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23話:祖父母が染谷兄弟をみる

 2014年4月から染谷兄弟が祖父母のすすめで医学部を受験するために

医歯系の予備校に入ったと連絡が入った。この年は佐光英才塾でも塾生の

入れ替わりが激しく退塾生が43名、入塾生が43名だった。今年は特に

個性的な子は入塾せず最近の傾向として個性的な子供が少なくなった気がした。

夏休みが始まり9月を迎える頃には急成長した子とそうでないこの差が

はっきりとして、彼らも、自分でその差に敏感に気づいた。また秋になり

、夏と秋で20人以上の塾生が入れ替わった。そうして2014年が終わり

2015年を迎えた。


 染谷君子が東大医学部と慶応医学部を受験すると連絡が入った。そして

2015年3月に染谷君子が東大医学部に合格したと一報が入った。そこで

佐光夫妻が上野の精養軒で合格祝いのパーティーをしようと2015年4月2日

に染谷兄弟を呼んた。店に着くと染谷君子が佐光陽子に受かったと抱きついて

うれし涙にくれた。そして合格祝いのパーティが始まり、ジュースで乾杯して

佐光俊充が染谷君子に合格の弁を聞かせてと言うと、すっかり大人びて思い

起こせば7年以上前の年末、私達の両親が突然の高越事故で亡くなった。

その時、佐光夫妻に拾ろわれ成田の佐光夫妻の家から小学校へ通わせてもらった。

その後、運良く筑波大付属駒場中学に合格でき上野のマンションに住み、翌年

、弟の染谷次郎も同じ中学に合格して上野に住むようになった。


 お金の管理や学校への支払いも、ここにいる佐光陽子さんにお願いた。

3年後、筑波大付属駒場高校に合格すると祖父母が両親とのいさかいのこと

は忘れて、君達を立派な医者に育てたいと言ってくれ、佐光夫妻の元から

独立して医学部系の予備校に入り、今回、運良く、東大医学部に合格できた

と語った。最後に、小学校自体に経験した成田の森の新緑の季節の木々の緑が

、本当に新鮮で美しかった事を昨日のように思い出しますと締めくくると、

拍手が起き、陽子さんが良く1人ぼっちで頑張ったわねと言うと、染谷君子が

号泣した。


 その一部始終を聞いていた弟の染谷次郎が1つ上の姉というのは困ったもの

で彼女が成功すると直ぐに僕も期待される年回りだと笑いながら言い、でも私も

東大か慶応医学部、最低でも東京の医学部に絶対入りますと決意を新たにした。

 そして、また新年度が始まった。この年は、いままで一番出入りが激しく

退塾生が53人、入塾生が56人となった。入塾しても、ついて行けないと

思うと、あきらめの早い子が非常に増えてきたのだ。石の上にも三年という

我慢強い子が少なくなった証拠だろうと、佐光夫妻はなげいた。そして夏休み

に入り、終わる頃には成績が伸びた子、伸びなかった子に別れた。


 そして秋になり、猿田剛介も来年高校受験となり、サッカー部を退部して

勉強に専念していた。やがて2016年を迎えた。その後、染谷次郎が東大

医学部を受験し不合格だったと連絡があり、数日後、慶応大学医学部に合格

したと連絡が本人から入り東大受験の時に姉ちゃんに負けまいと舞い上がったが

、慶応大学、受験の時は無心で集中できたと言い、東大に不合格だったのでの

合格パーティは辞退しますと、あらかじめ言っておきますと言って、照れ笑い

した。しかし2016年4月2日に染谷君子と次郎の2人が佐光の家に菓子折

を持ってきて、長い間、本当にお世話になりありがとうございましたとお礼を

言った。


 それを聞いていた佐光陽子が、たまらず、あの小さな子供たちが、こんなに

、たくましくなってと言うと、後は言葉にならず、号泣した。泣きながら、

2人を抱きしめて、本当のよく頑張ったと言った。帰り際、染谷君子が亡き

両親の代わりになって助けてくれ、この、ご恩は一生忘れないというと、佐光

俊充がハンカチで流れる涙を拭いた。両親が亡くなって離れがあいてるから、

夏休みでも泊まりにおいでと佐光陽子が言い、その時には宜しくと弟の次郎が

言って手を振って帰って行った。


 その頃、猿田剛一は成田近郊では最優秀校の佐倉高校に合格した。また、

以前、佐光陽子が佐倉のDIC川村美術館へ連れて行った土光幸子さんから

の電話で東京芸大に現役合格を果たしたと聞き、電話口土光幸子さんが、

私はあなたに救われたと聞くやいなや、佐光陽子は、うれし涙にくれた。

もし将来、私が展覧会を開くときには一番に招待状を送りますから、御主人

と一緒に来て下さいと言ってくれた。そして両親の家があいたので、そっちで

2人で生活を始めた。


 2016年6月24日、早朝、MB銀行の重松さんから電話で豪ドル円が

下落してるので76円で買うと良いと言われ1000万豪ドル76000万円

で購入し、残金が33411万円となった。


 2016年も塾生の入れ替わり多く72名が退塾し73名が入塾してきた。

そして夏となり最近の受験校を5年前を比較し、合格者数も比較してみると

、受験校のレベルダウンが大きい事がわかり、また合格者数が減り不合格者数

が大幅に増えて比例して退塾者数が増えていることが一目瞭然だった。それを

見て佐光夫妻はがく然とした。やはり我慢する塾生が減り、食べ登坂だすると

直ぐあきらめていることが統計の数字からもはっきりして佐光英才塾、創設

当時の理念から遠くかけ離れていると感じた。これじゃ、単に金儲けのために

やってる普通の進学塾と変わらないではないかと考えると急にやる気が失せた。


 そうこうしてるうちに秋が過ぎ、2017年を迎えた。そして多くの塾生の

合格と不合格の連絡が入った。その後2017年も塾生の入れ替わりが激しく

88人が退塾して86人が入塾してきた。この現実を見て、佐光俊充が奥さん

の陽子さんに、こんなに入れ替わりが激しいと、じっくり優秀な人材を育てる

と言うわけには行かなくなると言い、やる気が失せたと言い、今年いっぱい

で佐光英才塾をたたもうと言ったので、言われることは持ってもですが、

本当にそれで良いのですかと聞くと、良いと言うと陽子さんもわかりました

、そうしましょうと言った。しかし、佐光英才塾での収益は大きく約1億円

の蓄えができた。

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