の訓練に対する態度は悪化し、パフォーマンスも落ちていった。強化された身体能力に少しずつ慣れてくるからパフォーマンスは伸びるはずなのに。
「斬り掛かってこい。模擬戦をする」
ある時姫がそういった。
俺は剣を構成して姫に向かって斬撃を叩き込む。俺の剣と姫の剣がぶつかり、激しく輝く存在性の火花がまき散らされる。
「体の動かし方がなってない。踏み込み終わってから振りかぶるようでは、踏み込んだ時の勢いを剣に乗せられないだろう。手首を使って剣を振るっている。肩、腰を意識して全身を使え。体の動きがてんでバラバラだ。力を一点に集中させろ」
そしてすぐに姫からこれだけのダメ出しをくらってしまう。
「あーもう、うるさいな!」
元からセンスも何もないのに、姫の指示を全てさばききれるわけがない。
「世界の命運を担う騎士がこのような体たらくでいいと思ってるのか?騎士としての自覚を持て」
「自覚を持てって言われてもな、俺には無理だよ。無理だから今日のところは訓練おしまいね」
「は?」
「第一、体変にひねってところどころ痛んでる仕方ないだろ。存在性も使いまくったせいで頭痛いし」
全くのデタラメではないが、かなりの誇張表現である。所詮は休むための口実だ。
「嘘をつくな。そんなはずない。そもそも騎士の祝福のおかげで上位の現実改変者程度の存在性を扱えるだけの素質はあるのだ。そもそも騎士の祝福とは地球の人間の存在性を操る能力の制限を解除するものだ。あの程度存在性を操っただけで頭が痛くなるはずがない。立て」
「やだ。やめた。疲れる。もう頑張りたくない」
姫はついに俺に対して反論することさえ諦めたらしい。
クズと思われても仕方ない。しかし俺は楽しくて努力とかそういったものから逃避することのできる非日常を得るために騎士になったのだ。辛くなるためや叱られるためにするわけじゃない。姫に対して冷たく当たっているのはただの八つ当たりだ。せっかく非日常の世界に入れると思えたのに、実際のところ全然そうじゃなかった。その落差と落胆からイライラが増し、姫に八つ当たりしている。
だが騎士契約が終わることはない。姫と騎士の関係が完全敵対になるまでは騎士契約が途切れることはないらしい。そして俺には姫に対して完全敵対しようと思える気力さえない。
俺はずっと姫の世界にいるわけじゃない。夜になって寝る時刻になれば家に帰る。地球はもう夜なのだが非常によく遠くの景色まで見ることができる。これが騎士としての祝福の力なのだろう。
それにしても静かだ。夜の公園ということもあるだろうが、誰もいない。
「屈め!」
唐突に姫が叫んだ。
あまりにもその姫の口調が緊迫したものだったので、姫との関係が冷え込んでいたのにも関わらず素直に従った。
刹那、俺の頭上を波とも弾丸とも形容し難い力が、その力を誇示するかのように光をまき散らしながら通っていった。それは存在度の非常に高い存在性の塊。
「折角準備したプレゼントを簡単に無碍にするとは実に不躾な輩ですな」
そして闇の中から現れ一礼したのは硬く尖った容貌を持つ一人の初老の男性。シルクハットに燕尾服と英国紳士を気取ってるのかと思わせる衣装をしている。
幽霊みたいだ、と俺は思った。存在感が薄くて風が吹けば消え失せてしまいそうだ。
「誰だお前」
俺は少し怒気を込めて言い放つ。まるで得体の知れないものに対する恐怖をかき消そうとしているかのように。
「あれは協会の戦闘要員で現実改変者だ。さらにあいつはかなりの手練れ」
『協会の?え?ってことは俺、あいつと戦うことになるの?もしかして殺される?まじで?』
協会と戦いになるということは字面だけはわかったつもりだった。だが、実際に戦うことになると話は別だ。死への恐怖や戦闘への恐怖が湧いてくる。
その疑問の返答を聞くよりも先に、初老の男からの返答がくる。
「貴方様に名乗るほどの名前はありませぬ。では、死んでいただこう」
その時、殺気が膨れ上がった、男の周りで複数個の光が残像がそれぞれ別の円を描くように動いたと思ったら不規則に動き出して呪文とも幾何学模様とも取れる不思議な対称図形を形作った。
「跳躍!本気で跳躍しろ!」
わけもわからず姫の言葉に素直に従って思いっきり飛ぶ。騎士として強化された身体能力のおかげで結構な高さ程度飛ぶことができた。
すると足元に白い光を放ち奇怪な紋様を描く魔法陣みたいなものが出現した。正確にはこれは光ではなく、高密度の存在エグジステンスの線なのだがそんなのは知る由もない。
「回避!回避!現実性の流れを下向きに噴射してあの魔法陣に足がつくのを避けろ!」
姫が緊迫した表情で俺の目の前で大声で怒鳴る。存在性の流れを下に作りだせ、ということを強調したいのか指を下にむけて思いっきり手を振っている。
いつもならここで姫に口答えするところだが、死の恐怖を前にそんな余裕などない。姫の言われた通りに存在性の流れを下に向かって作り出す。それらは互いに反発して暴発を起こす。その衝撃で俺は後ろに吹っ飛ばされた。
「痛い痛い痛い痛いっ!」
腰を激しく打ってしまい激痛が全身をかけめぐる。そして腰に手を当てると生温かく粘っこい液体が手にこびりついた。それは紛れもなく俺の体から流れ出た血だった。
