06
「うぅ……あんなに怒ることないじゃない……」
あたしは今、自室のベッドに寝転がり、その枕に顔をうずめていた。
ホンット信じらんない。なんであんなに怒るのよ……。
そりゃまあ、あたしだって地味女って呼んだのは悪かったって思うけどさ、他に呼び方見つからなかったし、一回呼んだら変えるの何か嫌だし……ったく、やってらんないっての。
「あたしだって頑張ってるのに……お兄が他の女と仲良くしてるから……」
どこかやるせない気持ちになる。あたしが一番お兄と一緒に居るのに、体の距離は近くても、心の距離は縮まらない。
——昔はもっと仲良かったはずなんだけど……。
何がきっかけで仲違いしたのか思い出せない。もしかしたら、理由なんて無いのかもしんないし、ただ、思春期だからってだけかもしんない。あたしはそんなことないけれど。
「バカ……」
どこへともなく、小さく罵声を飛ばす。目の端に浮かんできた涙は、枕に吸われて消えた。
今だけは、あたしも消えてしまいたい。
「はあ……どうしよ……」
寝るような時間じゃないし、学校から出された宿題もする気分じゃない。
あたしはあても無くPCを起動して、『プロクル・プレイス・オンライン』を開く。
こういう時は、雑魚敵相手に無双して、鬱憤を晴らすのが一番だ。
「あれ……?」
ふと、視界の端に、お兄がログインしたというお知らせが見えた。
——なんで今お兄がログイン? …………何やってんだろ。
興味本位で、あくまで興味本位で、あたしの職業である「暗殺者」のスキルを使い、町からお兄の姿を探し出して尾行してみた。
お兄は町から離れた森に着くと、そこの主であるモンスターの元へ向かう。
「そんな、無茶な……」
最近あたしとお兄の二人掛かりでやっと倒した、巨大な熊のような魔物に、お兄は、単独で挑み始めた。
相手の攻撃を予測して、即座に安全圏に避難。攻撃後、隙が出来たらその微々たる攻撃力で、少しずつ体力を削る。その繰り返し。とても見てられないような、無謀な戦いだった。
攻撃役のあたしが居ても数十分掛かった相手に、多くの属性を操れるとはいえ、攻撃職ですらない精霊使いが、勝てるわけがない。
あたしはそう思っていた。
「すごい……」
しかし、お兄は一切の攻撃を躱してしぶとく生き残っていた。あたしはその姿に、時間を忘れて見入ってしまった。
既に瀕死なのは相手の方だ。体力表示のバーが赤く染まっている。
「あっ……」
しかし突然、その敵のスピードが急激に上がり始めた。
この時あたしは知らなかったけど、この敵は体力が大幅に減少すると、全てのステータスが大きく上昇するらしい。前に戦った時は、お兄のスキルで動きを止めたとこに、最後の一撃を与えたから気付かなかったのかもしれない。
みるみるうちに形勢が逆転し始めた。今まで通りの攻撃を、今まで以上の速さで繰り出す相手。最初のうちこそ何とかいなしていたものの、お兄は次第に押され始めた。
その時、お兄の手から武器である杖が飛んで行ったのが見えた。
熊の鋭い爪が杖に引っ掛かったらしい。
満身創痍ながら勝利を確信した敵の熊は、渾身の力を込めた腕で、お兄の体力を一撃で刈り取ろうとしている。
その光景を見た途端、体が動いた。
——暗殺者秘奥義〈闇狩〉。
敵に認知されていない状態の場合、威力が倍以上に跳ね上がる暗殺者の必殺技。
この時だけ、敵を倒すのはあたしだ、とか言って適当に選んでしまったこの職業を、嬉しく思った。
突然の不意打ちで完全に意識を刈り取られた魔物は、その場に倒れ伏す。
そして、お兄から通話の申請が届いた。もちろん許可する。
『おま……涼花……なんで……』
「別に良いでしょ、たまたま倒せそうな敵がいたから倒しただけよ。文句ある?」
『そんな、文句なんて…………いや、あるわ。お前、パーティ組んでねえから経験値全部持ってかれたじゃねえか! どうしてくれんだこの野郎!』
「はあ!? 何それ!? 助けてあげたでしょ!? 何その言い方!」
『うぐ……そ、そうだな。おかげで死なずに済んだ。ありがとな……』
その言葉を聞いた途端、あたしの頬が緩み始めた。
「ふ、ふん、分かれば良いのよ」
うへへ……お兄にありがとうって言われた……うへへ……。
傍から見れば、気持ち悪い笑みを浮かべてるのは分かってるけど、顔がニヤつくのを止められない。
『あ、でも、助けてあげた、ってことは、ずっと俺の事見てたんじゃ——』
「な……う、うっさい! 知んない! バカァ!」
ブチッ!
