22話:看護婦の母の活躍
だから、お前は自分の将来のために最大限努力して大きな男になり母のため
地域のため、いや日本、世界のために活躍できる人間になれと肩をたたいた。
それを聞いて猿田剛介が下を向いて涙をこぼした。地獄に仏とは、こういう事
かと、しばらく泣いて決心がついたように宜しくお願いしますと言った。
そして6月12日に猿田剛介の母、猿田姫子が息子と一緒に佐光英才塾に来て
、本当にありがとうございます。私達親子はできる限り頑張りますので何卒
宜しくお願いしますと頭を下げた。すると佐光陽子が、今日、もう少しで塾が
終わりますので、一緒に成田へ行きましょうと言った。
そして、その晩に成田に帰り猿田親子のために10畳の洋室を貸し与えた。
2日後、猿田姫子が息子さんが引っ越し屋に依頼して引っ越して来た。荷物は
少なめだった。その晩から猿田姫子さんが得意の料理の腕を披露して多くの
種類の料理を作ってくれ陽子さんと2人で買い物に行くようになった。その後
、成田日赤病院に昼間の外来看護婦として採用された。そして9月から猿田姫子
さんはバスで10分の成田日赤病院に内科の看護婦として通い始めた。佐光俊充
が家賃は出世払いとして免除すると言うと猿田姫子さんが、この、ご恩、一生
忘れませんと深々と頭を下げた。
やがて涼しくなり10、11、12月と季節が移った。そんな12月20日
の夜、佐光俊充の父、佐光俊一90歳が急に胸が痛いと電話をして来て猿田姫子
さんと佐光俊充が駆けつけると、苦しんでるので猿田姫子さんが成田日赤病院
に電話して佐光俊充に車を回すように言った。10分足らず病院につき救急室の
ストレッチャー乗せ、駆けつけた循環器科の先生が心筋梗塞だと言った。すぐに
緊急手術となりステントを入れる手術を始めて1時間後、佐光俊充と猿田姫子
さんが病室に入ると、手術した佐藤先生が早く手術できたので術後の問題はない
でしょうと言った。
しかし何せ高齢なので精密検査をして1週間以上の入院をしていただきますと
告げた。そして2013年があけた。佐光夫妻が初詣でに行き、父の回復を祈願
して来た。2013年1月5日、佐光俊一90歳が退院してきた。退院時の佐藤
先生の話では高齢なので心不全が怖いので、少しでも調子が悪くなったら直ぐに
病院に来て下さいと言った。薬は猿田姫子さんの言うことを聞いて、きちんと
飲んで下さいと言った。その後2月の寒い早朝、父の佐光俊一から電話で、
おかあさんが大変だと言ったので佐光夫妻と猿田姫子が父の家にい行くと母の
佐光照美さん88歳が冷たくなっていた。念のため猿田姫子が確認すると脈が
触れず死亡を確認し、直ぐに電話すると成田日赤の循環器の佐藤先生が10時に
来てくれ、死亡診断書を書いてくれることになった。
その時、佐光淳一も胸が苦しいと言うので佐光俊充と佐藤先生と猿田姫子が
成田日赤に行った。診断の結果心不全の初期症状かも知れないと言われ大事を
とって入院となった。その後2月16日の寒い夜、成田日赤病院から佐光俊一さ
んの危篤の連絡が入って。佐光夫妻が病院に急行すると父が、むしの息で、後は
頼んだぞと言い息を引き取った。享年90歳。その後2月21日、家の近くの
成田の葬儀場で佐光俊一の葬儀が行われ近所から55人の参列者が集まり故人
の地元での活躍ぶりが語られた。
葬儀を終えると佐光家の菩提寺に30人もの人が列をなして出かけ佐光俊一
の生前の善行の数々にお礼がのべられた。やがて、暖かくなってくると受験が
始まり、次々と合格、不合格の情報が入った。猿田剛介は今年、中学に入り
、地元の成田中学へ通い始めて、サッカー部に入った。佐光俊充の古くなった
パソコンをもらって佐光英才塾のパンフレットや試験問題などを印刷する手伝い
をした。2013年、染谷次郎が筑波大付属駒場高校に合格したとの知らせが
入った。この年の夏は猿田剛一はサッカー部の練習に参加して真っ黒に日焼け
した。彼は当たり負けしなくて足も速いので1年から控えのフォワード、
ミッドフィルダーとして試合に出るようなった。
集中力もあり1年生でクラス、ベストスリーの常連で特に英語、国語、社会
、数学、理科の主要五科目が良かった。秋にはクラスでトップ学年でベスト
スリーまで成績を上げた。そして2013年12月のテストで、主要5科目
の合計点数で1年生でトップをとった。やはり佐光俊充が集中力があると
見込んだだけのことはあった。やがて2014年があけた。この頃、染谷
兄弟からの話で両親と祖父母の断絶が両親の死で解決して、可愛い孫たちの
学費と生活費を祖父母は出してくれることになったと電話で染谷君子さん
から連絡が入った。そして、2014年の春も希望の学校に合格、不合格で
塾を離れる子、思い通りの成績を残せず脱落していった子が22人、新しく
希望を持って入ってくる子が23人となった。
今年は特に型破りの個性的な子はいなかった。猿田剛一は2年生になり
成田中学の看板ストライカーに成長し、当たりの強いフォワードとして成田
では有名になった。勉強の方も学年でベストスリーを争い文武両道で頑張って
いた。将来、佐倉高校を目指して頑張ってきた。
2014年4月11日、早朝、MB銀行の重松さんから電話で豪ドル円が
上昇してるので104円で売ると良いと言われ104円で526万豪ドル
を売り残金が109411万円と遂に10億円を超えた。
2014年は初期の佐光英才塾の卒業生からアメリカ東海岸のアイビー
リーグのペンシルベニア大学に1人が合格し、西海岸のUCLA
「カリフォルニア大学ロサンゼルス校」に2人が合格し、東大に2人、
京大に2人、東工大2名、一橋大学2名、早稲田2名、慶応3名の合格者
を輩出した。もちろん、この3人の写真と合格大学を佐光英才塾の教室の正面
に授業の時には張り出すようにした。この業績を目にした佐光夫妻は遂に
、ここまで来たかと感極まった自宅で涙した。その姿を見ていた猿田剛介と
母の姫子さんが、すごいことですねと驚いていた。そして佐光俊充が猿田剛介
に、お前も米国の大学に挑戦するなら資金を援助してやるぞと言うと、笑い
ながら、まだまだ、足元にも及びないと言った。しかし挑戦はしたいだろ
と聞くと、もちろんですと答えた。