「早く構えろ!敵は待ってくれない!」
その姫の言葉に呼応するように、幽霊のように初老の男がふっと現れた。
「しかし、どうやって攻撃を予見したのでしょうかな。これまで最初の一撃で敵を狩ってきたもので。これでは自信をなくしてしまう」
「右に逃げろ!」
姫の言葉をためらえば即死だ。そう思ってたから姫の言葉にすぐ従うことができた。
直後、俺の体があった空間を円盤状の複数の魔法陣が高速で回転しながら切り裂いた。地面は深い傷を負い、その魔法陣の威力を表している。
「林の中に逃げ込め!そしてとにかく走れ!」
「林へ逃げようとしているのでしょうかな?しかし、逃げ切るのは不可能。早々に降伏してしまいなさい」
本気で走っている俺に初老の男はさも当然かのように追いついてくる。
「右に避けろ!次は上に跳べ!左に避けろ!」
それらの姫の指示に従わなければ一瞬で火球、光線、円盤、などなどの攻撃の餌食になる。
『ねえ、どうやったらあれに勝てるの?どうやったらあれを倒せるの?どうやったら』
「黙れ!余計なこと考えるなら回避に専念しろ!」
姫は焦っていた。数十年ぶりに見つけた騎士がこんなところで協会の戦闘員に殺されてたまるか。その騎士がいかにバカで無能だとしても騎士契約が続いている限りは望みがある。姫は思考を全て騎士の生存のために捧げる。
姫の世界に戻るためには天梯のかかっている場所まで戻らなければいけない。だがこのままでは天梯のある場所から遠ざかってしまう。
「もうすぐ林を抜ける。反転して攻撃に移るぞ」
『無理無理無理できない!』
「黙れ!私の言った通りに行動すれば絶対に勝てる!だが少しでも狂えばそこに待っているのは死だ」
『言う通りにすれば勝てるんだな!?』
「もちろんだ!」
姫は勝機は絶望的だと知った上でそう答えた。事実を俺に知らせてしまえば戦意を喪失してただでさえ少ない勝利確率がもっと低くなる。
俺は林を抜けると即座に反転して剣を構成する。
姫は初老の男の左腰に漂っている。その姫の姿を見ることができるのは俺だけだ。
俺はその姫の眉間に向かって剣を突く。姫は地球に対して干渉することはできない。なので姫は地球で他人に攻撃することはできないが、同時に姫は地球で受けた攻撃を無効化することができるのだ。そのため姫は攻撃の目標の役割を果たすこともできる。
突きはヒットした。
それは光を失った魂の形をした魔法陣となり、こぼれおちる。
「あれがあの男の正体だな。必ずここから攻撃が飛んでくるから変に思ったのだが、やはり遠隔操作されていたホログラムだったようだな」
そして姫が俺に向かって語りかける。
「対協会戦略が崩壊の様相を呈してきている。十分に貴様を騎士として育成するまで協会支部への襲撃を控えることでそれ以前に標的にされることを回避しようと画策していたが、今回の事件で協会は貴様が異常存在であることを既知としていることがわかった。やはい地球世界で改変法を使ったために協会の触手が伸びてきたのだろう。今回採取された貴様の戦闘情報を基に作戦立案した協会は、いずれ大規模戦力を送り込んで貴様を潰しにかかる。だから貴様は一刻も速く訓練でーー」
姫の言葉はだが大半の言葉は俺にとって馬耳東風でほとんど理解できなかった。そして俺は姫の言葉の理解を拒否した瞬間、
「ああもう、うっさいなぁ!」
姫の言葉を遮るかのように大声を上げた。まるでこの俺の目の前の現実を否定するかのように。姫からこれ以上俺にとって不都合なことを聞かされないように。
突然張り上げた俺の声に姫は一瞬、びくっとなり目を見開いて硬直した。
「もう騎士とか姫の世界とか知らねーよ!」
よく考えれば、騎士なんてわけもわかんないものになれと言われてなる人なんて現実逃避したい人ぐらいだ。もし善意で騎士になる人がいればそれはただの大馬鹿者だ。
つまり俺は現実逃避のために騎士になったのだ。
一点の光も見えない未来から逃れるため、それか現実離れしたファンタジーな世界に長居していたかったから、あるいはこの一瞬とはいえ見惚れてしまった姫と関係を築きたかったから、騎士になったのだ。結局は夢の中に入り浸ってたいだけだったのだ。
でも努力から逃れることはできないし、絶望から救われることもないし、満足感で俺を満たしてくれるわけでもない。
そして血の滴る激しい痛みと死の一歩手前を経験したことで完全に夢と妄想から覚めた。確かに俺は死んでもいいと言った。だが、口ならどうとでも言える。死にかけたことで、本当の死の恐怖を感じた。実際に戦闘したことで戦いの恐ろしさを知った。怪我をしたことで痛みを知った。
死と痛み。それを生身で感じた時、憧れの対象だった非日常が、無秩序で危険な避けるべき世界に変わった。
「家に帰る」
「家に帰る?貴様、何を言っているのだ?今、帰れば間違いなく協会の餌食になるぞ!早く天梯にまで戻って立て直しをしなければいけない」
「協会?何を言ってるんだ?そんなもん、知らないね」
俺は辛い日常から逃避するために騎士になった。今度は辛い騎士としての役割と協会から命が狙われているという事実から逃避する。