乱暴に通話を切る。
うへへ……もう……! やってらんないってばぁ……うへへ……。
涼花から乱暴に通話を切られてから数十分後。夕飯の時間になっても涼花は、仏頂面で何やら怒っているようだった。
そのあと、廊下で鉢合わせても、直前まで気持ち悪い笑みで緩んでいた顔が、俺を視認すると、
「……ふんっ」
なぜか仏頂面に変わってそっぽを向く。
ゲームとはいえ、情けない姿見せたからな……妹に助けられるようじゃ兄貴失格だ。涼花の事は嫌いだが、妹だからな。助けるのは兄貴の役目だ。そう、例えゲームだとしても。
「もうちょっとだけレベル上げるかな」
俺は冷蔵庫から飲み物を取り出すと、そのまま自室へ向かい、PCを起動した。
まあ、さっき格好いい台詞吐いたばっかだが、思うのは、アイツが俺に助けを求める事なんてあるのだろうか、ということ。
そもそも俺より数段スペックが上で、顔も良い涼花に、悩みがあるようには見えない。
「ゲームでしか助けられないとか、情けなさすぎるだろ俺……」
やべえ、泣きたい。恥ずかしいを通り越して泣きたい。
俺なんて勉強は平均取れたら良い方だし、スポーツも人並み、顔はまあ普通だと思いたい。何で涼花に勝てと言うんだ。
天は二物を与えずとか言うけど、俺に来るはずだった才能が涼花に移動したとか無いか? じゃないと納得できないんだが。
「勉強出来て、スポーツも出来る上に可愛いとか、反則だろ……」
ガタッ……。
「ん?」
押し入れから音が聞こえた気がした。
——何か崩れたかな。
色んなものが乱雑に入ってるせいで、物が崩れることが良くある。
俺は押し入れに向かうと、その扉をゆっくりと開けた。そうしないと物が雪崩のように落ちて来てしまう。
しかし、途中まで開いたはずの扉は、謎の力によって急に閉められた。
「——はぁ!?」
開かなくなったとかじゃなくて、俺が力入れてるのに、それに反するように閉められた。
しばし様子を見るが、それ以上のアクションは無い。
俺は再度取っ手に手を掛けると、もう一度、今度は物が崩れてこようと構わずに力強く開いた。
「あっ……」
「……何やってんだお前、こんなとこで……」
なぜか涼花が居た。押し入れの中で縮こまっている。
手に持っているのはラノベ…………ラノベ!?
え? ラノベ? 何で?
「え、えっと……」
めっちゃ目が泳いでる。何気に貴重なシーンだった。いや、今は関係ないけど。
「ってかそのラノベはどうしたんだ? お前もラノベ読むのか?」
涼花がラノベを読む場面なんて見たことないが……。
チラッと見るのは、ラノベと漫画しか無い俺の本棚。そして目立つ空白——
「——って、俺のラノベじゃねえか!」
結構な量の一巻だけが綺麗に抜き取られてる。
「こ、これは……その……あ、あれよ。持ってったらお兄が困るかなーと思って……」
「確かに困りはするが、何でそんな分かりやすそうな悪戯なんてやるんだ。もしかして、読みたいのか?」
「え、あ、うん。そうね、そう。何となく、読みたいなって。べ、別にあんたの好みが分かるかなって思ったわけじゃなくて……」
「そうか、じゃあ貸すけど、とりあえずそれは返せ」
何でエロ要素多いのだけピンポイントで抜き取ってやがる。それはさすがに見せられん。
俺は、なるべくエロ要素の少ない奴をいくつか選んで渡す。
「ほらよ」
必然だが、その中には天風に勧めた作品もある。まあ、俺の読んでる中でエロ要素が少ないのは限られてるし……何だろう、それはそれでダメな気がしてきた。仕方ないだろ、面白いんだから。
「あ、ありがと」
「ほら、さっさと押し入れから出ろ。そして部屋から出てけ。読み終わったら続き貸すから、その時はまた来い」
「うん……!」
廊下から、扉の開閉する音が聞こえた。
さて、何やろうとしてたかな。
……忘れたし、風呂入るか。
時間が経ってスリープモードになったPCには気が付かなかった。
まあ、電源が付いてたとこで、問題は無いんだがな。
そして結局、天風にフレンド申請するのを忘れていた。まあ、そんなことで怒りはしなかったが、少し心配されてしまった。
「昨日、どうしたの? 連絡無かったけど」
「ああいや、ちょっと色々あってな」
「そっかー」
ちなみに今は、その天風と一緒に図書室に居る。おすすめの本を教えてもらう、という約束を果たすためだ。
「ヨミのおすすめする本でも探しに来たのかい?」
「あれ、居たんですか先輩」
本棚の裏から九十九先輩が現れて、ちょっと驚いた。
というか、たまたま昨日居ただけじゃなかったのか? 何で今日も居るんだ? いや、悪いわけじゃないけど。
「昨日、本を借りていったからね。返しに来たのさ」
「ああ、なるほど」
「とは言ってもボクは返し方を知らない」
「カウンター座ってましたよね」
「人が来ないことは知ってたし、他にも担当が居ることも知っていた。その人に任せれば良いと思ってね」
それで天風が風邪でも引いていて、休みだったらどうしたつもりなのだろうか。考えるだけ無駄だが。
「先輩、昨日教えましたよね? 貸し出しと返却の方法」
「そうだね」
「覚えてるじゃないですか」
「いや、教えてもらったことは覚えてるんだが、何を教えてもらったかさっぱりなんだ」
昨日も言ったけど、マイペースだな。
「まあ、ボクはこれを返しに来ただけだから、そろそろお暇するよ。あとは二人で楽しんでくれ」
楽しむって言われても、本探すだけなんですけど……。
「ひ、昼間から何てこと言ってるんですか!」
なぜか天風は、顔を真っ赤にして抗議していたが、それがなぜなのかは分からない。女子にしか伝わらない暗号か何かでもあるのだろうか。謎だ。
「ヨミ、もう一度使い方を教えてくれないか」
貸し出し担当の図書委員の姿が見えない。ここは、カウンターに誰も居ないのが当たり前なのか?
「え、あ、はい。わかりました」
天風はパタパタとカウンターに向かい、九十九先輩に色々と説明している。もちろん俺には聞こえてこない為、手持無沙汰だ。
昨日初めて来たばかりだし、時間も無かったから気付かなかったが、この図書室、なかなかえげつないものも揃ってるな。『世界の拷問道具大全』とか誰が借りるんだよ。国語辞典なんて、これ何種類あるんだよ……広辞苑だけで良いだろ……。『初めての黒魔術』だと!? やっべえ、めっちゃ興味ある……これ借りていこうかな……。いやでも、天風のおすすめも気になるところなんだよなあ……。
「どうしたの? 興味ある?」
「うお、天風、戻ってたのか」
「うん、先輩も帰ったよ。ところでその本、何でここにあるか分からないんだよね……まあ、中身はいたって普通の黒魔術のやり方、みたいな感じだよ」
「読んだのか?」
「うん、ある程度ね。でも面白かったよ」
凄いな。ラノベも読むし、こんな厨二病的なものまで読むのか。
「それにしておく?」
「え、でも天風のおすすめはどうするんだ?」
「読みたいのを読むのが一番だよ。興味あるんでしょ?」
私は分かってるよ、みたいな口ぶりだ。俺、そんなに顔に出てたかな。つい顔に手を持っていく。恐らく真顔だ。
「私のおすすめはまた今度。もしくは、また興味のある本探しに来てね」
「おう、ありがと。じゃあ、これ借りるわ」
カウンターで貸し出しの手続きをして、図書室を出る。
「あれ? 九十九先輩だ。何してるんだろ」
廊下の先に、さっき本を返して帰っていったはずの九十九先輩がいた。
誰かは分からないが、生徒、恐らく二年生か三年生と話している。あまりいい顔はしていない。何かを拒否しているような。嫌がってるような。
「昴流君……」
「ああ……」
天風が、すがるような目で俺を見る。彼女が何を言いたいのかは伝わった。俺も同じ考えだ。
俺は、先輩に近づいていき、
「あれっ? 九十九先輩、何やってるんですか? さっき帰ったはずじゃ?」
二人の間に割って入るように、大きく声を出す。